S-102 「目には目を、理不尽には私を」
ザーラム首都/ザラマーダ/牢獄【視点:情婦の潜入者ウィスカ】
あれから…どれくらいたったのだろうか。私の身体は今どうなっているのだろうか。
それを確認する気力も体力も、当の昔に尽き果てた。
薄気味悪い拷問官が、休息のためこの場を離れて暫く経つ。帰ってくるまでに、この命が尽きていれば、どれくらい楽だろうか。
舌を噛んで死ぬことも、頭を壁に打ち付けて死ぬことも…。私の肌に食い込む縄の拘束が、それらの許可を下さない。
ふと空腹を感じた。
私は思わず乾いた笑いがこみあげてきた。
この期に及んで、何をやっても駄目なこの身体は、まだ生きようとしているのか。
姉のように気高く、強い心、強靭な肉体はなく、妹のように神に与えられし目と天性の弓の才能は無い。
薄暗いこの場所で、醜い豚や案山子のような薄気味悪い男に弄ばれながら…何者にもなれずに死んでいく私。
なのに、この呑気な身体は、まだ生きようと、食べ物を求めている。なんてばかばかしくて悔しいんだ。
その時、誰かの足音がこの拷問室に近づいてきた。
私の視線は、床に向けられてゆらゆらと揺らめき、顔をあげる力すら残っていない。
拷問官が戻ってくるまでに死ねなかった。
もう痛いのは嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!!!!
しかし、無情にもその足音は近づいてくる。
そしてついに、この部屋と通路を隔てる檻の扉が開かれた。
私の瞳に、靴が…白色の着衣が映し出される。
少なくとも、拷問官ではない。
その者は、私に近づくと、私の両脚の太腿と、私の手首に縛られ、天井から身体を吊るしている縄を次々と切っていった。
私の身体は力なくその人物の腕に崩れ落ちる。
その人物の顔が視界に入った。
黒い髪、黒い口ひげを蓄えた、浅黒い肌を持つその男の瞳は、黒曜石のように黒い。
財務官、ワキール。バージェスの左腕で参謀役、この国を肥大化させた立役者。
「君を逃がします。彼女とともに…」
ワキールは、私を抱えたまま、背後を振り返った。
そこには、もう一人の人影。白と空色の法衣を着た、光るようなブロンドの髪を持つ少女。ザラマーダ城の宮廷魔術師、ウィクトリアの姿があった。
■ ■ ■
バイレスリーヴ領南/隠れ山/クルーア廃坑外/入口付近【視点:血の間の王子ヴェルメリオ】
薄れゆく意識。
俺の魂は、目の前に開いた暗い闇に吸い込まれようとしてる。
俺は激しい怒りに燃えていた。
俺はこんな何でもないところで、こんな雑魚どもに、訳のわからない爆発に巻き込まれて死んでいいような存在じゃない。
俺は、原初の吸血種である偉大な父と、かつて人間どもの中で優れた魔術師として名を馳せ、吸血種への道を選んだ偉大な母の間に生まれた。血の間の次の支配者を約束された存在だ。
こんなところで…こんなところで!!!
俺の怒りは、頂点に達した。そして、その怒りの矛先は、人間どもの間で信仰されており、血の間では父のソルフただ一人が、らしくもなく信仰しているウニヴェリアの冥界の神「ハイデス」へと向かった。
父がどれだけ祈っても、俺はくだらないと一蹴して祈らなかったからか!?ハイデス!血の間の主が祈っているんだから、俺が祈っているのも同等だろうが!!力をよこせよ!!まがいものの神がよぉ!!
俺はありったけの憎悪を乗せて、俺の魂が向かう先の闇に向かって叫んだ。
その時だ。
闇の向こう側で、血塗られた頭蓋がこちら側を覗き、蠢いた。
■ ■ ■
バイレスリーヴ領南/隠れ山/クルーア廃坑外/入口付近【視点:世界(観測者)】
激しい攻防が繰り広げられていたその谷間は、炎が草木を燃え上がらせる音のみとなっている。そこには、亡者も、ゾンビドラゴンも、百影や黒き監視団の死体も、鉱山の入口も。大爆発が全てを消し去っていた。
「…終わった…のか」
ノエルは戦場だった場所を見渡しながら呟いた。
「ルガはっ!?」
ふと、大切な者が見当たらないことに気づき、ルガルフの名を叫んだ。
「ここだ…」
ガラッ…
近くの細かい岩が動き、その下から白銀の狼が顔を出した。
「本当に?…イルじゃないのか?」
ノエルはルガルフが岩に埋もれる無様な姿を晒していることを訝しんだ。
「あの…重いんですけど…」
ルガルフの下に、下敷きになっていたイルが顔を出した。
「あっ…悪いな」
ルガルフは慌てて飛びおきた。
「いたた。肘擦り剝いちゃったじゃん」
イルは上半身を起こし、青い血が流れている肘の砂を払った。
その様子を見ていたディナリエルは、ゼク、ミセイラ、スノゥシャ、ヨークス、そしてオーエンほか、残り五名となった同胞たちに加え、ヨークスに担がせて爆発から逃れさせた百影将軍、ゲアラハの無事を確認した。
「ヴェルメリオが…死んだのか」
ゲアラハは、感情が読み取れないような声で呟いた。しかし、彼の表情は、いつもの親しみやすそうな、目を細めたものではなく、らしくもなく、将軍らしい、そんな表情を浮かべていた。
皆が満身創痍。致命的な怪我こそないものの、その誰もが、傷を追っており、体力、魔力を使い果たし、命を削るような、緊張感が張り詰めた激しい戦いに、力を抜けばすぐに崩れ落ちそうになるようだった。
そんな…誰もが勝利を確信したその時。
爆発の中央付近の空中に、突如光を放つ黒点が現れた。
それは、禍々しい気を放ちながら、周囲の塵を飲み込んで次第に大きく膨れ上がっていく。
「…まずいですね…あれは」
ルトは、警戒心を高めた。
「アイツ…生きてやがったのか!?」
ルガルフの研ぎ澄まされた感覚は、その黒点にヴェルメリオの気配を読み取ったのだ。
「ルト…準備」
イルは静かにルトに声をかけた。
周囲の塵を吸収し、木々の燃え上がる炎を消し去り、肥大化した黒点から、腕が伸び、這いだしてきた。その存在は、黒点から上半身だけを出した赤黒い巨大な怪異。
ヴェルメリオの狂気と、ドラゴンゾンビの死の気配、亡者たちの怨念を含有した、巨大な骸骨にひび割れた角を生やした、邪悪な亜神であった。
「ヴオォォォォォオオオン…」
身が凍るような叫び声を上げた、亜神化したその存在は、口を開くと、周りの谷の中腹に向かって透明な光線を横薙ぎに放った。
光りの歪みにしか見えないそれは、谷の岩場に着弾すると、岩場を浮かせ、その存在に向かって岩が吸い寄せられていく。
「なっ!!なんだ!?」
その中には、その不可視の光線を受けた黒き監視団の同胞の姿も。
その岩は、亜神化ヴェルメリオが片手を握りつぶすと、触れてもいないのに細かく砕かれる。
引き寄せられた同胞は、岩とともに砕かれ、瞬時に肉塊と化した。
砕かれたそれらは、亜神の周りで惑星の輪のように宙に浮き、停滞する。
「皆!イルの傍に!!!」
ルトが叫び、呪文を詠唱し始めた。
シャウカト・アル・キヤーム。(全ての存在、静止せよ。)
次に亜神化ヴェルメリオが、その腕を宙に浮いた岩をかき回すように一振りした途端、その岩々は凄まじい回転をはじめた。
アザル・クル=ザマーン。(全ての時間を、捕らえよ。)ハファ・ビ・オーラムキースーフ!(世界を覆い、ここに終結を!)
巨大な岩が風を切るような音をたてながら高速で回転する。そして、亜神が叫び声を上げた途端、まるで横から降り注ぐ隕石のように、谷の壁面に次々と降りそそいだ。
イルの周囲の空間以外、谷の山肌は粉々に砕け、谷に土砂が流れて埋めつくす。
地形を変える程の一撃。
もはや、人間はおろか、亜人であっても、どうこうできる次元を超えていた。
「無事かっ!?」
ディナリエルは叫ぶ。
生き残った者たちは、奇跡的に避難に間に合ったようだ。
「亡者の子よ。汝の存在は如何に」
スノゥシャは、ルトの唱えた魔法の効果に目を見張る。
「古の魔法オタク」
イルはそう呟くと、喉の奥から黒錆に覆われた剣を抜き出し、一人、亜神へと歩み始めた。薄雲に覆われていた空に突然黒雲が湧き始める。
「イルッ!大丈夫なのか!?」
ノエルはイルに向かって叫んだ。
「目には目を、理不尽には私を」
あたりは瞬く間に雷が轟く豪雨が降り始めた。
亜神化ヴェルメリオは、口を大きく開き、再び不可視の光線を放とうとしている。
ビカッ!!
雷が光る。その刹那、イルの姿は消え、同時に、亜神化ヴェルメリオ前に瞬間的に移動。その下顎に向かって黒錆の剣を振るった。
剣は赤黒く骨化した下顎に接触すると、青い光を一瞬放ち、下顎を両断する。
その下顎は、粒子となり消え失せた。
「ヴォォォォ!?」
イルの攻撃を受けた亜神化ヴェルメリオは、彼女を睨みつけると、彼女の身体を握りつぶした。
イルの身体は拘束されたように圧迫され、次の瞬間、水がはじけるように飛び散った。
「イルッ!!」
固唾を飲んで見守っていたルガルフが吠える。
しかし、握りつぶされた筈の彼女は亜神化ヴェルメリオの背後に突然出現し、イルを圧迫するのに使った腕を両断。その腕は粒子となって消え失せた。
「オォォォオォォ!?」
亜神化ヴェルメリオは腕が再生しないことが理解できないように、根元から絶たれ、炭化した腕を見る。
「シャウカト・アル・キヤーム」
ルトは、イルの中から突然現れ、禁術「刻世魔法」を唱え、ヴェルメリオの動きを停止させた。
「君では勝てませんよ。彼女の半分の力にも」
ルトは冷たく言い放った。
イルは、停止した亜神化ヴェルメリオに立て続けに三撃、容赦なく剣を叩きつける。
亜神化ヴェルメリオの時間が動き始めた頃には、彼の身体の大部分は崩壊していた。
「ルガルフ、とどめ」
イルは雨飛沫とともにルガルフの前に現れ、彼女が使っていた剣を手渡す。
「お…おう…」
その剣を恐る恐る受け取ったルガルフは、亜神化ヴェルメリオの前まで崖を降り立った。
「ヴヴォ…オォォォォン…」
力なく叫ぶ、その存在。ほんの少し前までは、絶望的な強さを誇る、災害のような存在だった。
「…何がなんだか…分からないといった様子だな。安心しろ、俺も分からん」
ルガルフは、剣を振り上げた。
「ただ、一つだけ言える。この憎悪だけは確かだ!!」
剣が降り下ろされ、ヴェルメリオの頭蓋骨に接触すると同時に、剣は青い光を放ち、驚くほど軽く彼の頭蓋骨は両断された。
「ォォォォ……」
その存在は、塵と化し、空中に発生した黒点に飲み込まれ、ついには完全に消滅した。
その存在が消え失せると同時に、さっきまであれほどに激しく振っていた雨は嘘のように上がり、月が姿をあらわした。




