S-150 「『深淵』を……引きずり出してこい」
ザーラム東/巨大海門/西側関所付近ザーラム軍本陣【視点:世界(観測者)】
「ほ、報告しますッ!!」
豪奢な天幕の中に、伝令兵の悲鳴のような声が響き渡った。彼は土下座をするように平伏し、震える声で告げる。
「ら、ラーガン将軍……討ち死に!前線部隊は指揮系統を失い、崩壊しつつあります!」
ザーラム軍の要であり、数万の兵を統率していた猛将の死。それは本来、軍の敗北を意味する絶望的な凶報だ。天幕内に控える文官たちが、顔面蒼白になってざわめき立つ。
だが、この場の「主」の反応は、あまりに異質だった。
「――ククッ」
乾いた笑い声。天幕の最奥、何重にも重ねられた絹のクッションに身を沈めていた執政官バージェスは、手にした果実を齧りながら、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「脆い。脆すぎるのう、ラーガンよ」
「は、はぁ……?」
「数で押し潰すだけの簡単な仕事すら全うできんとは。所詮は、古びた玩具だったか」
バージェスは食べかけの果実を、汚物でも捨てるように床へ放り投げた。彼の周囲には、一糸纏わぬ姿の美青年たち――親衛隊《黄金衆》が、彫像のように無言で侍っている。甘い香油と、腐った果実の匂いが混じり合うその空間は、戦場の狂気とは別の、頽廃的な狂気に満ちていた。
「へ、陛下……撤退の指示を……」
文官の進言を無視し、バージェスは天幕の入り口から見える石橋の彼方、バイレスリーヴ側の陣地をねっとりと見つめた。その肉に埋もれた瞳の奥で、底知れぬ欲望の光がギラリと輝く。
「見えぬか。……あの薄汚い冒険者どもの背後に、得体の知れぬ『何か』がおる」
彼は感じ取っていた。ラーガンを殺し、戦局を覆したのが、単なる人間の力ではないことを。そして、その「力」こそが、退屈な世界で唯一、己の渇きを癒やす極上の獲物であることを。
「シャルド」
バージェスが、傍らに控える青年に声をかけた。かつての愛人シェルクと瓜二つの顔を持つ、黄金衆の隊長。だがその瞳には、感情の欠片もなく、ただ金色の光だけが冷たく宿っている。
「はっ」
「行ってこい。雑兵どもには用はない」
バージェスは、肉厚な舌で唇を舐め回し、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「敵に潜む『深淵』を……儂の前まで引きずり出してこい」
「御意」
シャルドが一礼すると、周囲に控えていた黄金衆の美男子たちが一斉に立ち上がった。彼らは無言のまま天幕を出て、戦場へと歩き出す。その肌には、興奮剤と人体改造の影響による金色の血管が、美しくも醜悪な紋様となって浮き上がっていた。
「さあ、見せてみろ。この世の理を超えたその姿を……」
バージェスは、去りゆく黄金の背中を見送りながら、新たな玩具の到着を待ちわびる子供のように笑った。




