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S-120 「これから悪事の話をしよう」

ザーラム共和国/属州サフラヒル/コラン村周辺の洞窟【視点:世界(観測者)】


 ザーラム共和国/属州サフラヒル/コラン村周辺の洞窟【視点:世界(観測者)】


 宵闇に溶け込むように、街道を巡回するザーラム兵の足音を警戒しつつ、一つの人影が素早く駆けた。


 彼は、岩陰に身を潜め、周囲に誰もいないことを確認すると、手のひらに握りしめた小石を一つ、崖の切り立った岩肌の特定の箇所へと投げつけた。


 カツ。


 間髪入れず、二つの小石が連続で投擲され、先ほどと同じ岩に正確に命中する。


 瞬間、岩肌の表面が青白く淡い光を帯び、ゴゴッ、という重い音を立てながら、巨大な岩の塊が内側へとゆっくりとスライドした。

 人影はその隙間へと滑り込み、岩が再び閉じるのを待って安堵の息を吐いた。


 洞窟の中は予想より広く、微かな焚き火の炎に照らされていた。

 そこには、コラン村の焼き討ちから難を逃れた、多くの女や子供、老人たちが互いに肩を寄せ合っていた。


 洞窟の奥。焚き火のそばで、やつれた顔の青年が一人、地図を広げていた。アストンだ。


 彼はこの数週間、必死だった。


 半年という時間のロスを取り戻すため、死に物狂いで情報を集めた。


 ヴェナがもし生きていれば、この半年の間にどこかへ流れ着いているはずだ。あるいは、既に何処かで捕まっているかもしれない。手足を失い、言葉すら奪われた彼女が、一人で生きていくことの過酷さを想像するたびに、心臓が押し潰されそうになった。


「救世主さま。戻りましたぜ」


 無法者の一人が近寄る。アストンは顔を上げた。その瞳には、かつての学生時代の暢気な色はなく、地獄を這いずり回った者特有の悲壮な色が宿っている。


「ど、どうですか。何か変わったことは。……黒髪の少女の情報は?」


 第一声はそれだった。

 無法者は首を横に振る。


「いや、少女の情報はねぇです。ただ、隣村で『ディーミディウム興行団』ってのが反体制の火種を撒いているそうで」


 アストンはその情報に、瞳を輝かせた。興行団。人の集まる場所なら、人探しの手掛かりがあるかもしれない。


「……そうですか。同志が増えるのは喜ばしい」


 アストンは静かに頷いた。

 その時、洞窟の外から合図の音が響いた。

 岩扉が開き、そこにはローブと仮面で身を隠した、銀灰色の髪を持つ青年、ルガルフの姿があった。


 ■ ■ ■


ザーラム共和国属州/サフラヒル郊外の宿【視点:救世主アストン】


 その宿はサフラヒル郊外にあった。


 仮面を被るよう指示された僕は、案内してきたルガルフと名乗る青年と共に、僕は反乱軍の会合に参加することになった。

 宿の中には、奇抜な衣装を着た仮面の集団がいた。


 皆の視線が僕に集まる。


 僕はただ、ヴェナの手がかりが欲しくてここに来た。だが、成り行きで「コラン村の救世主」として席を用意されている。


(救世主なんて……僕はただ、彼女を探すために足掻いていただけなのに)


 ここに集まった彼らは、皆仮面をつけていた。もちろん僕もだ。


「俺はディーミディウム興行団の団長、サファルだ」


 皆がそろい踏みしたことを確認すると、一人が仮面を外し、その浅黒い肌からのぞく白い歯が印象的な素顔を晒した。


「一応、俺がこの興行団を仕切ってはいるんだけど、作戦自体は彼らが主体なんだ。だから、俺は挨拶だけに留めとくよ」


 サファルは、そう告げて、僕の後ろに控えているルガルフに発言を委ねた。


 ルガルフは、宿のホールで一堂に会した、各地のリーダーたちの前に立ち、仮面を上へずり上げて素顔を晒した。


「これから…悪事の話をしよう」


 彼は凶悪そうな笑みを浮かべて眼光を光らせた。


 ■ ■ ■


 ザーラム共和国属州/サフラヒル総督府/法のカメーラ・ユリス【視点:世界(観測者)】


 大理石の床はひんやりと冷たく、窓から差し込む夕日の光も分厚い石壁に阻まれて、法の間には常に薄暗い影が支配していた。古い油ランプの煤の匂いが微かに漂っている。


 老いた法務官は硬い椅子に深く身を沈めていた。そこへ、財務官のワキールが静かに足を踏み入れ、その硬い表情で報告をためらうように立ち尽くした。


 法務官は顔を上げ、険しい顔をしたワキールに問いを促した。


「難しい顔をして、どうしたのじゃ」


 ワキールの頬にはわずかに疲労の色が見えていたが、すぐにいつもの無表情に戻る。


「実はですね」


 ワキールは前置きして語り始めた。彼の声は感情を伴わない平坦な調子で、その内容は法務官の苛立ちを増幅させるものだった。


「中央から『魔法ポーションの在庫を確保せよ』とのお達しを受けましてね。この属州の兵力配分で、魔術師は5%にも満たないので、私も重要視はしていなかったのですが。いやはや……中央の無能な書記官の指示でしょうな」


 ワキールは静かに皮肉を漏らすが、その目は法務官の反応を冷徹に観察していた。


 して、何が言いたいのじゃ」


 法務官はいら立たしげに問いを促した。


「つまり、海戦の最前線となりうるサフラヒルで、大量の在庫を抱えておく必要があるということです」


「そんな金はあるのか」


「ありませんね。作り出すしか」


 法務官は鼻で笑った。彼の頭には、既に信用が失墜しつつある貨幣をさらに劣化させる手段しか思い浮かばない。


「また錬金術か」


「えぇ……。しかし、最近、交易商たちが金銀の含有量が変わったことに感づき始め、銅貨でしか決済しないという商人たちも現れてきています」


 ワキールの報告は淡々としていたが、その事実は属州の決済システムが崩壊寸前であることを示唆していた。法務官の眉間の皺が一層深くなる。


「ふむ。では、金型師に、金貨・銀貨を他国製のものに偽造させるよう指示せよ。加えて、属州から銅貨をかき集めよ」


 ワキールは一瞬、静かにためらいを見せた。


「うぅむ……それでは焼け石に水かと。サフラヒルの信用力も下がります」


「やかましい!儂は地方の押さえつけで忙しいのじゃ!」


 法務官は硬い大理石の机を掌で叩き、その音が薄暗い法の間に響き渡った。彼の顔は怒りで赤く染まっていた。


「そうですか。では、やってみるとしましょう」


 ワキールは反論することなく、恭順の意を示した。

 彼はその言葉を傍に控える書記官に流し、踵を返す。法務官が自ら無謀な策に固執したことを確認したかのような、冷ややかな笑みがワキールの口元に浮かんでいた。彼は音を立てることなく、重い扉の向こうへと退出していく。

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