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S-16 「最後まで僕に利用されてください」

【お知らせ】

S-1~S-3の前書きに、本編主人公のイルの画像イメージを掲載しました。

バイレスリーヴ/潮風通り/冒険者の宿、赤帽子【視点:臆病者オリアン】


 ドンドンドン。


 ノックの音が、まどろみを揺らした。


「オリアン、まだ寝てる!?」


 扉の向こうからイルの声がする。僕は飛び起きた。昨日も、その前も、僕は彼女に起こされている。


「すみません!本当にごめんなさい!すぐに準備します!」


 体の芯に、鉛のような重い疲れが残っている。一昨日は黒き森で死線をくぐり抜け、昨日は冒険者ギルドでクエストを掛け持ちした。これまでの引きこもり生活からは考えられない活動量だ。


 昨日は昼過ぎから食事もとらずに二つ目のクエストを達成し、ギルドへ戻ったところでブーアたちと鉢合わせした。威嚇され、罵倒され、バラさんの仲裁でなんとか逃げ延びて、ニーネッドさんの書店へ避難……。


 そこで、ニーネッドさんからお使いを頼まれていたグリンネルとキノルに再会。今日は朝から演舞式の打ち合わせをすることになっていたのだ。


 僕は大慌てで身支度を整え、部屋の扉を開けた。


 そこには昨日と同じように、革袋を傾けて朝から葡萄酒を煽っているイルがいた。


「本当にごめんなさい。また待たせてしまって」


「もー。遅すぎて朝から酔っぱらっちゃったじゃん」


 相変わらず、彼女の姿を直視しようとすると視線の置き場に困る。その美しさは、何度見ても慣れることがない。


 けれど、この二日間で僕は変わった。それは、自分の中で確信できるほど明白だ。

 例えるならば、煤け、淀んで見えていた世界が、鮮やかに色づいてきたように思える。


 内向的で、父の陰に隠れ過ごしてきた人生。そんな踏み出せない自分との決別だ。皆と、そしてイルとの冒険を通じて、心の底から信頼できる本当の仲間とようやく出会えた気がした。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/裏通り


 希望を胸に歩いていると、角を曲がった先で、見たくない連中と出くわした。ブーア一家のチンピラたちだ。


 彼らは僕を見つけると、獲物を見つけたハイエナのように進路を塞いだ。最悪だ。


 父エドワルドが5年前、ブーアの悪行を見かねて衛士団に指示し、彼を投獄して以来続く報復。かつては館の使用人と結託され、裏通りに連れ込まれてボコボコにされたこともあった。それ以降、僕は外出が億劫になり、館にひきこもる様になったのだ。


 僕は息を潜め、目を合わせずにやり過ごそうとしたが、そんなわけにはいかなかった。


「おぉ、死んだ元首様のクソ息子だ」


 奴らは僕を見つけて立ち塞がる。僕は彼らの目を見ないよう、無意識に俯く。


「何だぁ?姉ちゃん、まだこのクソ野郎と一緒にいるのかよ」


 彼らは下卑た視線でイルを舐め回すように見ながら言った。


「クソ野郎かは知らないけど、オリアンは仲間だからね」


 イルはまったく物怖じする様子なく、淡々とした態度で答える。こういう所に、彼女の底しれない強さがあると感じる。


「へっ!じゃあ、クソ野郎改め、臆病者だ。奴と一緒にいたら、そのうち邪神復活の儀式の生贄にされるぞ」


「邪神?生贄?なにそれ?」


 イルが首を傾げると、チンピラたちは下品に笑い合った。


 僕はその言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。その噂は、僕にとって最も触れられたくない過去だった。5年前、彼らに街中に流され、街中の人から僕が嫌われるきっかけになった、忌まわしい記憶が蘇ってくる。


「知らねぇのか?そいつはな、深海の邪神を崇拝してるカルト野郎だ。そんで、その邪神を復活させて自分を貶めてきた街の連中に復讐しようと企んでる。最近つるんでるお前たちを利用して、最後は儀式の生贄にしようって魂胆なんだよ!」


「そ、そんなこと!」


 僕は、思わず大声が出た。


「んだよ!お前が噴水前の気狂いババア、ダンラと一緒に邪神を崇拝してたことは有名だろうが!」


「あれは……違うんです!」


 否定の言葉が空回りする。


 確かに、街中で奴らにボコボコにされた時、復讐心から深海神を呼び出そうと、熱心な信者であるダンラに頼ったこともあった。だけど、それは間違っているとすぐに気づいて手を引いている。今では思い出したくもない、若い頃の過ちだと思っている。


「じゃあ何なんだよ!ひゃはは!また街中に広まってっぞ!」


 チンピラが嘲笑う。


 まさか、こんな時に蒸し返されるとは思わなかった。僕が、街のみんなから嫌われているのは、ただの根暗というだけじゃない。この「黒歴史」が尾を引いているのだ。


「オリアン、行こっか」


 突然、イルの細い手が僕の手を引いた。


 彼女は何も言わず、チンピラたちの横をすり抜けて歩き出す。


「お、おい!逃げんな!クソ野郎!」


 罵声を背に、彼女は僕の手を強く握ったまま、歩みを速めて書店へと向かった。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/裏通り/書店の書庫


 安宿から書店へ急ぎ足で向かい、扉を開けて中に入ると、グリンネルとキノルが待っていた。


 だが、二人の様子がおかしい。


 態度は重苦しく、明らかによそよそしかった。グリンネルは僕に視線を合わせず、ただ腕を組み、店内の壁の古びた地図を不機嫌そうに睨んでいる。キノルは、いつもなら少しは視線を合わせるのだが、今日は顔を伏せたまま、何も話さない。


「ふ、二人とも……?」


 嫌な予感がした。心臓の鼓動が、急に早まる。


 僕の問いかけに、グリンネルは喉の奥で小さく唸るだけだ。キノルは、顔を伏せたまま、微動だにしない。


 その時、書店の中にいた客たちが、ひそひそと囁き合った。


「あれが、噂の……」


「邪神を呼ぶために、その方法が記された館の本に執着してるんだ。よそ者を利用して元首になろうとしてるんだと」


「かわいそうなもんだな、あいつら利用されて、その後生贄にされるとも知らずに」


 囁き声は、まるで僕の耳元で話されているかのように鮮明に聞こえた。それは、5年前、僕を社会的に抹殺した街中の噂に、さらに尾ひれがつけられたものだった。


「オリアン、これはどこまで本当なんだ?」


 グリンネルは重い口を開いた。


 僕は、過去の過ちを語り、今はそんな気はないと弁明した。


 しかし、僕が館の本に執着していること、街の人々から煙たがられていること、彼らが信じざるを得ない前科があることなど、その噂を裏付けるような状況があまりにも合致しすぎていた。


 自分で弁明すればするほど、昨日までの温かい関係を取り戻すことが絶望的だと痛感した。


「本の知識は、使う者の思想次第で薬にも毒にもなる」


 キノルは床を見つめたまま、ぼそりと呟いた。


 その呟きが、「本」という共通の絆で僕と分かり合えたはずの彼女が、今、僕を突き放す言葉だと解釈せざるを得なかった。


 このままでは、また僕のせいで大切なものが完全に壊れてしまう。


 そう思った瞬間、僕の頭に、少し前に読んだ本『陽を追う者と影』の一節が浮かんだ。


 太陽を心から愛し、その光の下でしか生きられない青年の物語。しかし、彼が太陽に近づけば近づくほど、彼の黒い影は濃く、巨大になり、友人たちや故郷の村を覆い隠し、光を奪い始める。青年は最終的に、太陽を追うことを止め、光が届かない深い森の奥へと自ら姿を消す。それは孤独な道だったが、彼の影が及ばなくなったおかげで、村は再び明るい太陽の光を取り戻した。


 この物語の「影」は、まさに僕自身の「邪神崇拝者」という汚名だ。


 彼らにこの街を嫌いになってほしくない。そして、彼らを守るためには、自身が身を引かなければならない。つまり、仲間を僕から「遠ざけること」が、僕にできる彼らへの唯一の「恩返し」なのだと。


「……ええ、そのとおりです」


 僕は、胸の奥に激しい痛みを覚えながら、心の中で何度も言い聞かせて、言葉を絞り出した。


 感情を押し殺し、わざと冷酷な、他人行儀な口調で。


「噂は概ね真実です。だから、あなた達は、最後まで僕に利用されてください」


 僕の言葉に、グリンネルは鋭く顔を上げ、僕を射抜くように睨みつけた。その目には、怒りだけでなく、深い失望の色が宿っていた。キノルは、僕の言葉に耐えきれないとでもいうように、顔をさらに深く伏せた。


「……オリアン、お前…本気か!」


 グリンネルは怒りに任せて僕に掴みかかろうとしたが、キノルがその腕をそっと掴み、首を横に振った。キノルの目からは、一筋の涙が静かにこぼれ落ちていた。


 グリンネルは深く、荒い息を吐き出し、その言葉を区切りながら、まるで鉛のように重い事実を告げる。


「悪いけど、俺たちは……剣闘士を……降りる」


 彼は床に視線を落としたまま、無理やり喉を鳴らす。


「実は……俺とキノルは、旅の予定を立てていた。少し早いけど、準備ができ次第、すぐに発つことにする」


 その声は、怒りよりも、大切な友情を自らの手で断ち切るような、悲痛な響きを帯びていた。


 グリンネルは様々な感情で硬直した背中を見せたまま、僕に最後の視線を合わせることなく、キノルと共に書店の扉へと歩き出した。キノルは顔を伏せたままだったが、その手はグリンネルの腕を離さず、まるで壊れ物を抱えるように寄り添っていた。


 僕の心は、彼らの歩みと共に、引き裂かれるような痛みを覚えた。彼らが去れば、僕の計画は成就する。彼らを危険から遠ざけるという「最適解」だ。


 しかし、彼らの姿が開かれた扉の向こう、陽光の中に消えていく瞬間、僕の視界が歪んだ。


 あの昨日までの温かい時間が、この数分の冷酷な言葉一つで、永遠に失われてしまった。


 僕は、ただその扉が静かに閉まりきるのを、名残惜しさに耐えながら見つめ続けた。

 その一部始終を見ていた書店の店主、ニーネッドさんは、深いため息をつきながら、ペンを置き、腕を組んだ。


 グリンネルとキノルが去った後、僕は激しい疲労と自己嫌悪で脱力し、もはや放心状態となっていた。その場にへたり込みそうになりながら、二人とともに店を出ることなく、いまだ僕の隣に立っているイルに、震える声で絞り出した。


「イルさん、君も、この街から離れたほうがいいですよ。僕に関わると……」


 僕の言葉の先には、自分の汚名が彼女にも及ぶ危険があることを伝えたかった。しかし、イルの反応は僕の予想を遥かに超えていた。


「うーん。私はいいや。今のままで」


「そうです。そのほうが……って、え?」


 彼女のあまりにも淡白で予想外の返答に、僕は思わず顔を上げ、彼女の瞳を直視した。その瞳は、僕を責めることもなく、ただ静かに僕を見返していた。


「私は、オリアンの持ってる本が読めれば、それでいいんだよね」


 そうだった。彼女は当初から僕の持つ本を読むことを目的にしていた。明確な理由こそ聞いていないが、その執着には尋常ではない覚悟が感じられる。彼女にとって、この程度の騒動は取るに足らないのだろうか。


「二人は、この状況でそう判断するしかなかっただけ。オリアンの本心は、ちゃんと分かってくれてるよ」


 その一言が、僕の心の蓋を完全に吹き飛ばした。嗚咽とともに、抑えきれない涙が止まらなくなった。彼女は僕を強すぎない力で抱え込み、冷たく柔らかい細い手で僕の頭を優しく撫でてくれた。


「今日を入れてまだ三日あるから。今からでも遅くない、あと二人、キミのために戦ってくれる剣闘士を探そう」


 イルは僕の頭を軽く叩いて、立ち上がるための勇気を与えてくれた。


 イルの胸の中で恥ずかしげもなく泣き、彼女と言葉を交わすうちに、胸の奥によどんでいた重い塊が、すうっと消えていくのを感じた。


 いろいろと、吹っ切れてしまったらしい。涙と共に、僕の「正気」――あの慎重で、臆病で、惨めな理性までもが剥がれ落ちてしまったようだ。


 自分がおかしくなってしまったわけではない。むしろ、この奇妙なほどの「軽さ」には覚えがあった。

(……ああ、そうだ。あの時と同じだ)


 黒き森へ出発する前。不安が極限まで達した果てに、ふと訪れたあの静寂。今の僕は、あの時の感覚に戻っているのだ。


 もう、どうなっても構わない。


 僕は、もはやこれ以上評判を落とすことはない。街の人から嫌われることもない。ならば、ここからは失うものなど何もない。恥ずかしいとか、チンピラがどうだとか、自尊心だとか。そんな人間らしい感情は、今の僕には邪魔なだけだ。


 どこまで見返すことができるか。


 僕は、あまりにも自由で解放的な境地へと足を踏み入れていた。

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