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S-154 「どうしても伝えておきたい、大切な話があるんだ」

内海/ゼーデン帝国首都・レクイウム連合王国フロースフォンス領間航路【視点:世界(観測者)】


 内海の波を切り裂く、巨大な黒き船体。マストには、血のような赤と、雷光のような黄、深淵のような黒で染め抜かれた帆が掲げられている。

 ゼーデン帝国海軍が誇る総旗艦《皇帝の牙》。その船長室には、帝国皇帝ソラス・マグ・ファランの姿があった。


 彼の前には、精鋭部隊《千弓》と、諜報部隊《百影》の隊長格たちが、直立不動で整列している。


「――聞け。この海戦は、単なる領土の奪い合いではない」


 ソラスの低い声が、船底から響くような威圧感を持って室内の空気を震わせた。


「我らが背にあるのは帝国の威信、そして守るべき民の安寧だ。レクイウムの氷の魔女どもに、帝国の『鉄の規律』を教えてやれ。……一歩も引くな。海を赤く染め上げ、我らが覇道の礎とせよ」


「「「ハッ!!我らが皇帝陛下に勝利を!!」」」


 隊長たちの返答は、一糸乱れぬ統制の下、鋼のような響きを持って返された。

 その様子を、一歩引いた場所から見つめる二つの影があった。バイレスリーヴからの客人でありながら、不在の長官ゲアラハに代わり《百影》を率いることとなったディナリエル。そして、その副官を務めるノエルだ。


「……あいつ、大丈夫でしょうか」


 ノエルが、視線を壁――遥か彼方の海底トンネルや巨大海門がある方向へと向け、不安げに呟いた。


「ルガルフか?……あの子なら大丈夫だろう」


 ディナリエルは気丈に答えたが、その手は自身の法衣の裾を強く握りしめ、微かに震えていた。彼女の脳裏に、かつて経験した600年前の大戦の記憶が蘇る。だが、目の前に迫る気配は、あの時よりも遥かに巨大で、禍々しい。


「ボス……?」


 ノエルは、ディナリエルの震えを察知し、不安を覚えた。


「ノエル…」


 ディナリエルは、ふと柔らかい、どこか儚げな笑みを浮かべて、自身の下腹部にそっと手を添えた。


「この戦いが終わったら……。お前に……どうしても伝えておきたい、大切な話があるんだ」


「え……?大切な話って……」


 ノエルの表情は何かを察したようなものだった。


「さあ、行くぞ。我々は影として、東の地を守らなければならない」


 彼女はノエルの問いを遮り、決然と踵を返した。その背中は、母としての優しさと、死地へ向かう戦士の覚悟が同居していた。


 総旗艦《皇帝の牙》を中心として、帝国の名門貴族たちが率いる艦隊が、威風堂々と並走していた。


 質実剛健な重装甲艦を率いるグレングラン家の《鉄槌》。高速機動を得意とするドルモア家の《疾風》。強力な魔導砲を搭載したバルブレア家の《雷鳴》。そして、鉄壁の防御陣形を敷くダラスドゥ家の《城壁》。


 それぞれの家紋を掲げた帆船群は、まさに海上の要塞都市のようだ。


 その一角、ドルモア家の艦の甲板に、一人の男が立っていた。潮風に長い髪を遊ばせ、爽やかな笑みを浮かべる男。帝国将軍にして《千弓》の長、オルタだ。


「くぅ〜ッ!痺れるねぇ、この大舞台!震えが止まらないよ」


 彼は愛弓を肩に担ぎ、キョロキョロと周囲を見渡した。


「……うちの可愛いティナちゃん、どこほっつき歩いてるんだか。ま、あのじゃじゃ馬のことだ、この祭りを逃すなんてないだろうけど」


 オルタは肩をすくめると、青く澄み渡る空を見上げた。そして視線をゆっくりと下ろし、水平線へと向ける。


「……おっと。お喋りはここまでか」


 彼の瞳から、笑意が消え、射手の冷徹な光が宿る。


 水平線の彼方。そこには、海そのものを埋め尽くさんばかりの、白と青と黄で染められた無数の帆が現れていた。


 ■ ■ ■


内海/レクイウム連合王国フロースフォンス領・ゼーデン帝国首都間航路


 磨き上げられた最高級の白木で作られた巨大な船体が、内海の波に揺られていた。

 その船体は、単なる兵器であることを拒絶するかのように美しい。舷側には神話をモチーフにした精緻な浮き彫り(レリーフ)が施され、手すりや窓枠には金細工の装飾が陽光を反射して輝いている。


 文化と豊かさの象徴である――そんな王国の美学を体現した総旗艦トロヌス・カンディドゥス。マスト上の見張り台から敵影発見の報がもたらされると、優雅な静寂に包まれていた甲板は、洗練された臨戦態勢へと切り替わった。


 その様子を、芸術的な装飾が施された船楼から見下ろすのは、レクイウム連合王国国王レガリオ。泰然自若としたその瞳は、彼方の水平線を睨みつけている。

 その傍らには、かつて大陸全土にその名を轟かせた「歌姫」、王妃ディーバが寄り添っていた。

 戦場には似つかわしくない豪奢なドレスを纏いながらも、その立ち振る舞いは一国の母としての強さを秘めている。


 そして、二人の玉座を守護するように、一人の巨人が佇んでいた。近衛隊長トゥーバ。

 その身を包むのは、王国の工芸技術の粋を集めた、目も眩むような豪奢なフルプレートアーマーだ。白銀の装甲には金糸で王家の紋章が象嵌され、関節部や兜には大粒のサファイアやルビーが埋め込まれている。彼は、自身の背丈ほどもある巨大な戦斧――これもまた精緻な彫刻が施された逸品――を甲板に突き立て、その柄に両の手を重ねて置いていた。


「……各個、迎撃準備。敵の射程外から、我らの領域へ引きずり込め」


 甲板に集まった各隊長格に対し、王国の頭脳である軍師クリント・リュセックが、指揮棒を振るうかのように優雅、かつ冷徹な声で戦術を共有する。彼の指示は簡潔にして緻密。兵士たちは迷うことなく、自身の役割を理解し、配置についていく。

 全ての手配を終えたクリントが、船楼へ視線を送り、恭しく一礼した。その合図を受けた王妃ディーバは、一度深く息を吸い込んだ。


 清涼な海風が、彼女の肺を満たす。次の瞬間。


「――――♪」


 透き通るような歌声が、戦場の空気を震わせた。それに合わせ、甲板に控えていた宮廷音楽隊が、勇壮かつ幻想的な旋律を奏で始める。ディーバの歌声は、船に設置された魔導拡声器によって魔力を帯び、風に乗って連合王国の全船団へと響き渡った。


 それは、兵士たちの恐怖を拭い去り、心臓に熱い炎を灯す「戦乙女の鎮魂歌レクイウム」。


 総旗艦の周囲を展開する、四領の代表艦。


 水の都フロースフォンスの高速艦《アクア・セレナータ(水の小夜曲)》。芸術と文化の都ロスミネラからは、船体自体が極彩色の絵画のように彩られた重装甲艦《タブラ・ムサルム(女神の画板)》。氷で閉ざされた都市ニゲルネムスからは、氷山から削り出したかのような冷厳な美しさを持つ隠密艦《ハスタ・グラキアリス(氷の槍)》。そして、険しい山に囲まれた鉄鉱石の都市アルゴエイムからは、鋼鉄を芸術的な曲線美へと昇華させた輸送護衛艦《ラプソディア・フェレア(鉄の狂詩曲)》。


 それぞれの船もまた、各領土の特色を表す美しい装飾で彩られている。それぞれの甲板で、領主と騎士団長たちが剣を抜き、歌声に応えるように空へ掲げた。


「王妃陛下のために!我らが誇り高き祖国に勝利を!!」


 歌声を聞いた数万の兵士たちが、腹の底から雄叫びを上げる。その声は重なり合い、うねりとなって海面を震わせた。恐怖に震えていた心は今、研ぎ澄まされた戦意へと昇華されていた。


 その熱狂的な光景を見渡し、国王レガリオの瞳には、王としての責務と、一人の人間としての深い憂いが交錯していた。彼の脳裏にこびりついて離れないのは、この開戦の決定打となった『血の間』からの意思。


 本当に、今、帝国と殺し合う必要があるのか?


 彼は、きしむほどに手すりを強く握りしめた。隣で歌う妻ディーバの横顔と、信じて叫ぶ兵士たちの姿が、胸を締め付ける。


(……ソラスよ。貴様ほどの男なら、気づいているのではないか?この戦いが、我らの意思ならざる者の手による狂宴だということに)


 レガリオは、彼方の水平線に浮かぶ、禍々しくも力強い黒き船団を見つめ、誰にも聞こえぬ声で呟いた。


「……我らは、あの忌まわしき『血の間』のてのひらで踊る道化に過ぎぬのかもしれん」


 彼は一度目を伏せ、迷いを断ち切るように、ゆっくりと瞼を開いた。そこには、悲壮な覚悟の光が宿っていた。


「だが……道化とて、守るべき愛しき者たちがいる。例えこれが仕組まれた舞台であろうとも、この国が築き上げた『美しき結束』だけは……焼き尽くさせはしない」


 レクイウム連合王国の大船団。吹き抜ける風と共に、絢爛なる王国の軍勢が、自らの運命に抗うかのように、帝国の無骨な鉄塊を飲み込むべく、内海の中心で衝突しようとしていた。

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