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S-116 「おっと……見逃してはくれませんか」

ザーラム共和国/属州サフラヒル/近郊【視点:帝国第弐皇女ウィスカ】


「こんなところで、検閲ですか?」


 馬車の外から、聞き慣れない数人の男の声とともに、興行団の団長、サファルの大きな声が聞こえてきた。


 彼は、馬車の中の私達に聞こえるように、敢えて大きな声で話しているのだ。

 ルガルフは直ちに、近くにあった厚手の麻布を私とウィクトリアの身体に手早く覆い被せた。馬車内の緊張は極限まで高まる。ここで私たちの存在がバレると、全てが厄介になる。


「ええ、これからサフラヒルへ興行に。その中は、道具類と、劇団の仲間が数人」


 バサッ


 サファルの声がすぐ側に近づき、強い光と共に馬車の幌が乱暴に開かれた。


「…む。彼等が劇団の?」


「はい。花形の二人です」


 ガタガタと、馬車の道具を乱暴に扱う音がする。私は、麻布の下で息を殺した。


「貴様ら、その怪しい仮面を取れ!」


(仮面?)


 ジーナ姉とルガルフは、馬車にあった芝居用の仮面を咄嗟に着けたのだろう。


「……ふむ。よかろう」


 バサッ…


 幌が再び閉じられる。


「王宮から逃亡したお尋ね者の他に、最近、サフラヒルで『アストン』と名乗る、反乱を指揮する者が暗躍している。相当とも見かけたら、通報するように」


 そう語りながら、ザーラム兵たちの足音が馬車から遠ざかっていく。私は、麻布の中に隠れて、外で展開されていた情景を想像した。

 ジーナ姉とルガルフの判断。それは、興行団という偽の顔に加え、仮面という別の秘密を作り、それを明かすことで相手に満足感を与えて、真の秘密(皇女たちの存在)を隠し通すというものだ。


(真っ直ぐな性格のジーナ姉には出来ない。……ルガルフの判断だろう)


 私は、ルガルフの冷静かつ迅速な機転に感心した。


(やるな。黒き監視団)


 私も諜報集団、百影の一人だ。(相当、浮いてたけど)あの地獄では余りの地獄っぷりに死を望んでしまったけど……負けていられない。

 私は、麻布の下で奥歯を強く噛みしめた。使命感の炎が、再びその胸で静かに燃

 え上がった。


 ■ ■ ■


ザーラム共和国/属州サフラヒル総督府【視点:世界(観測者)】


 その法務官は、先代と何の引き継ぎもなく、突如としてザーラムの中枢、ザハリアより派遣されてきた。


 腰は深く曲がり、節くれだった杖が無ければ一歩も歩めないかのような老いた姿。剥げ上がった頭と痩せ細った肢体からは、威厳よりも不気味さが漂う。にもかかわらず、彼は伝説に名を残す大魔術師、ザラストラを名乗り、属州サフラヒル総督の権力を手に、その地を欲しいままに支配していた。


 総督府の大理石の床や重厚な石壁は、彼の存在によって冷たく、陰鬱な空気に満たされている。


 彼は乾いた布を絞るように民から税収を徹底的に吸い上げ、蜂起の機運を未然に摘み取るべく、監視・抑圧体制の強化に着手した。その手段は露骨だった。反乱分子を阻止した兵士の給与に、鎮圧の成果に応じた歩合を加えていったのだ。兵士たちの目は、愛国心よりも金銭欲によって血走っていた。


 そして、着任直後に彼が直接出向いて行った、あの《コラン村の焼き討ち》。

 サフラヒルの小さな漁村、コラン村で、突如現れた《アストン》という若者の旗の下、荒っぽい気質の村の男たちが団結して駐屯兵を襲撃し、第二次イッススとなり得る反乱の狼煙が上がった。


 これを、老いた法務官が一撃で鎮圧したのだ。


 彼は、地緑の結晶の強大な力を魔力に変え、巨大な炎破魔法をコラン村に叩きつけた。火炎は空を覆い、村全体を一瞬にして焼き払い、そこに暮らしていた民に地獄を見せた。焦げた木材と肉の異臭は、何日も周辺にこびりついていたという。


 この凄惨な噂は、総督府の意図的な宣伝も手伝って、サフラヒル全土に一気に広まった。サフラヒル西のザーラム属州で起きた、《イッススの暴動》で再び高まり始めていた反乱の動きは、この数日でまるで、熱病が治まるように一気に沈静化したのだった。


「貴殿の働きで、私がここに来た理由は無くなりましたね」


 総督府の《法のカメーラ・ユリス》。歴史と権力の重みを感じさせる薄暗い部屋の中、豪華だが肌触りの悪そうな革張りのソファにその男は悠然と腰かけていた。


 浅黒い肌に黒い髪、そして黒曜石のような黒い瞳を持つ紳士。

 彼は、ザーラム共和国財務官、ワキール。


 ワキールは、サフラヒルでの反乱の兆しを重く見た執政官バージェスにより、新総督の到着から数日後に現地に派遣され、現地総督とともに、鎮圧に向けた工作に当たるよう命じられていたのだ。


「前任が腑抜けすぎたのじゃ。愚民には適度な恐怖を。体制側の者には厚遇を。こんな単純なこともわからんのじゃからな」


 ザラストラを名乗る老人は、背もたれの高い豪奢な椅子に深く身体を沈め、何本かの歯が抜けた口元から聞き取りづらい発音で、中央からの使者、ワキールに語りかけた。


 薄暗い法の間の唯一の光源である魔導ランプの光が、彼の痩せた中指に嵌められた指輪の、大きな琥珀色の魔石を怪しく照らし、ギラリと輝かせている。

 ワキールは、その輝きから目を逸らさず、慇懃な態度で静かに言った。


「貴殿の功績は疑いようがありません。貴殿がここにいれば、サフラヒルは安泰でしょう。私はこれ以上、余計な手出しはいたしません。今しばらく滞在し、頃合いをみて……中央に戻るとしましょう」


 ワキールの言葉は、まるで、この場の緊張から逃れようとするかのように聞こえる。老法務官の鋭い眼光が、一瞬、獰猛な光を放った。


「何を、逃げようとしておる、ワキール。お主は、お主自身がこの属州に命じた、戦争準備を、自分自身の責務として当たってもらうんじゃ。簡単なことじゃろう」


 老法務官の言葉は、細い身体から発せられたとは思えないほど鋭く、ワキールの余裕を試すように突き刺さる。


「おっと……見逃してはくれませんか。ごもっとも」


 ワキールは、軽く笑みを浮かべ、ソファから立ち上がった。黒曜石の瞳の奥に一瞬の苛立ちがよぎったが、すぐにいつもの余裕を保った顔に戻る。彼は着衣の乱れを優雅に直し、深々と一礼した。


「私に任された責務ならば、お言葉に甘えて、このワキールが対応させていただきましょう」


 静かにそう言い残し、ワキールは重厚なオーク材の扉へと向かい、法の間を後にした。彼の足音が、大理石の床に静かに響き、やがて消えていく。


「ふん……調子のいい奴じゃ……」


 老法務官は、ワキールの消えた、硬く重い扉を見送りながら、低い鼻声で一度、鼻を鳴らした。その口元には、満足とも軽蔑ともつかぬ、不気味な笑みが浮かんでいた。


 バイレスリーヴ元首の館/使用人の部屋【視点:世界(観測者)】


 国家元首の館、その広大な建物の片隅に位置する使用人の部屋は、誰もいない時間には深い静寂に沈んでいた。素朴な木材の壁と床は冷たく、窓からは夕暮れの残照が細長く差し込むのみで、部屋の隅は濃い影に覆われている。


 その影の最も深い場所へ、元首の館の給仕であるファウラは静かに近づいた。彼女は普段の愛想の良い表情を完全に消し、蒼白な緊張を滲ませた顔で、誰にも聞こえないほどの微かな声で報告を始めた。


「……元首暗殺後、バイレスリーヴの情勢は表向きには大きく変わらず。司祭ムスタの代理体制が続いています」


 彼女が話しかけたのは、壁際にできた、不自然なほど濃い、揺らめく闇だった。それは、光が届かないという物理現象ではなく、空間そのものが歪んだような異質な影だ。


「ただ、事実隠蔽への民の不信は高まり、議会に対して真実開示の請願が相次いで行われており、体制は内側から静かに揺らいでいます」


 ファウラは、闇の中の微かな反応を確認しながら、緊張した面持ちで報告を続ける。冷たい汗が手のひらに滲んでいた。


「引き続き、バイレスリーヴの裏に潜む『黒の監視団』に関する情報を収集し、その頭目の特定・暗殺に向け、善処します」


 彼女が言葉を結んだ瞬間、彼女が語りかけた闇の中が僅かに波紋のように揺らめいた。空気が一瞬、重く冷たくなったのをファウラは感じた。


「……定期報告、御苦労。そちらの警戒態勢は上がっているはず。また、黒の監

 視団はヴェルメリオを殺害したと目される、実力ある組織。油断することが無いよう、細心の注意を払え」


 その声は、人の発声器官を通さない、脳に直接響くような冷たく響く音だった。ファウラの意思に依らず、その異様な闇は収縮し、閉じようとしていた。


 闇が完全に消える直前、ファウラは張り詰めていた理性を振り払うように、切実な願いを問いかけた。


「あの……私の弟は……」


 彼女の声には、命を賭けた仕事の報酬として、唯一求めているもの。病弱な弟の命への不安と愛情が滲んでいた。


 収縮しつつあった闇は僅かに広がり、冷徹な響きを返した。


「今回のお前の働き、主は高く評価されている。弟への薬代は私が手当てしておこう」


 その言葉が途切れると、闇は音もなく、まるで最初から何も無かったかのよう

 に、その空間はただの薄暗い壁へと戻った。残るのは、冷たい空気の名残だけだ。


「……ありがとうございます」


 ファウラは、誰もいない、ただの壁に向かって、静かに、そして深い安堵と自己嫌悪が混じり合った声で呟いた。

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