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捨て駒にされた蒼の少女は、なぜ笑っていたのか 〜最初から、勝つ必要はなかった〜【溟海のイル】  作者: セキド烏雲
第1章 決闘大会編

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S-13 「それがバージェス様の御命ならば」

挿絵(By みてみん) 

ルーガットの決闘大会パーティ

挿絵(By みてみん) 

アドホックの決闘大会パーティ

バイレスリーヴ/港通り/商業者ギルド会館【視点:世界(観測者)】


 満月の光だけが、客間を青白く照らしている。


 今は《航海月(春の下旬頃)》だというのに、部屋は冷え切っていた。遠くから、夜の海が唸るような潮騒が聞こえる。


 部屋の片隅で、栗色の髪のローカンが壁に片手をつき、不思議な光を帯びた剣を弄んでいる。無造作にセットされた髪、着崩した服装。規律を嫌うはぐれ者の風情だ。


 部屋の中央には、不気味な仮面を被った怪しげなローブ姿の奇術師ファイネ。その視線は、目の前の三人に向けられている。


 銀髪の若い美青年――商業者ギルドの若頭、次期会長と目される《ノエル》。


 穏やかな表情の老婆――バイレスリーヴ議会の一人、初等教育を担う学園の長にして、孤児院をも束ねる《ダイアナ》。


 そして痩せこけた老人――だが眼光は鷲のように鋭い。底知れぬ野心を秘めた瞳。商業者ギルド会長ルーガット・ラガヴェリン。バイレスリーヴ議会の一人にして、今大会の元首候補者。


「エドワルドの息子のことは考えなくてもいいわ」


 ダイアナがルーガットに囁く。


「アドホック陣営に勝てさえすれば、貴方の元首の座は決まりよ」


「うーむ」


 ルーガットは唸った。


「だが、エドワルドの倅の剣闘士に、”儂が知るボウズ”が加わった。無視できる相手ではなくなった」


「それでもよ。ルーガット」


 ダイアナは彼の眼をまっすぐ見据える。


 ルーガットは小さく唸り、ゆっくりと顔を上げた。その眼差しは遠くを見つめている。長年抱え続けてきた複雑な感情が滲む。


「ルーガット翁」


 ノエルが会話の区切りを察して口を開く。


 ルーガットは僅かに眼光を緩め、柔らかな表情でノエルを見やった。


「アドホック陣営の最後の剣闘士。情報が入りました」


 ルーガットは興味深げに口元を緩める。


「ほう……お前の情報網にはいつも驚かされる。して、どのような者か?」


 ノエルはルーガットの耳元で囁いた。その名を聞いた瞬間、深く、静かに息を吐くルーガット。


 その瞳に宿るのは――失望と、深い侮蔑だった。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/潮風通り/冒険者ギルド会館


 ドスッ。ドスッ。ドスッ。


 静まり返った夜の訓練場に、重い破壊音が響く。冒険者ギルド会長アドホックが見守る中、上級冒険者、破砕の《ブーア》は丸太人形を鉄鎚で粉砕し、同じく上級冒険者、隠し芸の《ザイン》は闇夜に紛れる毒蛇の頭をナイフで射抜いた。


 アドホックが二人の実力に満足していたその時――。訓練場の入り口から、新たな人影が現れた。


 ブロンドの髪。黄金色の瞳。異国の貴族を思わせる美青年。細身の体に似合う豪奢な装飾の細剣を腰に下げている。


 その後ろに控えるのは《異国風の紳士、ワキール》。先日、蒼い髪の女とともに、黄金の潮風亭で酒を飲み交わした彼だ。


「……遅かったな」


 アドホックが声をかけるが、ブーアは気に入らないとばかりに唾を吐いた。


「なんだぁ?この優男は。俺たちの足手まといにならなきゃいいがなァ!」


 ブーアが威嚇のために闘気を放つ。並の冒険者なら失禁するほどの圧力。だが、シェルクは瞬き一つしなかった。ただ、静かに腰の細剣レイピアに手をかけただけ。


 カチリ。


 音がしたのは、剣を鞘に納める音だけだった。次の瞬間、ブーアの背後に吊るされていた三つの丸太が、音もなく斜めにズレ落ちた。斬撃が見えない。風切り音すらしなかった。


「……ッ!?」


 ブーアの全身の毛が逆立ち、本能的な恐怖が背筋を駆け上がった。(なんだ、今のは。斬ったのか?いつの間に?いや、それ以前に――こいつは人間か?)生物としての格の違い。踏み込んではならない深淵。


「ザーラムの栄光、《バージェス》様のため。……邪魔をするなよ、野良犬」


 シェルクは感情のない声で言い捨てると、ブーアを一瞥すらせずに背を向けた。圧倒的な実力差を確認し、ワキールは満足げに微笑むと、アドホックに歩み寄った。


「彼は我が国ザーラムの執政官、バージェス様の親衛隊《黄金衆》の隊長。その細剣で我が国の障壁となる者たちを数多く屠ってきた貴公子です」


「うむ。わが陣営として、シェルク殿の実力は申し分ない」


「我が国が彼を出したことの意味を、察しのいい貴方なら既にお気づきでしょうが……」


 世間話でもするかのような軽い口調で囁いた。


「あえて言うならば、敗北は許されませんよ」


 アドホックは無言で睨み返す。ワキールは足を止め、ゆっくりと振り返った。


「そうそう、あなたの娘さん」


 ピクリ、とアドホックの肩が震える。


「我が国で元気にやっていますよ。今のところは、ね」


 夜風が訓練場を吹き抜けていく。アドホックは何も言い返せず、ただ奥歯が砕けるほどに強く噛みしめた。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/潮風通り/馬車の中


 石畳を硬い音を立てて走る馬車。


 ワキールは黒曜石のような瞳で馬車の中から窓の外を眺めている。


 シェルクは腕を組み、冷たい視線を宙に向けている。


「ザインの一家に流しているラクリマは、冒険者を中心に想定以上の速さでこの街を蝕んでいますね」


 ワキールが外に誰の気配もないことを確認し、つぶやく。


「ただ、ルーガット陣営の補佐役、ダイアナは勘が良い。こちらの動きに勘づき始めている。それに議員の一人、衛士長官の《ディナリエル》にも注意を払っています」


 馬車が大きく揺れ、ワキールの衣装の装飾品が小さく音を立てる。


「足がつかない様にはしていますが、先を見越して何か揺さぶりをかけてくるかもしれません」


 シェルクが口を開く。


「問題ない。僕がやるから」


 淡々とした声。


「今までずっとそうしてきたように」


 窓の外、街灯の光が流れていく。


「《エドワルド》を殺した時もそうだった」


 ワキールがため息をつく。


「シェルク、言葉を選びましょう。馬車の中とはいえ、元首暗殺の話など…何処で聞かれているか分かりませんよ」


「聞いたやつも殺せばいい」


 シェルクの声に感情はない。


「それがバージェス様の御命ならば」


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/港通り/商業者ギルド会館


 場所は再び、商業者ギルド会館の夜の客間。ルーガットを支える参謀たちは、大会に向けた戦略を練っていた。


 商業者ギルドの次期会長と目される青年、ノエル。


 バイレスリーヴ議会の一人、学園長にして孤児院も運営するダイアナ。


 そして、赤髪の魔法剣士、ローカン。


「彼の剣闘士となったのは、最近この街の通りを賑わしているグリンネルという若者と、書店の娘、そして、つい先日やって来たと思われる商人を名乗る娘です」


 ノエルが情報屋から入手した紙切れを手に語る。


「グリンネルという若者は、ルーガット翁の用心棒ファルクレオの弟子。三人は行動を共にしたことがあるようですね」


 向かいの椅子に座るダイアナが、重いため息をついた。


「せっかくあの子を不戦敗させようとしてたのに」


 微かな苛立ちを交える。


「うまくいかないものね」


 彼女が語る「あの子」とはオリアンの事。議会を通してオリアンの資産を凍結し、屋敷から退去させたのも、彼女が敵勢力を一つ削るための政治工作だった。


「次はどんな手を打とうかしらね、ノエル」


 ダイアナは思案する。


「そうそう、オリアンの剣闘士は、皆よそ者なのよね……」


 彼女の口元に、何かを思いついたような笑みが浮かぶ。


「もう少し、いじめてあげようかしら」


「相変わらず、アンタは教育者せんせいらしからねぇな」


 同じ机を囲み、足を組んで座る元帝国万騎軍隊長のローカンが、髪先を弄びながら苦言を呈した。


「あら、私は『子供たち』には優しいのよ」


 ダイアナの言葉が途切れる。


 ノエルが報告を続けた。


「アドホックは想定どおり、冒険者連盟の上級冒険者の中からブーアとザインを、そして、ザーラム共和国の執政官、バージェスの右腕とされる、細身の剣士を剣闘士として選んだようです」


「全く、アドホックは何を考えているのかしら」


 ダイアナの声には様々な懸念が詰まっている。


「ここまでくれば、例の甘い薬と、彼らの関係は明白よね」


「ですが、証拠は抑えていませんので。推測の域を出ません」


 ダイアナはため息をついた。


「彼自体は悪くないのよ。彼の”背後”が悪いだけ」


 彼女は静かに続ける。


「だから、彼だけは元首にしてはいけない。だから、ずっと……ずっと我慢してきたルーガットこそが、この国の元首に相応しい男なの」


 しばらく思案した後、彼女はローカンに視線を向けた。


「ローカン、大会後を見据えて、今から貴方に動いて欲しいんだけど。いいかしら?」


「おいおい、大会前から大会後まで俺を使い倒そうってことかい」


 ローカンは肩をすくめる。


「アンタじゃなきゃ絶対に断る案件だな。こりゃ」


「ふふ、頼りになるわ。ローカン」


 バイレスリーヴ決闘大会クレイヴァート


 三つの勢力がそれぞれの思惑のもと元首の座を争う熾烈な戦いまで――残すところ三日となった。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ東/街道


 満月が雲に覆われた時。


 その暗闇の中を、光る二つの目を持つ大きな影がゆっくりと、バイレスリーヴへ向かっていく。


 満月が雲の隙間から顔をのぞかせると――


 その光に照らされたのは、見事な白い毛並みのライカンスロープ。


 彼は身体を人の姿へと変え、バイレスリーヴに向かって更に歩いていった。

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