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S-136 「裏庭で『捨て犬』拾ってきた!」

ゼーデン帝国/首都ゼア・ドゥーン【視点:常闇の目ノエル】


 帝国の首都、ゼア・ドゥーン。黒曜石をふんだんに使った重厚な石造りの建物が立ち並ぶその景観は、質実剛健なこの国そのものを体現しているようだった。だが、今の僕の目には、その全てが灰色に映っていた。


「ねぇ、ちょっと。キミ、歩くの遅い」


 隣を歩く少女――帝国第参皇女ティナが、僕の腕にギュッと抱きつきながら、不満げに頬を膨らませた。彼女の指が、逃がさないとばかりに僕の二の腕を掴んでいる。


「キミのその、今にも死にそうな情けない顔……。好きかも」


「……光栄です」


 僕は乾いた声で答えた。抵抗する気力など、とうにない。あの日、草原で彼女に拾われて(捕獲されて)以来、僕は彼女の「お気に入り」として、こうして連れ回されていた。


 だが、今の僕には、その強引な愛情すら心地よく感じる。

 なぜなら、あの城の客間で見た光景によって、一度死んだ僕の心を埋めてくれるように感じられるから。


 最愛の母さん――ディナリエル。僕の初恋であり、崇拝の対象であり、世界の全てだった人。彼女が、あの皇帝ソラスと……。


(あぁ、思い出すだけで……吐きそうだ)


「あ、ここ。入るよ。拒否権はないから」


 ティナが足を止め、返事も待たずに僕を強引に店の中へと引きずり込んだ。

 そこは、武骨な帝都には似つかわしくない、洗練された高級喫茶店だった。

 芳醇な紅茶の香りが漂う店内。その奥にある予約席に、先客がいた。


「遅いぞ、ティナ」


「また珍しいものを拾ってきた」


 優雅にティーカップを傾けていたのは、白銀の髪を持つ二人の美女。第弌皇女ジーナと、第弐皇女ウィスカだった。

 戦場や諜報の場での姿とは違う、私服姿の皇女たち。


(母さんそっくり…とびきりに容姿端麗な三姉妹。僕はいったいどういう顔をすれば良いんだ…)


「姉たち、お待たせー。見て見て、裏庭で『捨て犬』拾ってきた!」


 ティナは僕の背中をバンと叩き、自慢げに紹介した。捨て犬。その響きに、僕は自分が人間としての尊厳を失いつつあることを自覚する。


「……ノエル殿、ではないか」


 ジーナが、カップを置いて目を丸くした。彼女とは、決闘大会クレイヴァートの観客席や、ニーヴラフトでの勅命伝達で顔を合わせている。僕と母さんがこの国に内密に滞在していることも知っている立場だ。


 そんな彼女は、頭を抱えた。


「…ティナ。この御仁をペット扱いするな…外交問題になりかねんぞ」


「いいじゃん。嫌がってないし。っていうかジーナ姉、この子知ってたんだ」

「はぁ…ノエル殿、良いのか?」


 ジーナはどうしようもないといったような、困った顔を向けてきた。


(姉として、この頭のおかしい妹をどうにかしてほしい…)


 そんな事を願いつつも…


「あはは……なりゆき、としか」


 僕は力なく笑うしかなかった。

 そんな俺の顔を、ウィスカが、興味深そうに僕の顔を覗き込んできた。彼女は、ルガルフ達によりザーラムから救出され帰国したばかりと聞いている。

 その彼女の瞳は、観察眼に優れている。その視線は、僕の顔を一つ一つ分解して分析しているようで、居心地が悪い。


「なんかさ。誰かに似てない?」


 ウィスカが首を傾げた。


「……言われてみれば。私も、初めて会った時から既視感を覚えていた」


 ジーナも同意し、真剣な眼差しで僕を見つめる。


「だよねぇ!私もビビッときたもん!きっと前世から、私の下僕になる運命だったんだよ!」


 ティナが自信満々に胸を張るが、姉二人はそれを無視して考え込んでいる。

 三人の皇女に値踏みされる時間。それは、針のむしろに座らされているような居心地の悪さだった。僕は、彼女たちの視線から逃げるように、運ばれてきた紅茶に口をつけた。


「ま、いっか!ほらノエル、口開けて」


 ティナが、クリームたっぷりのケーキをフォークに刺して突き出してきた。

(いやいや!こんなこと…母さんにもされたことがないのに!?)

 ティナの想定外の行動に、謎の胸の高鳴りを感じて僕の思考は乱される。


「いや、僕は甘いものは……」


「『あーん』は?」


「……あ、あーん」


 パクッ。口の中に、暴力的な甘さが広がる。それを皮切りに、皇女たちの「お茶会」は、僕への餌付け大会へと変貌した。


「これも食べて。毒は入れてないから」


 ウィスカが山盛りの焼き菓子を皿に乗せる。


「ウィスカ姉、目が怖いって!」


 ティナがきゃっきゃと笑う。


「ノエル殿、残すのは騎士道に反するぞ。男なら食え」


 ジーナも悪乗りをはじめ、皇女の圧で焼き菓子を追加する。


(成されるがままだ。もはや…僕は犬でいい)


 胃袋が限界を訴え、心の傷が癒えるどころか、胸の高鳴りが加速していく。僕は、帝国の最高権力を持つ三姉妹の「おもちゃ」として、甘く、騒がしい時間を耐え続けた。


 ■ ■ ■


 ゼーデン帝国/首都ゼア・ドゥーン、上層階【視点:世界(観測者)】


 夕暮れが、堅牢な城壁を茜色に染め上げていた。城の最も高い場所にあるバルコニー。そこから、四つの小さな影が城門をくぐり、帰還する様子を見下ろす二人の姿があった。


 皇帝ソラス・マグ・ファラン。そして、常闇の影ディナリエル。


「……賑やかなことだ」


 ソラスが、口元を緩めて呟く。眼下では、ティナに腕を引かれ、よろめきながら歩くノエルの姿と、それを笑って見守るジーナとウィスカの姿があった。


「あの子のあんな顔を見るのは、久しぶりだ」


 ディナリエルは、手すりに寄りかかりながら、柔らかな声で言った。その表情は、国を背負う「常闇の影」のものではなく、ただの母としての慈愛に満ちていた。


「娘たちもだ。…あのような笑顔を見せるのは、何年ぶりか」


 ソラスもまた、皇帝の仮面を外し、父の顔で娘たちを見つめる。

 二人は並んで、若者たちの背中が城内へと消えていくのを見送った。心地よい沈黙が流れる。風が、ディナリエルの銀髪を優しく揺らした。


 ふと、ディナリエルが、無意識に自身の下腹部へと手をやった。衣服の上から、愛おしむように、そっと撫でる。


 沈みゆく夕日が、二人の影を一つに重ねる。それは、来るべき大戦の前に訪れた、微かな平穏の瞬間だった。


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