S-157 「くふふふ、不感症ですか」
バイレスリーヴ南/巨大海門/東側関所付近バイレスリーヴ軍本陣【視点:世界(観測者)】
橋の上で繰り広げられる激闘の喧騒が、遠雷のように響く。主力部隊が全て出払ったバイレスリーヴ軍本陣。その天幕の前は、皮肉なほどの静寂と、濃密な死の気配に包まれていた。
「ほほほほ……まさか、このカンテラの効き目がこれほどとは。流石はバージェス様。私に極上の果実を与えてくださった」
体毛の一本もない、白くふやけた皮膚を持つ痩せぎすの男――ザーラムの拷問官ザゴスは、恍惚とした表情で骨のカンテラを揺らした。そこから溢れ出す白濁した光が、イルを檻のように包み込んでいる。彼女は虚空を見つめたまま、蝋人形のように立ち尽くしていた。意識はあるようだが、指一本動かせない。
「美しい……。恐怖に歪む前の、この無垢なキャンバス……」
ザゴスは、濡れた舌でイルの陶器のような頬を舐め上げた。ゾリッ、という不快な音がする。彼はその骨ばった手で、抵抗できない彼女の身体を弄るようにまさぐる。そして、黒ずんだ爪で、彼女の胸の先端を愛おしそうに、しかし確実に痛みを伴う強さで挟み込んだ。
「…」
イルの喉から、声にならない微かな息が漏れる。
「くふふふ、不感症ですか。いいえ、反応できないだけですね。この筋肉の硬直……恐怖ですか?屈辱ですか?」
ザゴスは愉悦に顔を歪め、腰のベルトから錆びついた解体用ナイフを抜き放った。
「さぁ、どう遊びましょうか。爪を一枚ずつ剥ぎますか?その綺麗な目玉をくり抜いて差し上げましょうか?それとも……腹を割いて、温かいはらわたを引きずり出しますか!?ほほほほほ!!」
「…」
イルの唇が微かに動くが、言葉にならない。ザゴスはナイフの刃先を彼女の胸元に滑らせる。ビリッ、ビリリッ。薄い衣服が裂け、白い肌に赤い線が走る。蒼い血の珠が浮かんだ。
「離れろォッ!!」
裂帛の気合いと共に、一閃の剣撃がザゴスを襲った。ザゴスは驚くべき反応速度で後退し、イルから距離を取る。
「……おや?」
そこに立っていたのは、国家元首オリアン・ワードベック。彼の両手は剣を握りしめて震えていたが、その瞳には怯えなど微塵もない。かつて深海神に憧れた青年が宿していた、静かで、冷たく、そして激しい「蒼い怒りの炎」が、その双眸で燃え盛っていた。
「ほほほほ!これはこれは、総大将閣下ではありませんか」
ザゴスはイルへの興味を一時中断し、ゆらりとオリアンに向き直った。両手に逆手で持った二本のナイフを、カチカチと打ち鳴らす。
「貴方の『処理』の優先順位は2番でしたが……構いません。予定変更だ。先に殺して、その生首に、この女を犯す様を見せつけて差し上げましょう」
「下衆が……ッ!」
オリアンが剣を構え直す。ザゴスはその姿を見て、鼻で笑った。
「へっぴり腰ですねぇ。書類仕事がお似合いの元首様が、人殺しの道具を振り回すなど……」
言い終わるよりも早く、ザゴスが動いた。人間離れした動き。彼は四つん這いになり、まるで巨大な蜘蛛のように地面を這って肉薄してきた。
「シッ!」
下段からの高速の刺突。オリアンの太腿を狙った一撃。
だが――。
ガキンッ!
オリアンの剣が、正確にそのナイフを弾いた。
「なッ!?」
ザゴスの目が僅かに見開かれる。まぐれではない。オリアンは、ザゴスの変則的な動きを「視て」いた。
かつて「臆病者」と蔑まれた男。だが、臆病とは「恐怖を知る」ことだ。誰よりも死を恐れ、痛みを恐れた彼は、この数週間、公務の合間を縫って剣を振るい続けてきた。グリンネルに頭を下げ、ファルクレオの型を見取り、生き延びるための術を、血の滲むような反復練習で身体に叩き込んできたのだ。
「フンッ!」
ザゴスが左右のナイフで連続攻撃を仕掛ける。上、下、右、左。変幻自在の連撃。オリアンは唇を噛み締め、必死に剣を合わせる。防戦一方だ。紙一重でかわした頬に傷ができ、肩口の服が裂ける。
(速い……!でも、見えないわけじゃない!)
グリンネルが見せてくれた「足運び」と「剣裁き」。それらが脳内で明滅し、ザゴスの殺意の軌道を予測させる。
「ほう……。意外としぶとい」
ザゴスは攻め手を緩めず、オリアンの周りを円を描くように這い回りながら、嘲笑を投げかける。
「ですが、所詮は付け焼き刃。呼吸が乱れていますよ?腕が上がらなくなってきているんじゃありませんか?」
オリアンの肺が悲鳴を上げ、剣を持つ手が鉛のように重くなる。ザゴスは、その疲労を見透かしたように、ねっとりと言葉を続けた。
「無駄ですよ。貴方がどれだけ足掻こうと、結末は変わりません。あの女は私が壊し、貴方は私が殺す。……ほほほ、絶望こそが最高のスパイスだと思いませんか?自分の無力さを噛み締めながら死ぬ気分は、どうです?」




