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S-105 「死んでた。……殺されたんだ」

ザーラム共和国//属州サフラヒル/コラン村【視点:世界(観測者)】


「あっひゃっはっはっは!」


 ねじれた朽木がローブを纏ったかのような老人が、焼け落ちる村を満足そうに眺めている。


 その老人の瞳には、赤い炎が映りこみ、その指の嵌められた琥珀結晶の指輪には、魔力の残滓を残して怪しく輝いている。


「恐ろしや…ザラストラ様」


 ザラストラと呼ばれた彼の背後には、その杖から放たれた炎破魔法の威力に唾をのむザーラム兵たち。村の炎によって彼らの影は夜にもかかわらず、痩せた地に焼き付いていた。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/潮風通り


 内海から吹き込む湿った潮風が、港町の石畳の道を撫でていく。陽光はすでに高く昇っているが、通りには鬱屈した空気が澱んでいた。


「何っ!?今日もおらんのか!こちとら田舎から遥々来たっていうのに」


「元々引きこもりだったって話だ。慣れない元首の座で、また屋敷に籠っちまったんじゃねぇか?」


「それにしても、つい最近まで変わった様子もなく、働き詰めてたらしいが」

「慣れねぇことして、無理が祟ったんだろうよ」


 地方から謁見に訪れた裕福な地主たちが、通りで苛立ちを隠さずに待ちぼうけを食らっていた。彼らが目指す国家元首との面会は、今日で3日間も果たされていない。民からの嘆願や行政政策の裁定も二日間滞り、ようやく今日、代理人によって停止した職務が再開されるという。


 その代理人とは。


 上等な絹で織られた白を基調とした法衣を着込みながら、昨夜の酒と安っぽい香油の混じった匂いを潮風に乗せて漂わせる、ブロンドの髪に浅黒い肌の中老の男。彼は遊興街の女を両脇に抱え、潮風通りを闊歩していた。首からは六芒星に15柱のウニヴェリアの神々を象徴する光石を装飾した首飾りを下げている。


 そして、その法衣の背中には、深く鮮やかな青色を基調とした色彩で、《海洋の神ネプタリオン》を表した文様が緻密に織り込まれていた。


 バイレスリーヴのウニヴェリア教会司祭、《ムスタ・ムストス》。


 不良聖職者の名を冠する彼は、バイレスリーヴ議会の議員であり、今日から元首の職務を代行することになった人物だった。


 彼が選ばれた理由は至極単純だ。ウニヴェリアの熱心な信者が少ないこの街で、教会を訪れる者はごくわずか。故に、彼は途方もなく暇だったからだ。


「ひょーう。今日一人目のとびきりの美人ちゃん、見っけ」


 ムスタは通りすがりの女性を見つけると、目を細めて下卑た笑みを浮かべ、楽しそうにその後姿を見送る。


「一人目?私たち入ってないじゃないですか」


「もうムスタ様と朝の同伴してあげなーい」


 両脇の風俗嬢は、肘でムスタのわき腹を戯れに小突いた。ムスタは痛がるふりをして笑う。


「おぉ、これはムスタ司祭殿ではないか」


 彼を知る地方の地主の一団が、慇懃に声をかけてきた。


「おお!久しぶりだな!今年は麦の収穫が豊作だと聞くが」


 ムスタは相変わらず気さくな調子で応じる。


「日頃の行いがいいもんでね。しかし、今は御覧の通り、新しい元首殿に謁見に来たのだが…3日間待ちぼうけだ。いったい元首殿はどうしたというのか」


 地主は顔を曇らせ、ムスタに愚痴をこぼした。


「おう、それだ。それ。儂なんか、そのせいで、今からしばらく、元首様の職務を代行させられるんだ。くそっ…議会の奴らめ…どうせ儂が暇だって言うんだろ」


 ムスタは心底うんざりした様子で、地主の愚痴に便乗して愚痴を返した。


「へぇ!じゃあ司祭殿が国家元首代行かい?いやはや、大出世ですな」


「はぁ…。出世なんかどうでもいい。働きたくねぇ…。儂は働くために司祭になったんじゃない」


 ムスタは顔を歪め、心底代理人に命ぜられたことが嫌な様子を見せた。


「で、司祭殿。国家元首殿は、いったいどうなったんですかい?この前変わったばかりだというのに」


 地方の地主は、周囲の目立たない者たちを警戒するように見回し、小声で尋ねた。


「それな。……嬢ちゃんたち、これから厄介な秘密の話をするから、一旦お暇だ。また夜にたっぷり遊んでやるから、これで美味しい酒でも飲んでろ」


 ムスタは惜しげもなく風俗嬢たちに銀貨を数枚握らせた。


「えー、何それ。どうせ私たちは邪魔者ですよー」


「ほんと、ほんと。また夜の『礼拝』でね」


 風俗嬢たちは手のひらをひらひらと振り、艶めかしい笑顔を残して、遊興街の方向へと戻っていった。


 ムスタは、風俗嬢たちの姿が遠ざかり、話し声が潮風に消えるのを見届けた。それから、地主の一団の中央にいる地主に顔を近づけ、極めて小さな声で囁いた。


「ルーガットとディナリエルは必死に隠してるが……元首は、執務館で倒れていたらしい」


「な、倒れていただと!?」


 地主は、驚愕と動揺で思わず声を上げてしまった。


「しっ!!」


 ムスタは素早く地主の口を手のひらで抑え、目だけで周囲を睨むように見回した。彼の浅黒い肌には、わずかな冷や汗が滲んでいた。


「……どういうことです」


 地主は息を呑み、ムスタのただならぬ様子に気圧されて、今度はほとんど息のような声で聞き返した。


「誰にも言うなよ」


 ムスタは苦悶の表情を浮かべ、疲弊したように声を更に抑える。その行動は、この情報が彼自身にとっての重圧であることを示していた。彼は地主の耳元に口を近づけた。地主は彼の秘密を告げる姿に、乾いた生唾を飲み込んだ。


「死んでた。……殺されたんだ」


 ムスタの声は、潮風の音にかき消されるほど小さかった。


 ■ ■ ■


バイレスリーヴ/海鳴りの洞窟


 海鳴りの洞窟は、昼間でも太陽光が届かない、深く静かな広い空洞だった。冷たく湿った岩肌を伝う地下水の音と、微かに潮の香りが満ちるその空間に、低く響く金属音が反響する。


「トン…トン……」


 固いオーク材を、ドワーフの吸血種であるビヴォールが、重厚な金属製の工具で叩く音だ。彼はぶっきらぼうなガタイを揺らし、茶色く固そうな髭を苛立たしげに擦る癖を見せる。


「………なんだ。まだ暫くかかるぞ」


 ビヴォールは、低くかすれた声でそう呟き、人の気配を感じてその手を止めた。

 その人影は、彼が修繕中の大型帆船を見上げるようにして静かに立ち尽くし、その巨大で精緻な船体に心から感動している様子だった。


「………お前たちヴュールに、わざわざ船なんて必要ないだろうに」


 ビヴォールの視線の先には、青い髪と金色の瞳、極めて白い肌を持つ女の姿をしたイルがいた。彼女は、闇の中でも微かに光を放つような神秘的な佇まいで、興味深そうにあちこちの船材を見回している。


「そうかもだけど、……あんなことがあったじゃん」


 イルは表情をわずかに曇らせ、船のあちこちを触れて回る。


 トントン


「そう言えば、オジサンも吸血種なんだよね?」


「⋯⋯⋯それがどうした?」


 ビヴォールは作業をしながら答えた。


「ヴェルメリオって奴。クルーア廃坑で倒したんだけど⋯。あいつらって王国を裏から支配してるらしいじゃん。なんでそんな事するんだろって」


 イルは船の材質に触れながらビヴォールに質問した。


「⋯⋯⋯百影の大将から聞いたのか。言っておくが、俺は奴等とルーツが違うから詳しく知らんぞ」


 ビヴォールはイルの続く質問を読み、予め断りを入れた。イルは彼の言葉に対して沈黙の間を与えた。


「⋯⋯⋯ったく。恐らく、恐らくだが。生き血を枯渇させたくないという⋯漠然とした不安の裏返しだろうな」


「そうなんだ。でも、人間いっぱいいるんだから。国まで支配してやることかな」


 イルはビヴォールに語らせたことで、少し満足そうな表情を浮かべた。


「⋯⋯⋯お前のようなヴュールには分からんだろうが。人が飢饉を恐れる以上に、人の血肉からしか生の糧を摂取できない俺達は、常に飢えの恐怖と隣り合わせなんだよ」


 ビヴォールの木槌を叩く音が大きくなった。


「ふーん。そうなんだ」


 イルはイマイチ腑に落ちないようだ。


「欲の深い商人が、お金がたくさんあっても足りないと感じるのと一緒なんじゃないですかね?」


 二人の会話を聞いていたルトが、イルの肩から現れてイルに告げた。


「⋯⋯⋯そもそも、その感情をソイツは理解してねぇだろ」


「分かってるし!私にとってみれば、それはお酒が無くなる恐怖に置き換えられるし!」


 イルはムッとなって反論した。


「⋯いや⋯⋯そんなクソみてぇな感情と一緒にすんな」


 ビヴォールは呆れた表情を見せ、再び作業を続行しようとした。しかし……


「………さっきから何してんだ。一体」


 ビヴォールは、彼女があまりにも熱心に船を調べていることに疑問を持った。


「この船。発想は良いんだけど、惜しいんだよね…。ちょっとした改修。手伝ってくれない?」

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