S-126 「サフラヒルに独立を!我々に自由を!」
ザーラム共和国/属州サフラヒル/総督府「法の間」【視点:世界(観測者)】
「大魔術師ザラストラを名乗る偽物に裁きを!」
「サフラヒルに独立を!我々に自由を!」
サフラヒルの中心部、総督府の周辺は、今や怒号と憎悪の坩堝と化していた。分厚い門扉が、暴徒と化した市民とレジスタンスの波によって突き破られる。
雪崩れ込んだ群衆、粗末な農具や奪った剣を手にした者たちが雄たけびを上げながら、支配者の座すこの部屋を目指し駆け上がってくる。
彼らの怒りの矛先、部屋の最奥にある玉座の前には、豪奢なローブを纏った痩せぎすの老人――法務官フギオが立っていた。彼は手にした杖を震わせ、憎々しげに床を踏みつける。
(ぬぅぅぅ……愚民どもめが……調子に乗りおって!)
フギオの内心は、怒りと焦燥で煮えくり返っていた。自身の治める地で、このような大規模な反乱を許してしまった失態。そして何より、圧倒的な武力差で踏み潰したはずの羽虫どもの怒りの炎が再燃し、あろうことかこの聖域まで侵入を許してしまったことへの恐怖。
彼の視界の端には、口髭を弄ぶ黒曜石のような瞳の男、財務官ワキールが静かに佇んでいる。この期に及んでも眉一つ動かさぬその態度が、フギオの神経を逆なでした。
「フギオ殿。コラン村の拠点から応援が到着すれば挟撃できますが……。彼等に寝返られたら絶望ですな」
「黙れ!その方が分かりやすいわ!」
フギオは金切り声を上げた。
「ゴミ共が中途半端に散らばるから面倒なのだ!纏まれば、儂がこの『地緑の結晶』の力で、一気に灰燼に帰してくれる!」
彼は右手の指に嵌められた、緑色に輝く指輪を強く握りしめた。
執政官バージェスより賜ったこの指輪は、装備者の魔力を強制的に拡張し、出力を数倍に跳ね上げるアーティファクトだ。これさえあれば、自分は大魔導士ザラストラにも匹敵する力を振るえる――そう信じ込むことで、彼は震える膝を必死に抑えつけていた。
「ザラストラ様!暴徒により総督府の最後の扉が突破されました!まもなくこの部屋までなだれ込んできます!」
総督府の警備兵が、顔面蒼白で法の間へ駆け込んできた。群衆の足音と怒号が、石造りの廊下に反響し、徐々に近づいてくる。
「来るなら来い……返り討ちにしてやろう!」
フギオは杖を構え、呪文を唱え始める。体内の魔力が熱を帯び、周りを赤黒い光が包み込む。空間の魔力濃度が指輪の力で一気に高まった。
うぉぉぉぉ!!!
そしてついに、法の間の重厚な扉までもが破壊され、群衆が殺到した。
「焼け落ちよ!」
フギオは、先手必勝とばかりに、先頭の愚民目掛けて渾身の火球を放った。
バシュン!!
しかし、その火球は、暴徒の先頭にいた黒いローブと仮面を纏った女によって、まるで虫を払うかのように、信じられない速度で弾かれた。軌道を逸らされた炎の塊は、誰もいない壁面に激突し、虚しく石壁を焦がして消滅する。
「何ッ!?」
フギオは我が目を疑った。魔力で強化された渾身の魔法を、ただの物理的な盾で、しかも片手で弾くなど。
「時代の転機だ、気合入れろ!」
呆然とするフギオを他所に、群衆の中からもう一人の仮面の男が飛び出した。ザーラム兵の甲冑を奪い、仮面で素顔を隠した剣士――サファルだ。
彼は流れるような動きで衛兵の喉元を切り裂くと、そのまま戦場の最前線へと踊り出る。その人間離れした俊敏さと、背後にも目があるかのような知覚能力は、明らかに常人の域を超えていた。
彼らだけではない。暴徒の波に紛れ、明らかに異質な気配を纏った「仮面の者たち」が、この戦場を支配し始めていた。
ワキールの護衛として控えていた三人の《黄金衆》たちも、即座にその異変を察知した。軽装備に身を包んだ彼らは、とある場所で改造された人間の能力の限界を超えた超人たち。全身の神経に魔導黄金が流し込まれた、生ける殺人兵器である。
一人はワキールの護衛としてその場に残り、残る二人が風のように動き出した。彼らの狙いは、フギオの魔法を弾いた脅威――ジーナだ。
キィィン!
黄金衆の一人が放った神速の突き。それを横合いから割り込んで受け止めたのは、ウニヴェリア信者の法衣を筋肉でパツパツに張り詰めさせた巨漢――ルガルフだった。
片手剣一本で黄金衆の剣を受け止めた彼の腕には、尋常ならざる剛力が宿っている。
「邪魔だ」
黄金衆の双眸に、無機質な金色の光が宿る。
次の瞬間、彼の腕の皮膚の下で、血管のような金色の筋が不気味に脈動した。金神経化による筋力増幅。物理的にはありえない質量の差を覆し、黄金衆の細腕が、巨漢のルガルフを剣ごと押し込んでいく。
「……ッ、なんだ!?」
ルガルフは即座に異変を感じ、後ろに跳び間合いを取った。だが、その表情に焦りはない。彼は足元に転がっていた剣を拾い上げると、二刀流の構えで不敵に笑う。
「なかなかの腕力だ。だが、それがいい」
ルガルフは獣のような動きで再突撃した。側面から切りかかってくる衛兵の攻撃を、拾った剣で受け流し、その勢いを利用して衛兵の体を黄金衆へ投げ飛ばす。
黄金衆がそれを避ける刹那、死角からもう一方の剣が喉元を狙う。変則的かつ野性味あふれるその戦法は、洗練された黄金衆の剣技を泥臭く、しかし確実に崩していく。
一方、フギオはさらなる恐怖に直面していた。魔法を弾かれた屈辱を晴らすべく、再びジーナへ向けて杖を構えた彼の前に、新たな影が立ちはだかったからだ。
一人はサファル、そしてもう一人は、足がないように見えるローブ姿の女――ファイネ。彼女は重力を無視して宙に浮き、幽霊のように揺らめいている。
そして3人目は、サファルと共に前線を切り開いてきた、紫電を纏う男――アストンだ。
まず動いたのはサファル。
「……露払いは任せな」
彼が踏み込んだ瞬間、その姿が掻き消えた。次の刹那、フギオの左右を固めていた屈強な護衛兵たちの首が、同時に宙を舞っていた。遅れて噴き出す血飛沫の中、サファルは短剣の血を振るい、静かに納刀する。
その仮面の奥の赤い瞳には、冷酷な金色の光が宿っていた。
一瞬の出来事に呆気にとられるフギオに対し、アストンとファイネが同時に動いた。
二人の仮面の奥底で、示し合わせたように金色の輝きが鋭く光る。それは「あの島」で施された忌まわしい施術の証であり、今は彼らを繋ぐ力(魔力)の共鳴でもあった。
「『雷光幻影』……多重展開」
アストンが指先を奔らせると、紫電の魔力が空間に爆ぜた。
瞬間、薄暗い拠点の空間が歪む。フギオの前後左右、さらには頭上に至るまで、無数のアストンの幻影が出現した。
それら実体と見紛うほどの高精細な虚像が、フギオの視覚と聴覚を完全に飽和させる。
「小賢しい幻術をォ!」
フギオが炎破魔法で焼き払おうとするも、その熱は幻影の胴体をすり抜けるだけで、何の手応えもない。
フギオの意識が、実体のない虚像たちに向けられた、その刹那の隙。
「……んッ!」
短く、鋭い呼気と共に、ファイネが舞った。
両足のない彼女の身体は、重力から解き放たれた精霊のように、風に乗って滑らかに加速する。彼女が纏うボロボロのローブが、風を孕んで翼のように広がった。
アストンの幻影が作り出した「偽りの攻撃」の死角を縫うように、ファイネが操る「本物の風」がフギオへと殺到する。
ヒュンヒュンヒュンッ!
目に見えない鋭利な風の刃が、フギオの鎧の隙間を正確に切り裂いていく。
頬を、腕を、脇腹を、不可視の斬撃が襲う。鮮血が飛ぶが、フギオは攻撃の出どころを視認できない。
「ええい、どっちだ!どこにいるッ!」
フギオは混乱の極みにあった。目の前で剣を振りかざすアストンは幻影かもしれず、何もない空間から突然、肉を裂く風が襲ってくる。
視覚を欺くアストンの「虚」と、触覚を切り裂くファイネの「実」。
互いの呼吸を完全に理解し合った二人の連携は、まるで一つの生き物のように滑らかで、残酷なまでに美しかった。
アストンが指先を跳ね上げると、幻影たちが一斉にフギオの頭上へと跳躍し、意識を上へと誘導する。
その完璧なタイミングで、ファイネが地を這うような低空飛行でフギオの懐へと潜り込んだ。
「……ん!!」
彼女の魔術、圧縮された空気の塊がフギオの足元で炸裂する。
「ふべぇっ!!」
フギオの痩せた身体は吹き飛び、天井にぶつかって床に叩きつけられた。
その周囲を、アストンの幻影が取り囲んで剣を突きつけ、同時に、ファイネが展開した渦巻く風檻が、あらゆる退路を断ち切った。
圧倒的な手数の幻影と、変幻自在な風の刃。
金色の瞳を輝かせた二人の復讐者は、息をする間も与えず、敵将を死の淵へと追い詰めていった。
「ええい、どいつもこいつも!儂は大魔導士ザラストラぞ!こんな有象無象に!」
フギオのプライドが、恐怖を怒りで塗りつぶす。彼は指輪の魔力を限界まで引き出し、広範囲を焼き尽くす最強の爆炎魔法の詠唱に入った。
「消え失せろ!貴様らごとき、まとめて灰にしてくれるわ!」
暴走に近い魔力が渦を巻き、灼熱の奔流となって三人に襲いかかる。




