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S-168 「見事だった」「あぁ。お前もだ」

内海/両国旗艦甲板上【視点:世界(観測者)】


「押し返せェェッ!!」


 怒号が硝煙を裂く。戦況は一進一退、泥沼の様相を呈していた。

 王国軍側からは、歌姫ディーバの透き通るような歌声が響き渡り、傷ついた兵士たちの魂を強引に戦場へと繋ぎ止めている。


「怯むな!陣形を立て直せ!!我らが膝を屈すれば、国が滅ぶぞ!!」


 王国軍師クリントが、枯れんばかりの声で叱咤を飛ばす。血と脂汗に塗れたその顔が、一瞬だけ指揮のために前線へ晒された。

 そのコンマ一秒の露出を、帝国最強の狙撃手は見逃さなかった。


「……隙だらけだぜ」


 ヒュンッ。


 風切り音すら置き去りにする神速の矢。千弓軍将軍オルタの放った一撃が、クリントの喉仏を正確無比に貫いた。


「が、は……ッ」


 声にならない空気が漏れる。軍師の瞳から光が消え、指揮杖がカランと乾いた音を立てて落ちた。

 指揮系統の喪失。王国軍に致命的な動揺が走る。


 その崩壊を食い止めようと、歌姫ディーバが瓦礫の山と化した甲板の上に立ち、更に声を張り上げた。彼女の歌声だけが、兵士たちの恐怖を繋ぎ止める最後の綱だった。

 だが、戦場の神は残酷だ。


 ズガァァァァン!!


 帝国艦からの至近距離魔導砲が、王国旗艦の横腹に炸裂した。

 鋼鉄と木材が悲鳴を上げ、海水が奔流となって船内に雪崩れ込む。巨船が大きく傾き、立っていることすら困難な角度へと世界が歪む。


 悲鳴、歌声、そして船体が圧壊する音が入り混じる、死の不協和音。

 その衝撃は、船の支柱であるメインマストにも致命的な亀裂を入れていた。


 メキキキキッ……ズゥォォン!!


 傾いた船体の負荷と自重に耐えきれず、巨木がへし折れた。

 落下するマストは凶器となり、万騎軍第二隊長と鍔迫り合いをしていた近衛隊長ドゥーバを、羽虫のように真上から押し潰した。


「トゥーバァ!!」


「くそっ、沈むぞ!!」


 焦るレガリオ。攻めるソラス。


 傾く甲板の上で、二人の王だけが重力を無視したかのような剣舞を続けていた。


「レガリオォォッ!!」


「ソラスゥゥッ!!」


 かつて二人は、両国の先王が見守る御前試合で剣を交えた、好敵手同士だった。

 歳を重ね、立場が王へと変わろうとも、その剣技は衰えるどころか円熟味を増し、未だ現役の上級冒険者を凌駕する冴えを見せている。剣戟の火花が、沈みゆく船を照らす灯火のように散る。


 ズズゥゥン!!


 衝撃が走る。制御を失った王国側の帆船が、帝国旗艦に特攻同然に衝突したのだ。

 竜骨が砕ける轟音。両国の旗艦が複雑に絡み合ったまま、逃れようのない致命的な浸水を始める。


「全員退却だぁぁ!!船と一緒に海に飲み込まれるぞぉぉ!!」


 隻眼のユーストスが叫ぶ。兵士たちが我先にと海へ飛び込み、あるいは近くの漂流物へと飛び移る。


 傾き、沈みゆく甲板。


 最後まで残ったのは、二人の王と、二人の后だけ。


 ガクンッ。


 船体が大きく揺れ、足場が崩れた。完璧な重心制御を誇っていたソラスが、海水に濡れた床で一瞬だけ体勢を崩す。


「――ッ!」


 レガリオの本能が動いた。王剣が一閃。

 ソラスの脇腹を、深々と貫いた。


「……不覚」


 ソラスが血を吐く。


 勝負あった。誰もがそう思った、その瞬間。


 ヒュッ――ドスッ。


 足場の悪いマストの上から、帝国の弓兵が放った流れ矢が、ディーバの白く細い首を貫いた。


「……あ……」


 戦場に響いていた美しい歌声が、唐突に、プツリと途切れた。

 白いドレスに、鮮烈な赤が広がる。


「ディーバ!!」


 レガリオはソラスに突き立てた剣を引き抜き、背後の愛妻へと駆け寄る。

 完全に無防備な背中。


 ソラスは、霞む視界の中で剣を振り上げた。今なら、斬れる。首を落とせる。

 だが、その腕は空中で止まった。


 騎士道に反するからか。いや、違う。


 愛する者を想い、なりふり構わず駆け寄る男の背中を、彼は斬れなかった。


「……ぐ、ぅ……」


 ソラスが膝から崩れ落ちる。それを支えたのは、満身創痍のディナリエルだった。


「ソラス……!」


 ■ ■ ■


「陛下!」


 ノエルが駆け寄ろうとする。だが、ディナリエルは鋭い声で制した。


「来るな!!ノエル、お前は脱出しろ!」


「嫌だ!母さんも一緒に……!」


「ノエル!!」


 ディナリエルは、血に濡れた手でノエルの頬を包んだ。その瞳には、戦場を駆ける「常闇の影」としての冷徹さは微塵もなく、ただ、母としての深い慈愛だけが溢れていた。


「よく聞け。……お前はずっと、戦災孤児として預かった子だと教えてきた。……だがすまない。私は嘘をついていた」


「え……?」


「お前の本当の名は、ソレル。『ソレル・マグ・ファラン』。……彼と、私の、実の息子なんだ」


 ノエルの思考が停止する。


 目の前で死にゆく敵国の皇帝と、育ての親である母。


 自分が、その二人の子供?敵同士の間に生まれた子?


「な……なんで、今言うんだよ!意味が分からない!!」


 ソラスが、苦しい息の中で、血に染まった唇で微笑んだ。


「お前が……赤子のとき、権力闘争の暗殺者に狙われた。お前は、我が友ガラルフにより命を救われ……その凶刃から隠すために、死んだことにして、ディナに預けたのだ」


「そんな……」


「私は……心をどこかに置いてきた、非情な父だ。だが、おそらく……ディナと一緒に暮らせていれば……こんな親には……」


 ゴボッ、とソラスが大量の血を吐く。命の火が、風前の灯火のように揺らぐ。


「すまんな…ソレル。ずっと離れ離れだった。母さんには…甘えていたようだが……はは」


「嫌だ!!」


 ノエルは泣きじゃくりながら、二人に縋り付いた。戦士としての顔などない。ただの子供のように。


「嫌だ、母さん!父さん!一緒に帰ろうよ!!」


「国を継ぐことなど…考えるな。お前は、幸せに……生きてくれれば、それでいい」


 ディナリエルは涙を拭い、決意の表情で鞭を振るった。


「――ソラクーナ(慈愛の揺り籠)」


 鞭が緑色の光を帯びた蔦となり、ノエルの身体を優しく、しかし強固に拘束した。


「母さん!?」


「愛している。ソレル。……ルガルフをよろしくたのむ」


 ディナリエルは全身の力をふり絞り、ノエルをまだ浮いている別の帆船に向けて放り投げた。


「あああああぁぁぁぁッ!!!」


 遠ざかる息子の絶叫。それが生きている証だと噛み締めながら、ディナリエルは、自身の中に宿った新たな命――誰にも告げぬまま終わる、下腹部の小さな膨らみを愛おしそうに撫でた。


 そして、崩れ落ちるソラスを強く抱きしめた。


「……ディナ。逝くか」


「ええ。どこまでも」


 ズズズズズ……。


 両国の旗艦が、断末魔のような音を立てて海面下へと没していく。

 甲板の反対側では、レガリオがこと切れたディーバを抱きしめ、静かに座り込んでいた。


「……見事だった、ソラス」


「……あぁ。お前もだ、レガリオ」


 最期に視線を交わす、二人の王。

 そこには憎しみはなく、悲しき時代を共に生きた戦友への敬意だけがあった。


 ゴボボ……


 冷たい海水が全てを飲み込む。


 二つの巨星と、それに寄り添う二つの伴星。歴史に名を残すであろうその者たちは、蒼い海の底で永遠に輝くために、静かに波間へと消えていった。


「母さぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」


 海上に残されたノエルの慟哭だけが、虚しく響き渡る。

 その時、どこからともなく、不思議な歌声が聞こえてきた気がした。


 ――ユーグリシャの洞窟の 蒼の氷柱に 刻む詩

 遥か昔の 雪深い 誰も知らない物語

 シャルラ シャルラ シャルラリラ

 長き冬を 憂う君 


 ――シンシルダの森林で 碧の風が 紡ぐ詩

 遥か昔 雪解けの 誰も知らない物語

 シルラ シルラ サラシルラ

 冬の終わりを 告げる君


 船を飲み込む海の音か、或いは戦場の悲鳴か。

 エルフ族に伝わる春の訪れを祝う歌に聞こえたとき、南方から、奇妙な蒼い光がこの戦場を覆いつくした。

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