S-153 「……みぃつけた」★
【警告】 今回は敵キャラクターによる、非常に不快かつグロテスクなシーンが含まれます。耐性のない方は閲覧を強く推奨しません。
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バイレスリーヴ南/巨大海門/東側関所付近バイレスリーヴ軍本陣【視点:世界(観測者)】
天幕の前で戦況を見つめていたイルの表情から、感情という色が抜け落ちた。黄金色に輝く狂戦士たちと、蹂躙される味方。彼女の「黄金の瞳」は、その現象の正体を瞬時に解析していた。
『……あれは、駄目なやつだ』
イルの呟きに、内なるルトが冷徹に同意する。
『行きましょう、イル。このままでは、カースランたちも含めて全滅します。あの薬は、命の前借りを通り越して、魂を燃料に肉体の限界を強制突破させている……人の身で抗えるものではありません』
『うん』
イルが小さく頷き、一歩、前へ踏み出そうとした。
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ザーラム東/巨大海門/西側関所付近ザーラム軍本陣
はるか彼方。肉の壁に埋め込まれたような細い瞳が、戦場の喧騒を越えて「それ」を捕らえた。
「――みぃつけた」
執政官バージェスは、黄金衆に担がれた豪奢な輿の上で、ねっとりと唇を歪めた。
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バイレスリーヴ南/巨大海門/東側関所付近バイレスリーヴ軍本陣【視点:蒼い髪の女イル】
一歩を踏み出した瞬間、視界の端で何かが光った。
途端に空間がぐにゃりと歪む
「あれ……まずい、かも……」
橋桁の死角から、音もなく這い上がってきた影がある。体毛が一本もなく、病的なまでに白い肌をした痩せぎすの男――ザーラムの拷問官。彼の手には、骨で作られたカンテラが握られており、そこから放たれる白濁した光が私を捉えていた。
『イル!あのアーティファクト!何かある!!』
ルトの警告は遅かった。いや、光の速さには誰も勝てない。
「……ッ!?」
私の動きが、強制的に停止させられた。金縛りではない。空間そのものが凍結させられたような、絶対的な拘束。
『イル!?どう……たんで……か!?』
ルトの声が、水の中にいるように籠もって聞こえる。身体が鉛のように重く、指一本動かせない。魔力の循環が遮断され、意識と肉体の接続が切り離されていく。不気味な男は、涎を垂らしながら四つん這いで近づいてくる。黄色く濁った目が、獲物を品定めするようにギラついている。
(だめだ……身体が……動かない)
ザゴスは、蜘蛛のような動きで私の足元に辿り着くと、私の身体を這い上がるように立ち上がった。冷たく湿った指が、頬を、首筋を、好き勝手に愛撫する。
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バイレスリーヴ南/巨大海門/橋上【視点:世界(観測者)】
ズリュッ。ベキッ、グチュ。
橋の上、死体の山の中から、耳慣れない湿った破壊音が響いた。戦っていた冒険者たちが、何事かと振り返る。音の発生源は、先ほどラーガンと刺し違えて死んだはずの、《猟犬のボルバ》だった。
彼は糸で操られる壊れた人形のように、関節があり得ない方向へ曲がりながら立ち上がると、ゆらりと狂化したシャルドに向かって駆け出した。《ヴィガーラクリス》で怪物と化したシャルドが、羽虫でも払うようにボルバを斬り捨てようとした、その瞬間。
バヂュンッ!!
ボルバの顎が外れ、口腔が限界を超えて裂けた。そこから深蒼の色をした、濡れそぼる無数の触手が爆発的に飛び出した。それはまるで、彼が死の淵で覗き込んだ「深淵」が、彼の肉体という器を食い破り、現世に顕現したかのようだった。
「ガ、ア……!?」
触手は槍のようにシャルドの顔面に突き刺さる。口を、目を、耳を、鼻孔を、無理やり押し広げ、ズルズルと体内へ侵入していく。
「オ”……オ”……アガッ、ゴォォォ!!」
シャルドは狂乱し、自らの顔を掻きむしってボルバを引き剥がそうとする。爪が肉に食い込み、自らの顔面を削ぎ落としても、侵入は止まらない。触手の力は人の理を超えていた。メリメリと頭蓋が内側から砕ける音が響き、次の瞬間、シャルドの身体は触手によって高々と持ち上げられ――破裂するように、空中でバラバラに引き裂かれた。
「ひッ……!」
戦場が阿鼻叫喚に包まれる。だが、悪夢は終わらない。異形と化したボルバの背骨が弾け飛び、腹が裂け、無数の蒼い触手が溢れ出す。それは意思を持った生き物のように蠢き、近くにいた黄金衆の足首を絡め取り、次々と引き寄せる。
「ア”ア”ア”ッ!!」
捕らえられた黄金衆の、穴という穴に触手が潜り込む。内側から貪られ、蹂躙され、金色の血管を撒き散らして絶命していく狂戦士たち。圧倒的な暴力を誇った黄金衆が、為す術もなく、壊されていく。
「う、うおおおおッ!!やっちまえぇぇぇ!!」
「すげぇぞボルバ!食い尽くせぇ!!あいつらを地獄へ送れ!!」
その地獄のような光景に、はじめは恐怖を感じていたバイレスリーヴ陣営の中から、いつしか熱に浮かれたような歓喜の声が湧き始めた。
敵が死ぬなら、それがどんな冒涜的な手段であっても構わない。極限状態の精神が、倫理観を焼き切り、狂気が狂気を上書きしていく。
「ボルバ……どうかしている。皆、どうかしちまってる……」
《斑》の唯一の生き残り、弓使いのシャラヴだけが、弓を取り落とし、ガタガタと震えていた。
薬で理性を失った金色の怪物たち。それと対峙する、死してなお動く蒼い怪物。そして、その怪物を英雄のように讃え、血走った目で叫ぶ味方たち。ここはもう、人の住む世界ではない。
その混沌とした橋上の戦場に、場違いなほど優雅で、澄み切った鈴の音が響いた。
チリン、チリン――。
その清らかな音色は、断末魔と狂騒を切り裂き、冷水を浴びせられたように場を静寂で包み込んだ。冒険者たちが息を呑む。
血と内臓の海を割って現れたのは、四人の屈強な黄金衆に担がれた、巨大で豪奢な輿。担ぎ手たちは、足元に転がる死体を無造作に踏みつけながら、厳かに進んでくる。
その輿の上。幾重にも重ねられた絹のクッションに巨体を沈め、宝石を散りばめた衣服を纏った肉塊が鎮座して血と内臓の海を、ゆっくりと割って進み出たのは、四人の屈強な黄金衆に担がれた、巨大で異様に豪奢な輿だった。
担ぎ手たちは足元に転がる死体や、まだ痙攣する肉塊を一顧だにせず、まるで絨毯の埃でも踏み潰すかのように、無造作に踏み越えてゆく。
その歩みは一切乱れず、戦場の喧騒すら彼らの進軍を妨げることはなかった。
輿の上には、幾重にも重ねられた絹のクッションに身を沈めた、もはや「人」と呼ぶには躊躇われる巨大な肉塊が鎮座していた。
――執政官バージェス。
宝石を惜しげもなく散りばめた衣服は、その膨れ上がった肉体に食い込み、脂肪の隙間から覗く肌は、不健康な光沢を帯びて脈打っている。
彼は手にした真っ赤な果実を、皮ごと無造作に噛み砕いた。
ぐしゃり、と湿った音が響き、溢れ出た果汁が、その分厚い唇と顎を赤く濡らして滴り落ちる。
その視線は、眼前に広がる惨劇――
血に染まった大地と、積み上げられた死体の山へと向けられていた。
そこに、恐怖はない。
嫌悪もない。
細められた小さな瞳に宿っているのは、ただ――
初めて見る玩具を前にした子供のような、無邪気で、底知れず、そして救いようのない「食欲」にも似た、満面の笑みだけだった。




