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S-115 「大魔術師ザラストラを名乗っている」

ザーラム共和国/属州サフラヒル/街道沿いの村デスリア【視点:帝国第弐皇女ウィスカ】


 宿を発った後、私はウィクトリア、そしてジーナ姉とルガルフと名乗る長身の青年と共に、何に使うのか分からない、色とりどりの大道具、小道具、模造の武器や仮面、鬘などが所狭しと押し込められた巨大な馬車の中へと乗り込んだ。

 気の所為か、荷物の奥から鳩の鳴き声も聞こえる。


 私は、荒い木の床に敷かれた布の上に横たわっている。馬車はザーラムの東街道をガタゴトと進み続けていた。


 馬車の内部は、埃っぽい芝居道具の匂いと、古びた革、そして火薬のような微かな匂いが混じり合い、外の新鮮な空気とはかけ離れた、不思議な空間になっていた。


 私とウィクトリアは、匿って運んでくれた御者と別れ、以後、この興行団と行動を共にすることになった。


 目的地のサフラヒルはまだ遠い。


(ワキールは……)


 私は、意識が朦朧としていた時の記憶を辿る。

 あの地獄から私達を解放する時、ワキールは自分自身を「機会主義者」だと言っていた。そして、「帝国に個人的な貸しを作っておくのも戦略の一つだ」と。


 拷問室へ送り込まれたのは、他ならぬ彼の策略によるものだ。その私としては、これっぽっちも借りだとは思っていない。だけど、ウィクトリアにとっては、私を助けるという点で、もしかしたらそうなのかもしれない。


 その複雑な感情が、私の胸の奥でざわめいた。私が、重い身体を無理に起こそうとすると、ウィクトリアに優しくも強い力で制される。


「まだ寝てないといけませんよ」


 彼女の手のひらが、私の肩をぐっと押し戻した。


「大丈夫、ウィクトリアと、ジーナ姉の薬のおかげでだいぶ良くなってる」


「そうやって無理するから、治りが悪いのです」


 ウィクトリアの口調は、以前私がザーラムの宮廷で会った時よりも、どこか張り詰めていて厳しい気がした。その真剣さに、私は微かな戸惑いを覚える。


「サフラヒルでは……一体何を?」


 私の問いは、ウィクトリアに静かに無視された。彼女は応える代わりに、馬車の隅へと視線を移す。そこには、壁にもたれかかって座る、金色の髪をした長身の青年がいた。ジーナ姉もまた、その青年、ルガルフに視線を投げかけている。

 ルガルフは、私達の会話に耳を傾けていたようだが、感情を読み取れない黄色い瞳を私に向け、静かに答えた。


「……慈善活動だ」


 彼はバイレスリーヴの裏社会を牛耳る諜報ギルド、『黒い監視団』の執行者だと明かした。私のような同業者では無くても分かる。そんな彼が冷ややかな声で口にした慈善活動など、偽装に決まっている。


 それは、おそらく私たちを国へ帰還させるための工作、あるいはザーラムを内側から崩すための破壊工作の一種だろう。私の胸は、再び緊迫感で満たされた。


(彼らの計画を少しでも軽くする手助けをしなければ……)


 私は、呼吸を整えながら、馬車の揺れに合わせてか細い声を絞り出した。


「サフラヒルで工作するなら……気をつけたほうがいい」


 私は、ザハリア城で得た、確度の低い、誰かの噂話の欠片のような微かな情報をルガルフへと向けた。

 ルガルフは、私の言葉を遮るように、無言のまま意識を一気に私へと集中させた。馬車内の埃っぽい空気が、一瞬にして凍りついたように感じる。その静かな圧に、私は思わず身体を硬くした。


「詳しく」


 彼の金色の瞳が、私の瞳を真正面から射抜いた。


「あの属州の総督は……大魔術師ザラストラを名乗っている。本当か嘘かは見てみないと分からない」


 私は、彼の迫力に気圧されそうになりながら、震える声で告げた。


「ザラストラ……。あのゾンビドラゴンを封印したという伝説の大魔術師か」


 ルガルフは、微かに眉間にしわを寄せた。彼の冷徹な表情にも、その名前の重みが動揺として表れたのを見て、私の全身に薄い冷たい汗が滲んだ。

 ウィクトリアは、ルガルフの隣で静かに座っていたが、ここで魔術師としての知識に基づき口を開いた。


「永遠を生きると言われている大魔術師ですね。歴史の文献では、星灯暦のはじまり前からその名前が記述として残っているそうです」


 私は、息苦しさを感じた。ルガルフやジーナ姉が命を賭けてまで行う工作が、伝説そのもののような存在と対峙する可能性を示していることを。


「危険を冒してまでサフラヒルで工作するの?」


 私は、思わず尋ねた。


「ウィスカ、お前が言うな」


 ジーナ姉に、すかさず、痛いところを突くように指摘を受ける。私は、ぐっと唇を噛んだ。


(心外だ。私は積極的に危険を冒したつもりは無いのに…)


「危険を冒してまでこの国に入ったのは、アンタを探すためと言うのもあるが、彼女達、バイレスリーヴ青年団を救うという目的も含まれている」


 ルガルフの言葉は皮肉っぽく始まったものの、その核心は真剣だった。


「青年団の一人として活動していたウィクトリアの話では、彼らがサフラヒルに残っている可能性が高い。そうだろ?」


 ルガルフの振る舞いに、ウィクトリアは張り詰めた表情で静かに頷いた。


「5年前の話ですので、確実とは言えませんが、サフラヒル近郊の開拓地で働かされていました。私も最初はそこで…。1年ほど前に王宮で漏れ聞いた話でも、彼等はまだサフラヒル近郊の《コラン村》で奴隷労働を強いられていると聞いています」


 ウィクトリアの声は、過去の記憶を反芻するように低く、重かった。彼らは5年も前、まだ子供の時から、この腐ったザーラムにいいように使われているというのだ。


(私は……5年前に何をしてたのだろうか)


 持ち前のセンスの良さから剣の道に進んだ姉と、天才的な弓の才能を持つ妹。特に才能のない私。ひとり葛藤しつつ、何から手をつけていいのか分からなかったあの時期…


「ウィスカ、そういう事だ」


 ジーナ姉の強く澄んだ声が、思考が深く逸れ始めていた私を力強く引き戻した。その声音には、私の弱さを咎めると同時に、優しく現状に引き戻す意図が含まれていた。


(流石、姉さん……)


 私にも一時期、この完璧な姉に張り合おうと藻掻いた時期があった。しかし、私には到底辿りつけない境地にいると悟って、今に至る。


「理解した」


 私は弱々しいながらも、明確な返事でルガルフの視線を受け止めた。


「と言うことだ。ザラストラの懸念は残るが、サフラヒルでは、興行団になりきり、慈善活動に徹しつつ、拉致された青年団の情報を集めつつ、『彼』に頼まれた『あの噂』を振りまいてもらう」


 ルガルフが馬車の壁に両肘をつき、今後の方針を冷徹に示し終えた、まさにその瞬間…


 ガッ!


 馬車が急に、激しい音を立てて止まった。積み込まれた大道具が大きく揺れ、埃が舞い上がる。


 ウィクトリアとジーナ姉は即座に身構え、ルガルフは静かに立ち上がった。

 何かが起きている。


 私の心臓は、再びあの地獄の緊迫感で速く脈打った。

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