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S-131 「良くやった、私の眷属」

バイレスリーヴ/闘技場【視点:血の間の刺客ファウラ】


 決闘大会以降、国としての興行のため、定期的に闘技大会ムネラを行っており、特別な場所だったこの闘技場は市民に開放されていた。


 ただ、私は昼の闘技場の熱気とは縁のない人間。

 暗く静まり返った闘技場に、ある人物を呼び出すことに成功したのだった。

 それが、衛士長官ディナリエル。


 しかし、それは表の顔に過ぎず、彼女はこの国を影から支配する、黒の監視団のボスだった。

 そして、私の主、高貴なお方、エリュトロン様が、必殺の対象としている人物だ。

 私は、恐らく彼女には敵わない。容易に殺されるだろう。その恐怖に身体が震えているのがわかる。

 しかし同時に、殺されることを微かに望んでいる自分がいる。何故なら、私は悪事に手を染めすぎたから。


 それがたとえ、自分の唯一の肉親である弟の為だったとしても。


 そして⋯あの優しき国家元首を殺害した時、取り返しのつかないことに加担しているのだと知って、いつか終わらせなければいけないと⋯そう思うようになった。

 とは言え、いくら後悔しても、もう後戻りはできない。


 今、私のすべきことは、この身を犠牲にしてでも、ディナリエルの隙をつくり、エリュトロン様に彼女を殺してもらうこと。

 そうすれば、エリュトロン様は、また弟の薬を手配してくれる筈。


 大丈夫。


 できる。オリアンをも殺したんだ。

 今の私なら、何でもできる。


 それに今回は、エリュトロン様が、私の影から見てくれている。

 私は、下唇を噛み、拳を握りしめ、緊張と共に、闘技場の舞台へと向った。

 そこには、白銀の髪、月明かりの夜に馴染んだ浅黒い肌を持つ長身の女が、隠れる素振りなど一切見せず立っていた。


 その様は、彼女の表の顔である威風堂々とした性格が表れている。


「やぁ。こんな夜中まで、君はよく働くな」


 ディナリエルは、駆け寄る私に言葉を投げかけた。

 流石衛士長官だ。

 私のような一介の市民からの深夜の呼び出しにも関わらず、全く嫌みを感じさせない。それどころか、労う言葉までかけてきた。


「すみません、お待たせして」


 私は息を整えた。それは、決して走ってきたからではない。緊張をほぐすためだ。


「それで。人に聞かれてはいけない重要な話とは⋯一体なんだ?」


 多忙で有名なディナリエルらしい。世間話も無く、さっそく本題に切り込んできた。

 彼女は警戒の色を示していない。

 私が元首の館で働いている事の信用なのだろうか。今、この距離なら、私でも彼女を殺れる気すらした。オリアンを殺した時のように。


「実は⋯」


 ディナリエルは、あえて小声で話した私の口に、耳を傾けようと視線を外した。その一瞬を、私は見逃さなかった。

 私は、脚に仕込んでいた毒針を抜き出し、彼女の首元に向けて突き出した。


 ザッ⋯


 針が彼女の首元に突き刺さる。


(やった)


 しかし、即死するはずの彼女は私の腕を握ってきた。


「痛た⋯。考えごとしてたら反応が遅れた」


 私の攻撃を食らっても、焦りもしないディナリエル。

 即効性の神経毒だ。普通の人間なら既に死に、巨人族でも立っていられなくなる筈の猛毒なのに。


 違和感。


 そして、彼女の金色の瞳が私を捉えた時、例えようもない恐怖が全身を駆け巡った。


「良くやった、私の眷属」


 その刹那、聞き慣れた低い声が私の背後から聞こえる。 


 ドシュッ!!


 背中が反り返り、胸から鋭利な赤い何かが突き出す。それは、ディナリエルの身体までも貫いた。


「ぐっ⋯がはっ!」


 喉の奥から血がこみ上げ、口から大量の血が溢れ出た。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/闘技場【視点:血の間の参謀エリュトロン】


 報告は簡潔だった。ヴェルメリオの仇が、この闘技場に誘き出されたという。

 私は血の間から眷属ファウラの影へと転移し、その標的を確認した。


 黒き監視団の首魁、ディナリエル。


 私の眷属による監視網を数百年もの間かいくぐり続けた、バイレスリーヴの裏の支配者。


 それがまさか、法の番人である衛士長官と同一人物だったとは。


(だが、これで終わる)


 私の世界は、彼女を排除することで完成する。

 高揚感が、冷え切った血液を沸騰させる。

 私は最も確実なタイミングを見計らい、眷属の影から飛び出した。


 ドシュッ!!


 躊躇いはなかった。苗床である眷属ファウラの背中ごと、標的の胸を貫く。


《鮮血の刃》。


 私の血液から生成された変幻自在の凶器は、掠り傷ひとつで相手の血管に癒着し、その生命力を根こそぎ吸い上げる。


 あのヴェルメリオを倒した相手だ。慈悲も油断も不要。


「痛った……なにこれ……」


 ディナリエルが、突き刺さった刃に触れようとする。


 遅い。


「同胞の借りを返しに来た」


 私は刃をさらに深く押し込み、即座に《吸血フェーズ》へと移行した。


 この程度の体積の女なら、5秒で干からびる。

 勝った。そう確信した瞬間だった。


 ズゾゾッ……


 刃を通して流れ込んできたのは、鉄の味がする赤き血ではなかった。

 冷たく、重く、無限に広がる――蒼。


「な……ッ!?」


 鮮血の刃が、私の意志を無視して青く変色していく。

 驚愕に目を見開いた私の視界の中で、突き刺したはずのディナリエルの姿が、ノイズのように揺らぎ、剥がれ落ちた。


 そこにいたのはダークエルフではない。

 透き通るような肌。深海の色を宿した髪。そして、黄金に輝く瞳を持つ、得体の知れない生命体。


「そういう能力ね。……いいよ、たくさんあげる」


 その黄金の瞳と視線が合った瞬間。

 私の本能が、警鐘を鳴らす間もなく悲鳴を上げた。

 捕食しようとしたのではない。捕食されたのだと。


「くっ!!?」


 逃げろ。


 思考よりも早く、私は刃を切り離し、眷属の影へ退避しようとした。

 だが、動かない。


 指一本、視線ひとつ動かせない。まるで悪夢の中の泥沼に沈んだかのように、意識と身体の接続が断たれている。


「あぁ……」


 抵抗が無意味であることを、魂が理解してしまった。

 目の前の「それ」は、ただ微笑んでいるだけだ。

 なのに、私の存在そのものが、彼女の内側にある巨大な引力に飲み込まれていく。

 頭の先から、私の千年が、記憶が、自我が、咀嚼されずに溶かされていく。


(ヴェルメリオを殺したのは……この化け物か……)


 恐怖すら追いつかない。

 私の死と共に、世界中に張り巡らせた血の監視網は崩壊するだろう。

 ソルフやメラハに、これを止められるか? 無理だ。次元が違う。

 だが……奴ならば。


(バルロフ・ベオ・イスカリアならば……)


 最期に浮かんだ希望の名。

 しかし、それすらも蒼い闇に塗りつぶされる。


「君はもう、私」


 その甘い囁きと共に、私という個は完全に消失した。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/闘技場【視点:元首オリアン】


 ファウラさんの影から突如現れた真紅の刺客は、一瞬で彼女の身体ごと、イルを貫いた。


「――ッ!?」


 僕は絶望に喉を詰まらせ、反射的に飛び出しそうになった。

 だが、護衛として同伴したビヴォールが僕の肩を強く押さえつける。

「待て」と目で制する彼の視線の先で、信じられない光景が展開されていた。

 貫かれたはずのイルは、微動だにしない。


 そればかりか、突き刺さった真紅の刃が、見る見るうちに青く染まり、刺客の身体ごと光の粒子となって、イルの傷口へと吸い込まれていく。


 それは瞬きの間の出来事。

 まるで、最初から刺客など存在しなかったかのように。

 支えを失ったファウラが、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


「イル! ファウラさん!!」


 僕はビヴォールの制止を振り切り、駆け寄った。


「私は大丈夫。……彼女を」


 イルは胸元の破れた服を気にする素振りもなく、足元の少女を指差した。

 僕はファウラを抱き起こす。


 大量の血が、土を黒く染めていた。彼女の顔は、月の光よりも蒼白だ。


「……私は……夢でも見ている……のですか?」


 うわ言のように呟く彼女の瞳は、焦点を結んでいない。

 僕は震える手で、彼女の冷え切った手を握りしめた。


「……そうなのかもしれません。ファウラさんは今、悪い夢を見ているんです」


 僕の声を聞き、彼女の視線が彷徨い、僕の顔で止まる。

 そこには、敵意も演技もない。ただ、死を前にした一人の少女の姿があった。

 たとえ、彼女が僕を殺すために近づいてきたのだとしても。

 僕に向けてくれた笑顔が、交わした言葉が、すべて嘘だったとしても。

 この手から感じた温もりだけは、本物だったと信じたい。


「イル……彼女を助けることはできませんか」


 僕は縋るようにイルを見上げた。

 イルは静かにファウラを見下ろし、短く問うた。


「どうする?」


 治せる、とは言わなかった。ただ、本人の意志を問うた。


 ファウラさんは、力無く、けれどはっきりと首を横に振った。


 その瞳に宿る光を見て、僕は悟ってしまった。

 これは彼女なりのけじめであり、呪縛からの解放なのだと。

 僕がここで無理に生かすことは、彼女の覚悟を汚すことになるのだと。


「……っ」


 耐え難い無力感に、視界が歪む。

 握りしめた手から、生命の灯火が消えていくのを感じることしかできない。


「ごめん……なさい。オリアン……さん」


 彼女の目尻から一筋の涙がこぼれ、血と土に塗れた頬を伝う。


「謝らないでください。ファウラさんが、そうせざるを得なかったのは、分かっていますから」


 僕の言葉に、彼女のこわばっていた表情が、ふわりと解けた。


「違う形で……逢えたら……よかったのに」


「僕だって……そうです。もっと、色んな話をしたかった」


 抑え込んでいた感情が決壊した。

 僕は彼女の身体を強く抱きしめた。血の匂いなど気にならなかった。


「あり……がとう……」


 最期の吐息は、感謝の言葉だった。

 腕の中で重くなった彼女の顔は、黄金の潮風亭で働いていた時のような、穏やかで優しい微笑みを浮かべていた。彼女の体温が、冷たい夜気に溶けていく。

 僕は声を殺して泣いた。


 ただのあどけない少女を、道具として使い捨てた「血の間」への怒りと、何もできなかった自分への悔しさを噛み締めながら。


「……街中の、血の気配が消えた」


 イルは、涙に暮れる僕の隣で、夜空を見上げながら静かに呟いた。

 その蒼い髪が、夜風に揺れていた。

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