S-144 「お前ら、冗談だろ?」
ギルドのカウンター裏は、かつてないほどの書類の山に埋もれていた。《国家最高位クエスト(グランド・オーダー)》。
ザーラム・レクイウム連合軍との大戦に備えた、国を挙げての総動員令。その膨大な事務処理を前に、現ギルドマスターであるグラースは頭を抱え、唸り声を上げていた。
「ぐぬぬ……兵站の確保に、各クランの配置図……?こっちは誰が誰と仲が悪いとか、そういうのしか分からねぇっての!」
ペンを剣のように握りしめ、脂汗を流すグラース。そんな彼の横から、一枚の羊皮紙をスッと抜き取る手が現れる。
「貸してみろ。……第3小隊と第7小隊は配置を逆に。水場の確保ルートが重複している」
手際よく指示を書き込み、次々と書類を捌いていくのは、恩赦を受けた前ギルドマスター、アドホックだった。その処理速度はまさに神業。彼は呆然とするグラースに視線を向けず、淡々と口を開いた。
「グラース。今日は久しぶりに店を開けると聞いたが」
「あ、ああ……!出陣前の景気づけですよ。潮風通りを丸ごと乗っ取ってね。ダイアナさんと学園の子供たちも手伝ってくれてるんです」
グラースの表情が、苦悩から一転、料理人のそれへと輝き出す。
「盛大に盛り上げますよ。明日死ぬかもしれない連中に、最高の飯を食わせてやりたい。この国の為に、俺なりに一肌脱ごうってわけです」
「……いい心がけだ。だが、看板娘も辞めてしまったのだろう?人手が足りんはずだ」
アドホックはペンを置き、顎で出口をしゃくった。
「ここは私が預かる。行ってこい。お前がいないと始まらん」
「アドホックさん……」
グラースは感極まったように鼻をすすり、深く頭を下げた。
「ありがとうございます!最ッ高の料理を仕込んできます!!」
彼は巨体を弾ませ、嵐のようにギルド会館を飛び出していった。その背中を見送り、アドホックの隣で補佐をしていたグラースの娘、バラが、ふう、と息をつく。
「もう。パパったら、てんで事務作業がさっぱりで。会長に戻ってきてもらってホッとしてます」
「はは。アイツは料理と殴る以外はアレだからな」
アドホックとバラが顔を見合わせ、温かな笑い声を上げた。ギルドは、いつもの活気に包まれているように見えた。
――そこへ、二組の冒険者チームが入ってきた。
中堅の実力派パーティ『カエル団』と、彼らと兄弟分のように仲が良い『結縁団』だ。剣士エイダン率いるカエル団。大剣使いベーガン率いる結縁団。彼らは依頼掲示板の前で、楽しげに談笑を始めた。
「ねぇ見た?今日、潮風通り、めっちゃ子供たちがいたよ!すっごいお祭り騒ぎになるんだって!」
「絶対行くし!ベーガン、あとで奢ってよー」
「えー、ニーヴ姉さんのほうが稼いでるだろ……」
弓手のエルフ、ニーヴがベーガンの背中を叩き、重戦士たちが笑い合う。明日をも知れぬ戦場の前の、束の間の平和。だが、ふと結縁団のドワーフ、ダラハが声を潜めた。
「……にしてもさ。最近、街の雰囲気が変じゃない?」
「変?」
「ああ。ほら、あの流行りの新興宗教……ルヌラとか言った?あれ、アタイはどうも受け付けねぇんだ。なんつーか、生理的に気色が悪い」
ダラハが嫌悪感を露わにし、大剣使いのベーガンも頷く。
「わかる。最近、妙に信者が増えてるよな。みんな目が虚ろというか……」
同意を求めるように、彼らはカエル団の面々を見た。カエル団のリーダー、エイダンが首を傾げる。
「そうかなぁ。素晴らしい教えだと思うけど」
「……え?」
あまりに屈託のない返答に、結縁団の空気が止まる。横にいた重戦士コーマックも、無表情で続いた。
「この戦時において。心の平穏をもたらすものは大切にすべきだ」
「アリルも、祈りを捧げてるよね」
エルフのニーヴが、魔術師アリルを指差して微笑む。
「まあ、ウチは元からやけどな」
「お、おい……お前ら、冗談だろ?」
ベーガンが一歩後ずさり、エイダンの顔を覗き込んだ。
「あれ?お前……なんか、目の色が……」
茶色だったはずのエイダンの瞳。その奥に、じっとりと湿った「蒼い光」が混じっているように見えた。
「え?」
エイダンが、きょとんとして瞬きをする。次の瞬間、その瞳はいつもの陽気な茶色に戻っていた。
「……なんだよベーガン、変な顔して。俺の顔になんか付いてるか?」
「……いや、なんでもねぇ。気のせいか」
ベーガンは乾いた笑い声を絞り出した。気のせいだ。きっと、戦争前の緊張で神経が過敏になっているだけだ。そう自分に言い聞かせる。
だが、カエル団の四人が浮かべた笑顔は、どこか張り付いたように均一で――彼らが去った後の賑やかな喧騒の裏では、不可視の「蒼」が、確かな質量を持って足元まで満ち始めていた。




