S-107 「なんで俺が!?」
バイレスリーヴ議場/ニーヴラフト【視点:常闇の目ノエル】
白亜の天井画が、冷たい光を円卓の中央に落としている。議場のひんやりとした静寂の中、帝国万騎将軍、カースランは、皇帝の厳めしい署名が入った次の依頼の手紙を代読し終え、ボスである母さん(ディナリエル)に手渡した。
俺と銀髪のルガルフは、母さんの背中越しに、羊皮紙に書かれた手紙の内容を覗き見る。
その手紙は、前回の依頼の謝辞に始まり、次なる依頼「共同戦線」にかかる内容が厳命の調子で書かれていた。
その敵となるのは、当然、《連合王国レクイウム》だ。
帝国における、百影将軍ゲアラハの長きにわたる裏切りは、連合王国の貴族たちを裏から牛耳っている《血の間》からの支援あってのものであり、帝国の兵力を大きく消耗させることとなったリザードマンの襲撃も、その背後の《血の間》の存在が今や明確となった。
つまり、我々の真の敵は、レクイウム連合王国に巣食う吸血種と、それに操られている連合王国そのものなのだ。
その脅威は余りにも巨大だ。ザーラムですら、対処しきれない相手だというのに。
ただ、建前上の中立を謳ってきたバイレスリーヴも、今回の百影の一件で、《血の間》から新たな敵として明確に敵視される立場となった。そして、奴らの絶望的な脅威は、俺ちがクルーア廃坑から帰還する最中に、元首オリアン暗殺の実行行為が行われたことで、余りに早く思い知らされたのだ。
現在のバイレスリーヴは以前に増して危機に瀕している。
母さんは、手紙を読みながら険しい顔をした。その視線は鋭く、手紙を突き破りそうなほどの圧があった。
「共同戦線……か。今の私たちは、この国を監視することも十分にできない組織力しかない。ここはまさにスパイ天国だ。帝国の求めに応じられるかは甚だ疑問だが」
そう、我々は、その敵の魔の手を事前に認知することが出来なかったという意味で、前元首エドワルドに続き、大きな失態を二度も続けて犯したこととなった。
黒の監視団は、最も信頼に値する議員で、自分の表の顔の「ボス」であるルーガットに相談した。その結果、事実を隠蔽し、執務が滞らないよう、代理として司祭ムスタを当てることとなった。現状は取り繕えてはいるものの、組織力を強化しなければ、第三、第四の事案が発生しかねない。ここで共同戦線を締結することは、穴だらけの監視網に更に大きな穴をあけることとなりかねないのだ。
しかも……
羊皮紙の後半には、追い打ちをかけるような要求が書かれていた。
――黒の監視団が捕縛せし百影将軍ゲアラハの身柄、宮廷へ引き渡すべし。その際、ディナリエル、並びにその左腕たるノエル両名を召喚し、我が御前に拝謁せよ。
(なんで俺が!?)
皇帝ソラス直々による指名の意味が全く理解できない。「左腕」なんて恐れ多く、自分のような矮小な存在が、皇帝に認知されていたことに驚きと不安を覚えた。
ただ、それ以前に、俺はともかく、今の黒の監視団から「母さん」が一時的にでも抜けることは、すなわち組織⋯いや、バイレスリーヴの崩壊に繋がりかねない。
皇帝ソラス。どんなに偉いのか知らないが、その要求は余りにもバイレスリーヴを軽視していると言わざるを得ない。
(何様だと思っているんだ)
「金貨2,500枚。これは黒の監視団の組織力を強化するには不十分だと?」
カースランは難しい表情をしながら母さんに語り掛けた。
(大金をちらつかせれば、俺たちがほいほいと安請け合いすると思っているのだろうが……。そんなに……甘くは……ないぞ)
母さんの険しい横顔を見つめながら、内心で毒づいた。母さんは、手紙を読む手に力が入り過ぎて、節々が白くなっている。
「……1週間。1週間だ。その後、招聘に応じよう」
「かっ……ボス!?」
思いもよらない返答に危うく「母さん」と叫びそうになり、口を強く結んだ。
ルガルフは、低い声で、母さんに詰め寄る。
「ボス……それで良いのですか」
「ルガルフ…この資金で早急に組織を拡大させろ」
母さんは、ジーナから受け取った赤金の革袋をルガルフに託した。
「一刻の猶予もなく」
ルガルフは、獲物を掴むようにその革袋の口を強く握りしめた。彼の黄色い瞳には、強い決意の光が宿っていた。二人のやり取りを横で見て、俺は自分がルガルフにどれだけ引けを取っているのかを、痛烈に感じざるを得なかった。
彼は、クルーア廃坑の戦い以来、今までの筋肉馬鹿ではなくなった。死線を潜り抜けて得た確かな実力に裏付けられてか、言い表せない迫力と、超然たる態度が稀に感じられる。
その纏う空気は、悟りの境地に至った者のみから感じられるものだ。
(背負うものが違うと……これほどまでに人は成長するのか)
かつて、彼が母さんと俺の下にやってきたとき。俺のほうが剣の腕が秀でていた時期もあった。だが、今ではこれほど差が開いてしまうとは。
カースランは、そのやり取りに感銘を受け、深く頭を下げた。
「感謝する」
カースランが謝辞を述べ、この話を締めくくろうとしたその時、ジーナが、それまで抑えていた感情を解き放つように、円卓を強く叩いて立ち上がった。
ジーナは、冷たい表情を微かに崩し、真剣な眼差しを母さんに向けた。
「私事で恐縮だが……折入って頼みがある」




