S-14 「汚いですね。吐き気を催さないでください」
【お知らせ】
S-1~S-3の前書きに、本編主人公のイルの画像イメージを掲載しました。
バイレスリーヴ/潮風通り/冒険者の宿、赤帽子【視点:臆病者オリアン】
「オリアン!起きて!緊急事態!」
バンバンバン!と扉を叩く音と、切迫したイルの声で叩き起こされた。窓から差し込む朝日は高く、完全に寝坊だ。昨晩の《黄金の潮風亭》での決起集会で飲みすぎたせいで、頭の中で鐘が鳴り響いている。
「は、はい!今開けます!」
慌てて服を着て扉を開けると、そこには深刻な顔をしたイルが立っていた。
僕は、館を追い出されてから、宿《赤帽子》に身を置いていた。イルが偶然同じ宿に泊まっているのを知って、運命すら感じた。
そんな彼女。朝日に透ける蒼い髪、宝石のような瞳。相変わらず浮世離れした美しさだが、その表情は世界の終わりを見たかのように絶望している。
「ど、どうしたんですか?!」
「お金がない」
「……はい?」
「お金がないの。一文無し。昨日の飲み会で全部使っちゃった」
彼女は空っぽの革袋を逆さにして振ってみせた。チャリンとも言わない。昨晩、あれだけ飲み食いし、さらに葡萄酒まで詰め代えまでもらっていれば当然だ。だが、彼女は「商人」を名乗っていたはずでは……。
「ということでオリアン、稼ぐよ!手っ取り早く!」
「えぇ……頭が痛いんですが……」
有無を言わさず腕を引かれ、僕は二日酔いの頭を抱えながら、朝の街へと引きずり出された。街ゆく人々が、不釣り合いな僕たちを好奇の目で見る。だが、隣を歩く彼女の「無邪気な強引さ」に、僕は少しだけ救われている自分に気づいていた。
■ ■ ■
バイレスリーヴ/潮風通り/冒険者ギルド会館前
「うわ、なんか……想像と違う」
冒険者ギルドの扉を開けた瞬間、イルが顔を引きつらせた。むっとする汗と酒の臭い、怒号と笑い声。薄暗いホールには、荒くれ者たちがひしめき合っている。「冒険」という言葉にキラキラした幻想を抱いていた彼女にとって、ここはただの「野蛮人の巣窟」に見えたらしい。
僕は反射的に身を縮こまらせ、視線だけでホール内を素早く巡回した。
(い、いないよな……)
探していたのは、僕と因縁の《ブーア》の一味だ。
あの赤い顔の大男がいたら、僕なんてひとたまりもない。幸い、彼らの姿は見当たらなかった。僕は胸を撫で下ろす。
「よし、帰ろう」
「ちょ、待ってくださいよ!」
きびすを返そうとするイルを引き留める。さっきまでの勢いはどこへ行ったんだ。その時、奥から底抜けに明るい声が飛んできた。
「あらー!キミたち、いらっしゃい!」
《黄金の潮風亭》の看板娘であり、ここの受付嬢でもあるバラさんだ。
「あっはっは、ブーちゃん達はクエストに出たばかりだから安心しなさい」
僕の挙動不審な様子から全てを悟った彼女のおかげで、なんとか僕たちはカウンターへと辿り着くことができた。
■ ■ ■
「手っ取り早くお金が欲しい?そんな貴女。お姉さんが冒険者ギルドとそのシステムについておしえてあげようじゃないか!」
バラは、イルと僕に冒険者ギルドについて簡単に説明をしてくれた。
「冒険者ギルドってのはね、この国で商業者ギルドの次に規模の大きい団体なのよ」
バラは慣れた手つきで書類を取り出す。
「街の人たちから様々な依頼が寄せられて、それを《クエスト》として冒険者が達成すると報酬がもらえる。シンプルでしょ?」
「面白そう!」
イルが興味深そうに身を乗り出す。
「登録は誰でもできるんだけど、クエストは実力に見合わないものは受けられないのよ。だから階級があってね」
バラは指を折りながら続ける。
「見習い級、初級、中級、上級。それから、相当すごい人だけが達人級。さらにその上に英雄級とか伝説級とかあるけど、まぁこのへんは関係ないわね」
「私は何級?」
「登録したばかりは見習い級ね。簡単な採取とか、迷子のネコ探しとか、そういうのから始めるの」
バラはイルに羊皮紙を提示した。誓約書と、出身国、氏名を署名する内容のもの。
イルは記入箇所に見慣れない国の名前と、自分の名前を書き込み、バラに提出する。
「ふんふん、ヒュム……オニス?それどこ?」
バラは僕と同じ疑問を抱いた。
「えーと、大陸の果てにある、人里離れた場所です」
イルは当たり前のようにバラに話す。
「へー。初めて見た地名ね。世界は広いわー」
バラはその羊皮紙に登録を受け付ける印を押し、今日の日付、星灯暦1134年航海月3週2日と書き込んだ。
「これでよし、あっという間。イルちゃんは、今日からめでたくバイレスリーヴ冒険者ギルドの見習い冒険者となりました」
バラはイルにハイタッチをしている。
「で、さっきから『自分は関係ない』って顔をしているオリアンくん」
バラがいじわるそうな顔をする。
「キミは……大昔にエドワルドさんに連れられて嫌々登録したんだよね……ここに見習い級のキミの登録証がありまーす!」
僕が昔に父に書かされたときの誓約書をひらひらとちらつかせた。
「なんだ、オリアンも登録してるじゃん」
「いや……これは……まずい気が」
僕はバラが悪だくみをしていることを察した。
「ということで、見習い級の二人に、ちょうどいいクエストがあるの。《つめた茸》の採取。場所は海風の洞窟。報酬は銀貨2枚!」
「銀貨2枚!?受ける!」
イルが即答する。
「はい、まいどー!」
単純だ。だが、海風の洞窟は入り組んでいて地元民でも迷う場所だ。不安を抱えながらも、バラさんの笑顔とイルの勢いに押され、僕たちは街の外れへと向かうことになった。
■ ■ ■
バイレスリーヴ西/海風の洞窟【視点:蒼髪の少女イル】
洞窟の中はひんやりとしていて、潮の香りと湿った岩の匂いが充満していた。奥へ進むと、海水が入り込んだ地底湖が青白く輝いている。
「綺麗……」
「見とれている場合じゃありませんよ、イル。さっさとキノコを見つけてください」
頭の中でルトが急かす。バラさんから借りた資料によれば、《つめた茸》は小動物の通り道や、特定の湿気が溜まる場所に生えるらしい。
「オリアン、キノコってどの辺にあると思う?」
「ええと、本で読んだ知識ですが……コウモリの糞が多い場所や、風の通り道なんかですね」
オリアンが本で得た知識をもとに一生懸命解説してくれるが、要するに「痕跡」を探せばいいってことだ。私は意識を集中させ、瞳の「絞り」を開放した。
『――さーて』
世界が一変する。岩肌の色、水の反射、そんな表面的な情報じゃない。洞窟の壁にへばりつく、数秒前、数時間前、数年前の「過去の色」が、何層にも重なって押し寄せてくる。風が岩を削った悲鳴。水滴が落ちた瞬間の波紋の記憶。ネズミが這い回った体温の残滓。それらが、おぞましいほどの情報の濁流となって、私の網膜を焼き尽くす。
「うぷッ……」
『汚いですね。発狂レベルの情報量だからって、吐き気を催さないでくださいよ』
ルトの声を無視して、無数に重なる「色」の中から、微かな橙色の光だけを抽出する。
「……あっち」
私が指差した先は、岩の裂け目の奥、普通なら絶対に見つけられないような死角だった。オリアンが驚愕の声を上げる。
「えっ、本当にあった……!すごい、どうして分かったんですか!?」
「んー、勘かな!」
「勘……?イルさんの勘、鋭すぎませんか……?」
オリアンが少し引いている気がするけど、気にしない。私たちは急いでキノコを採取し、昼の鐘が鳴る前に冒険者ギルド会館へ戻ることにした。




