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S-143 「これより先は、後戻りできない」

概念の彼方/アカシャ山脈の頂【視点:世界(観測者)】


 そこは、色も、音も、風さえも存在しない「無」の極致。世界を形作る理が剥き出しになった、白亜の頂。


 バルロフ・ベオ・イスカリアとその一行は、我々に接触し、「蒼」の上陸以降、我々が遍く記録してきた全ての事象の共有を求めた。我々は、彼らの覚悟に応じ、その禁じられた扉を開いた。


 彼らは今、雲海よりも遥か高く、踏み外せば存在ごと消滅するような、白き石の階段を下っている。


「……やはり、『父上』の威光がなければ、魔王らは動かせないか」


 先頭を行くバルロフが、自嘲気味に呟く。その視線は、虚空の彼方を見据えていた。


「いや、1400年前の父がかけた恩を、今さら蒸し返そうとする私の方が常軌を逸しているな」


 バルロフは、自身の思考に嫌悪を滲ませた。


(1400年の時を経て、欲と傲慢の化身と化したバージェスに頼らざるを得ないとは……人として失格だ。だが、もはや、手段を選んではいられない)


 あの怪物ならば、頼まずとも、自身の享楽のために動くであろう。だが、その過程でどれだけの人間が玩具として壊されるか。


 それを思えば、バルロフは吐き気を催さずにはいられなかった。

 乾いた足音が、無限に続く白亜の階段に響く。


「バルロフさん」


 沈黙を破ったのは、グリンネルだった。彼の声は震え、その問いを口にすること自体を恐れているようだった。


「本当に、彼女が……イルが、『そう』なのか」


 バルロフは足を止めず、背中越しに答える。


「観測者の語ることは絶対だよ。彼らはすべてを観ている。過去も、現在も。……そして、今この瞬間だってそうだ」


 その言葉に、グリンネルはハッと息を呑んだ。彼は何かを察知し、恐る恐る頭上を見上げた。そこには何もない。ただ白い虚空があるだけだ。しかし、彼は確かに感じ取っていた。自分たちを見下ろす、「視線(我々)」の存在を。


「嘘だって……信じたい」


 キノルが悲痛な声を漏らす。彼女は耳を塞ぎたい衝動を堪えるように、隣を歩くグリンネルの手を強く握りしめた。


「私に言わせれば、君たちが狂う前に『蒼』の精神汚染から離れられたことを、幸運に思ったほうがいい」


 バルロフの言葉は冷徹だった。真実を知る者としての慈悲ゆえの冷たさだ。


「俺は……彼女を、斬ることができるだろうか」


 グリンネルの足が止まる。脳裏に浮かぶのは、共に走り、共に笑った蒼い髪の少女の笑顔。


「君が斬らなければいけない。『紅』に認められし君が」


 バルロフが振り返る。その言葉に応じるように、グリンネルの腰に佩かれた魔剣ドリヒレが、ドクン、と赤い熱を帯びて脈動した。それは警告であり、残酷な使命の催促だった。


 俯くキノル。その震える肩を、グリンネルは無言で支える。その二人を背後から見つめる影があった。


「…………」


 クーカ。大地を司る原初の神の遣い「フェンリル」の化身として、バルロフに見出された存在。

 だが、その冷え切った心の奥底には、捨てきれない過去がよどんでいた。彼女は、二人が繋いだその手に、かつて自分が知っていた「ぬくもり」を重ねていたのだ。それはもう二度と戻らない、温かな日々の記憶だった。


「フェンリルの化身、君もだよ。魔王達の支援が得られない以上、私は君達だけが頼りだ」


 バルロフの言葉に、クーカはフン、と鼻を鳴らす。その瞳には、暗い炎が揺らめいていた。


「勘違いしないで。私は、あの忌々しい『血』の眷属たちを根絶やしにできれば、それでいいの。『蒼』が片付いたら、次はあんたにも牙を剥くから」


 そううそぶく彼女の心は、かつて大切な人々を無残に奪われたあの日から、復讐のためだけに脈打っている。


「はは、それは手厳しい」


 バルロフは苦笑を浮かべ、何も言わずに再び歩き出した。

 やがて彼らは、長い階段の終着点へと辿り着く。そこは、幾つもの純白のモノリスが墓標のように静かに立ち並ぶ、最果ての広場だった。


「心しておくように。――これより先は、後戻りできない」


 バルロフは静かに告げると、その内の一つ、下界へと繋がるモノリスに手を触れた。

 音もなく光が溢れ出す。彼らの姿が、白い光の中に溶けていく。神聖なる観測の座を離れ、血と泥に塗れた、最後の戦場へと還っていく。


 我々は、ただ黙して彼らを見送った。

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