S-106 「共同戦線を結びたい」
バイレスリーヴ/潮風通り【視点:世界(観測者)】
バイレスリーヴ昼の鐘が、重々しい音を響かせた。
「この短期間に二度もこの街を訪れることになるとは」
流れるような鬣と絹のような美しい尾を持つ白馬に跨った、白銀の髪の美女が、青がかった灰色の瞳に冷たい表情を湛え、そう口にした。
「美しい景観、美味な食べ物。活気ある人々。総じて良い街です…しかし…今日の潮風はやけに重たく感じる」
彼女の隣を歩くのは、見事な毛並みの頑強な黒馬に跨った、筋骨隆々の威厳ある中老。白髪が目立つカースラン・ジス・グレングラン将軍だ。
鉄壁皇女ジーナ・マグ・ファランと万騎将軍カースランを先頭に、仰々しい行列がバイレスリーヴに到着した。
彼らは、館の使いの案内で、石造りの重厚な国家元首の館へと向かった。ジーナは、館の門をくぐった瞬間、空気の重みが増すのを感じた。
「ここは特に…空気が重いな」
感性が鋭いジーナが、元首の館の大理石の床に漂う、異様な雰囲気を察知した。
「うむ…。街中の民たちも、どこか疑心暗鬼な様子だった」
カースランは、街中を進む際に、人々の微かな囁き声に、元首の不在を訝しむ奇妙な言葉が混じっていることに気付いていた。その時、広間の奥の執務室の扉から、酒臭い匂いを微かに纏わせた男が現れた。
「おぉ、カースラン殿、ジーナ殿。この僻地までよくぞお越しくださった」
現れたのは、白い法衣を着たウニヴェリア教会司祭ムスタだった。
カースランはオリアン元首が現れるものだと思っていたため、戸惑いを隠せない。
「おお司祭殿。なぜここに」
ムスタは、申し訳なさそうに肩をすくめて見せた。
「いや…実は。今日からしばらく儂が国家元首の執務を代行することになりましてね。せっかくお越しいただいたのに、面目ない」
ムスタはそう語ると、二人からの追加の質問を拒絶するかのように、言葉を続けた。
「それででして。今晩は、お二方、帝国の御来賓をこの館に招いての晩餐会を企画しております。それまで時間があります故、客室でお寛ぎになってはいかがでしょうか。大浴場もありますので、先ずは長旅の疲れを癒してください」
ムスタは早口で福音書を朗読するかのごとく、二人に口を挟ませなかった。カースランはジーナに目くばせを送り、ムスタの提案に断りを入れた。
「そ、それはありがたい。だが、先ずは街中を見て回りたくてな。この前来たときは、ゆっくりできなかった故…」
ムスタは、その返答に安堵したような表情を微かに見せた。
「おお!帝国の方々は、長旅にも負けぬ強靭な身体をお持ちだ。どうぞ、ごゆっくり観光なさってください」
ムスタはそう話し終えると、軽く小礼をして、そそくさと奥の執務室へと戻っていった。
館の使用人がカースランに声をかけ、護衛兼観光案内の役割を担う二人の衛士を紹介した。
「閣下、この者たちがご案内いたします」
顔を覆う兜を被った衛士二人は、深々と礼をする。
カースランとジーナは何かを察し、彼らの後について、外に待機させた豪華な馬車へと案内した。
■ ■ ■
「こちらが、バイレスリーヴで最も有名な、巨大壁画です」
カースランとジーナは、馬車で街中の主要な名所を案内され、噴水広場の巨大な石壁をゆっくりと横切った。
「この壁画は、1000年以上昔から存在し、あまりに巨大に見えますが、実はいくつかに分断されており、巨人族がどこかから運んできたとも考えられています」
衛士の一人が、馬車の外を歩きながら、それぞれの場所の由来を語っていく。
「彫り書かれたこの絵巻は、深海神ルヌラの伝説を表したものと考えられており、外海に住むヴュールたちの王らの戦い、そして、それを深海から飲み込もうとする、ルヌラの巨大な触手が描かれています」
衛士の解説が終わると、馬車は速度を速め、次の観光名所へと向かっていった。
潮風通りを西進し、しばらく通りを進むと、白い色が若干くすんだ、重厚で威風堂々とした建物が現れた。その建築様式は、この街の他の建物と若干異なっており、異彩を放っている。
「こちらが、バイレスリーヴ議会の議場、《ニーヴラフト》です」
■ ■ ■
バイレスリーヴ/議場ニーヴラフト
衛士は、静謐な議場の前で馬車を停め、扉を開いた。
「こちらも、壁画と同じく非常に古い建物で、神殿的な建築様式で建てられています。おそらく祭事に使われていたと考えられていますが、今は議会の議場として使われています」
衛士たちは、誰も居ない議場の鍵を開け、冷ややかな静寂が支配する中へ二人を招き入れた。衛士たちは、周囲に人影がないことを確認すると、音を立てて扉を閉め、金属的な音を立てて鍵をかけた。
「ただ、バイレスリーヴの議員たちは殆どが多忙を極めるため、この場所にわざわざ集まって議会を開くことは少なく、ほとんどが立ち話や領主の館で行われる会合などで済ませてしまうのです」
カースランは、帝国では考えられないその自由さに、驚きを通り越して興味を覚えた。
「それほど自由とは」
衛士たちの次の説明はなく、カースランとジーナを、静かに奥へ奥へと案内する。この議場の中は夏だというのに、ひっそりと静まり返り、石の床から微かだが、ひんやりとした冷気が漂っていた。
案内された先。その広い部屋の中央には、磨かれた木材の大きな円卓。壁には歴代国家元首の肖像画。そして白亜の天井には、びっしりと見たことのない神々と、何かを意味するであろうその物語が描かれていた。噴水広場の壁画は、この神話の一部を切り抜いたかのようにも見える。
カースランとジーナが、その荘厳な造形に心打たれて天井を見上げていると、石の床を固い靴底を打ち付ける足音が近づいてきた。
その音の主は、長身痩躯で背筋が常にピンと伸びた、常闇の影、ディナリエルだった。ディナリエルは、灰色がかった青い瞳を細め、厳格な姿勢を崩さずに客人を迎えた。
「ようこそ…常闇の領域へ」
ディナリエルの挨拶に合わせ、案内を終えた衛士の二人は、それぞれ兜を脱いだ。かれらは正規の衛士ではなく、それに扮していた常闇の手、ルガルフ、そして常闇の目、ノエルだった。
ジーナは、兜を脱いだノエルを見つめ、目が合った瞬間、視線に射抜かれたように慌てて目を逸らした。
カースランは、目の前の事実に驚き、唸り声をあげるように言葉を漏らした。
「この国の治安を総べる其方が、裏側からも支配しているとは」
ディナリエルは、口角を微かに上げてみせた。
「支配などと。ご冗談を」
ディナリエルは、二人の客人に円卓の席を薦め、ルガルフとノエルは、ディナリエルの一瞬の目くばせにより、彼女の背後、影となる位置に立った。
ディナリエルは、一度ノエルに視線を向けた後、ジーナへと視線を移す。それを受けたジーナの視線は、ノエルとディナリエルの間を落ち着きなく行き来させた後、ディナリエルの口元付近に焦点を合わせることで、緊張を抑制しようとした。
直後、ディナリエルは厳粛な口調で切り出した。
「詳しくは話せないが、現在、我が国では緊急事態が発生している。故に、こんな場所での会合とさせていただくことをお詫びする」
カースランは深く頷いた。
「無理を言って会いに来たのはこちらだ。深くは聞かんが…相当まずいことが起こっているようだな」
カースランは街中で、そして元首の館で感じたことから、その事態に対応するディナリエルの心中を推し量った。ジーナは、背中に隠し背負っていた重い革袋を円卓の上に静かに置いた。
「まずは、皇帝からの謝礼だ。それとは別に、もう四袋、同じものを届けさせよう」
ジーナはマントの下に隠していた、金貨500枚が入った赤と金色で刺繍された頑強な革袋を下ろし、跪いてディナリエルに手渡した。
椅子から立ち上がり、それを受け取ったディナリエルは、その袋の口から覗く金貨の山と、その重みから、瞬時に正確な枚数を見当づけた。
「確かに皇帝の依頼による我が組織の損失は甚大なものだった。だが、それにしても…この額は多すぎる気がするが…」
ディナリエルは微かに困惑した表情を浮かべたが、直後にその意図を鋭く読み取ったかのように、表情を一変させた。
「つまり、他に依頼があると…」
ディナリエルの鋭い洞察力に、カースランは感嘆の意を込めて、ジーナと目を合わせた。
「そこまで察しがいいとは。まるでゲアラハと話している時のような気分だ」
カースランは苦笑し、一呼吸置いてから真剣な面持ちで切り出した。
「近く起こるであろう大戦争に向け、黒の監視団と我が帝国軍は、共同戦線を結びたい」




