S-123 「拷問…するのですか」
バイレスリーヴ/議場ニーヴラフト【視点:世界(観測者)】
館を出たディナリエルは、道行く人々との挨拶を交わしながら、噴水広場を左に曲がり、《議場、ニーヴラフト》へと足を運んだ。
入り口の重い扉を僅かに開いて、中へ入る。
誰一人おらず静まり返った場内に、朝日が、高い場所にあるステンドグラスから差し込み、床を幾何学的に照らしている。
ディナリエルは、ひんやりとした冷気が漂う石の床を、奥へ奥へと静かに歩いていく。
その行き止まりとなる広い部屋の中央には、磨かれた木材の大きな円卓。絵画となった神々が白亜の天井から見下ろす円卓の間へと行きついた。
ディナリエルは、背後を振り返り、誰もつけてきていないことを確かめると、第九代国家元首の肖像画を外し、その後ろに隠された壁のくぼみを押し込んだ。
ズズズッ…
重く静かな音とともに、円卓の間の角の壁が開き、隠された階段が出現した。
ディナリエルは闇に向かうその階段をゆっくりと降りる。暫くして、その壁は何事もなかったかのように閉じ、再びその階段の存在を完全に隠蔽した。
階段は完全に闇にのまれる。
その闇の中を、ディナリエルは全て正確に見渡せるかのように、迷いなく螺旋状に下っていった。
彼女の歩く暗闇の階段は、灯りが燈った場所に繋がっていた。
その場所は、ニーヴラフトの円卓の真下に位置する場所にあった。
その広い場所の中央には、意図してその場所に作られたとしか思えない、もう一つの円卓が、磨き上げられた石であることを除き、大きさや形まで同一としてそこにあった。
そして、その空間を支配するかのように常闇の神像が石造りの円卓を見下ろしていた。
「ぷっはぁ!疲れた…」
ディナリエルらしからぬ声を上げると同時に、階段から降りてきた存在は、青い髪と金色の瞳、極めて白い肌の女性へと姿を変えた。
「感心しましたよ。やれば出来るじゃないですか」
彼女の右肩から、紫色に発光する霊体の少年、ルトが浮き出て、ディナリエルに扮し、彼女の職務を代行しきったことを労った。
「今さら?やればできる子だから私。普段はやらないだけで」
イルは、円卓の椅子の中で、最も豪奢な装飾が施された椅子に座っている人物に視線を向けた。
「そうだよね、オリアン」
言葉が向けられた先の円卓には、まるで元首の館の執務室であるかのように、書籍や書類が所狭しと置かれていた。
その影から覗くブロンド髪の青年。多少やつれてはいるものの、館に引きこもっていた頃と比べたら、その顔に怯えはなく、自信に満ち溢れ、余分な贅肉は完全に削ぎ落とされた、一国のある主、オリアン・ワードベックの姿があった。
「イル。僕にとって、貴女はいつもでもやってくれていますよ」
■ ■ ■
バイレスリーヴ/地下/拠点ウーガ・ダール【視点:元首オリアン】
死の偽装。
この作戦は、あの夜から始まった。
■ ■ ■
バイレスリーヴ/元首の館/オリアンの執務室
「オリアンさん…最近全然寝てなくて、元気だしてほしいって思って作ったんですけど…私、余計な事をしてしまいました」
ファウラは微かに俯き、微笑みを残しながら、脇卓の珈琲と焼き菓子を下げようとした。
「あっ、いや…ごめんなさい。焼き菓子を一つだけ…」
僕は、ファウラの反応を見て、好意を無下にしてしまったのではないかと慌て、皿の上の焼き菓子に手を伸ばした。
「私こそ…ごめんなさい」
彼女は、そう小さく呟くと、僕には感知できない速度の動きで、何かをしようとした。
ガッ…
「………お嬢ちゃん。そいつぁいけねえ」
太く低い掠れた声が僕の背後から囁かれ振り返ると、そこには黒の監視団、常闇の影、ビヴォールの姿があった。
そして、彼はファウラの腕を掴み、掴まれた彼女の手には、僕の首元に向けた小さな針が握られていた。
ファウラはスカートの中に手を突っ込み、そこから光る…ナイフを抜いてビヴォールの腕を突き刺そうとした。
その腕も、ビヴォールは表情すら変えず受け止める。
「くっ!!」
ファウラは鬼の形相で、ビヴォールの側頭部に向けて片脚を高く上げ蹴りを放つ。
ビヴォールは、その蹴りを身体を屈めて躱しつつ、彼女の腕を締め上げてナイフを奪い取り、そのナイフで彼女の心臓を狙った。
「殺さないで!」
既のところでビヴォールのナイフは止まり、手刀に切り替えて彼女の項を叩いた。
ファウラは糸が切れたかのように、その場に崩れ去った。彼の一連の動作は、戦いの素養があったように見えたファウラを全く寄せ付けない程に洗練されていた。
「………ヴュールの娘に頼まれてな…見張ってたんだ。二度も…ってのは…許されねぇからな」
ビヴォールは低く掠れた声で呟く。ヴュールの娘とは…イルのことだ。彼女は予言していた。ファウラが危険だと…。
(イルが…また僕を助けてくれた?)
僕は、一瞬でも彼女を疑ってしまったことを激しく後悔した。ずっと近くで支えてくれた彼女を避け、急に接近してきたファウラを警戒もせずに受け入れてしまったのか…
僕は、この国の元首…立場のある人間だと言うのに....全然人を見る目がない。
情けなさを覚えた。
もし彼女が居なかったら…今頃僕は…
そして、ビヴォールが語った「二度も」という言葉の意味。
暗殺未遂事件の後、父の死が、事故ではなくザーラムの手の物による暗殺だったと聞かされた。
僕には、確かに衝撃的な事実だったが、ファウラの裏切りと、死があと一歩のところまで迫っていた恐怖、イルへの自責の念とが一遍に僕に圧し掛かり、そのほか、この後知ることとなる衝撃的事実が重なった結果、父が暗殺された事への憎悪の感情を、一旦脇へ置いておかざる得なくなる。
「………この娘からは、血の間の匂いがプンプンする。俺達の案件だ…。預かるぞ」
ビヴォールは床に崩れ落ちていたファウラを抱えて執務室の扉へ歩き始めた。
「拷問…するのですか」
ビヴォールは僕の問に立ち止まった。
「………この娘次第だな」
「他の方法は⋯ありませんか?」
ビヴォールは少し考え込む。
「………担当のルガルフと相談してくれ」
そう言って、彼女の手作りクッキーが、砕け、散らばった床を避けながら、執務室を去っていった。
僕は、深夜の闇の中、その後を追っていった。
■ ■ ■
バイレスリーヴ地下/拠点ウーガ・ダール【視点:元首オリアン】
ウーガダールに着いて暫くすると、任務を終えたイルとルガルフが、次いでディナリエルさんとノエルが帰ってきた。
彼女から、多くの同胞を失ったものの、任務は成功し、敵の総大将、百影将軍のゲアラハを捕縛したことを聞かされた。何故百影将軍が?と頭の中が混乱したが、この後さらに僕の頭は混乱することになる。
僕は、真っ先にイルに謝罪と感謝の意を伝えた。
彼女は、まったく意に介していた様子も見せず、許してくれた。
許しを得て、泣けてきた僕は、続けてビヴォールとともにファウラから暗殺されかけたことを話した。
すると、ノエルは、イルに向かって、《ルト》という聞きなれない者に《幻妖魔法》でファウラの記憶を改ざんし、オリアンを殺したと錯覚させられないかと提案。
イルの肩から、ルトと呼ばれる少年の姿をしたゴーストが現れた時には、激しい衝撃を受け混乱した事を覚えている。
イルの中に潜む亡国の王子の幽霊、ルトは、禁術を含む魔法の優れた使い手で、ファウラの記憶をいとも簡単に改ざんするばかりか、彼女が王国を血の間から牛耳る《吸血種》により、暗殺を指示された事まで引き出したのだった。
僕達は、十分な情報を得た上で何事も無かったかのように、ファウラを館へと運び、血糊をぶちまける。
最後は、ディナリエルさんが、上手く情報を統制し、ザーラムや血の間からの次なる暗殺の手から僕を守ることに加えて、敵の油断を引くために、公式発表ではなく、あくまで噂として、僕が死んだという話を拡散させたのだ。
以降、僕は黒き監視団の拠点に身を潜めている。
この、「死の偽装」を知るものは、黒き監視団の面々と、ルーガットさんのみ。
ディナリエルさんとルーガットさんの説得で、僕の代理を、司祭のムスタさんに預かってもらい、ディナリエルさん、ルーガットさんと僕は、イルを通じて足元のザーラムに対する攻略に向けた戦略を練ったのだった。
そして今に至る。
「ルーガットのザーラムに対する策略が、想像以上に効いているみたい」
イルは、円卓の向かいの席に座り、葡萄酒入りの革袋を取り出して煽った。
「それ程にザーラムの国内は反発の火種が燻っていたということですね」
ルーガットさんの策略とは、粗悪な小麦と薄めた魔法ポーションを、ザーラムの質の悪い金貨や銀貨ではなく、銅貨決済に限定させることで、銅貨を枯渇させ、市民生活を崩壊させて民衆の暴動を引き起こそうというものだった。
それを行う上で、バイレスリーヴの経済が共倒れで崩壊しないよう、数々の書籍、報告書からあまねく情報を取り入れたイルが、緻密な計算を行い算出した、具体的な数値に基づく戦略を実行している。
ルーガットさんが、あらゆる根拠に基づく彼女の計算結果を「机上の空論」ならぬ、「机上の実論」と評価したのが印象深かった。
「にしても…かな。まるでザーラム側から進んでこの策略に乗っているかのよう」
イルは更に、ディナリエルさんの代わりを数日勤め上げたことで、彼女の業務に係る過去の、そして最新の記録を取り込み、この街を取り巻くあらゆる情勢を記憶した状態にある。
僕はまるで執務室にいるかの如く、あらゆる街の情勢を、彼女を通じて端的に知ることが出来るのだった。
ディナリエルさんが言った、僕に付けるべき優秀な補佐官。
超知性的なヴュールである彼女と、常識を覆すような禁術を扱う幽霊、ルト。
僕はあの本屋で出会った時以来、ずっとイルと、もしかしたらルトにも補佐され続けていたのだろう。
始めから僕には、彼女以外あり得なかった。
僕の人格を構成しているとも言える、《ルヌラ神話、深海からの呼び声》に登場する神、ルヌラ。僕にとって彼女は、正にその存在に等しい⋯いや、それ以上となっていた。
「引き続き、油断せず、情勢を注視しましょう。加えて、ルガルフ達、工作部隊の任務遂行と無事を願うばかりです」




