短くても終わり
シャルロッテ・ド・ガーネット、もとい俺は、困っていた。
お茶会の案内が届いたのだ。
ドレスも手土産も、よくわからない。前世ではスーツ一択、ネクタイの色くらいしか悩んだことがない。まさか自分が「フリル多すぎるかな?」で頭を抱える日が来るとは。
……母親に聞くか。
「お母様、お茶会の案内が届いたのですが、相談しても宜しいですか?」
夕食後、さらりと切り出す。
母親――公爵夫人。さすがのたたずまい。背筋の一本まで上品だ。
「どうしたのです?」
「ドレスと手土産を迷っているのです」
「そろそろ、自分で考えるべきよ……」と口では言いながらも、顔がふわっと綻んでいる。頼られたのが嬉しいらしい。
……わかる。娘が年頃になると母親から離れていくんだよな。
友達とLINEだの動画だの、スマホばっかりでさ。
昔は「母さん大好き~」ってくっついてたのに。
俺なんか、財布の時しか存在してなかったけどな。
母親は、シャルロッテに似合うドレスを丁寧に選んでくれた。
センスがいい。おい、宝石まで貸してくれたぞ。いいのか?高そうだぞ、これ。
「手土産は、お菓子がいいと思うのだけど、有名な所は重なりそうね……」と母親が言う。
お菓子か。調査が必要だな。品質と見た目、コスパも重要だ。いや、貴族にコスパは関係ないか。
「わかりました。考えてみます。お母様、有難うございます」
にっこりと微笑んでお礼を言う。
……ちょっと待て、その“もっと頼ってほしい”みたいな顔はやめてくれ。
こっちも罪悪感が増すだろうが。
俺は使用人に命じた。
「少し遠くてもいいから、自分で“美味しい”と思った日持ちのするお菓子を買ってきて欲しいの」
お小遣いからの出費は痛い。だが、ここは投資だ。
初期投資をケチって失敗するケースを、俺は何度も見てきた。
仕事でも、人生でも、最初が肝心なのだ。
それから1日後。
金の力――いや、迅速な行動の結果、テーブルの上には見事にお菓子が並んだ。
マドレーヌ、クッキー、焼き菓子の詰め合わせ。なかなかの光景だ。
「……さて、試食ね。」
一口食べては、口を濯ぐ。次だ。
全部食べたら太るからな。こう見えて自己管理は厳しい方だ。
ふと、会社の女性達を思い出す。
「ちょっと太ったの~」
「それくらいなら、まだいいんじゃない?」
「え~、制服のサイズ、もうギリギリ~」
……待て。
お前たち、いつも休憩中にお菓子食べてたよな?
しかも差し入れ、ちゃっかり確保してたろ。
個数が足りない時、俺に内緒で分けてたの、知ってるんだぞ。
……過去の記憶から現実に戻った俺は、召使いたちを見回した。
「手伝ってくれて、有難う。残りは皆で分けてね」
「いいのですか!?」と嬉しそうな声が上がる。
ああ、いい。どんどん食べてくれ。
糖分は幸せを呼ぶ。ストレス軽減にもなる。
そして、俺は決めた。
街外れの小さなパンとお菓子の店。
あそこのクッキーが一番だ。
薫り、食感、口どけ。
どれをとっても一級品。――いや、クッキー界の公爵だな。
お茶会当日。
俺――シャルロッテ・ド・ガーネットは、完璧な装備と手土産を携え、戦場(お茶会)へ挑んだ。
ドレスは母親セレクトの一級品、香りも控えめ、笑顔は朝から練習済み。準備万端だ。
「これを、皆様で召し上がってくださいませ」
微笑んで差し出した手土産。
……しかし、相手の反応が薄い。
見慣れない包装紙をじっと見て、笑っていない。いや、笑ってる“風”だ。目が笑っていない。
――おい、まさか。
脳裏によみがえる、苦い記憶。
新しい部署に異動した初日。
場を和ませようと、ちょっとマイナーだけど高級志向の“健康的お菓子”を持って行った。
給湯室でお湯を沸かしていた時、廊下の向こうから聞こえたのだ。
「ねぇ、あのお菓子見た?」
「見た見た、ちっさ!」
「あり得ん」
「せめてさ~○○○○の買ってこいよ」
――俺は凍りついた。
そのあと部屋に戻った時の、あの地獄。
「お菓子、ありがとうございます~!」と笑顔の女性社員たち。
……心が死んだ、と思ったな。
……いかん。現実に戻れ。
お茶会に戻ると、誰も俺に話しかけてこない。
華やかな笑い声の中、ぽつんと取り残される俺。
……帰るか。顔は出したし、礼儀は果たした。
そう思って席を立とうとしたとき、向こうから誰かが近づいてきた。
銀髪の美形――そして隣には、あからさまにヒロインらしきピンク頭の少女。
うわ、来た。テンプレの中心人物。
あれ、王子の親友ポジか?それとも別ルートの攻略対象?
どっちにしろ、関わると面倒な奴だ。
……なのに、つい、ガン見してた。
その瞬間、目が合った。
――やばい。
脳裏にまた蘇る、会社での地獄。
女性社員とたまたま目が合った数時間後、その社員が別の女性社員と壁際で話していたのだ。
「聞いて~、見られてた~」
「うわ、キモ」
「いやだ~、さいて~」
……聞こえてんぞ。わざとか?
……ダメだ、現実に戻れ!
とっさに、俺は完璧な貴族の礼――カーテシーをして言った。
「……体調がすぐれませんので、これで失礼いたしますわ」
背筋を伸ばし、優雅に一礼して、そのまま退場。
廊下を出た瞬間、息を吐いた。
……お茶会、怖ぇ。
シャルロッテ・ド・ガーネットが去った後――お茶会の空気は、一瞬の静寂を経て、ざわざわと揺れ始めた。
「ちょ、ちょっと……何もなかったわよね?」
「うそでしょ、シャルロッテが“何も”言わなかった!?」
「しかも今日のドレス姿、今までで一番素敵だったわよ……!」
「信じられない……嫌味ひとつ無いなんて、熱でもあるのかしら」
令嬢たちは、まるで珍獣を見逃した動物学者のような顔で、さっきまでシャルロッテがいた椅子を見つめている。
お茶を口にしたまま固まっている者、ファンシーなクッキーを握りつぶしている者までいた。
「ねぇ、あれ本当にシャルロッテ様?別人じゃない?」
「いや、あの背筋の伸び方は本物だったわ……でもあの笑顔、なに? 優しい!?」
「変な物でも食べたのかしら」
会場の片隅、銀髪の男――王子の側近で、冷静沈着と評判の青年もまた、紅茶を持つ手を止めていた。
(……シャルロッテ・ド・ガーネット。お前、何があった? 薬でも、飲んだのか?)
彼の頭の中で、状況整理の歯車がギチギチと悲鳴を上げていた。
だが結論は出ない。
お茶会の誰もが思っていた。
――今日一番の事件は、シャルロッテが「何もしなかった」ことだ。
こうして――俺は、シャルロッテ・ド・ガーネットとして生きることになった。
その後もいろいろあった。
あちこちから縁談が舞い込み、屋敷の執事がうれしそうに報告してくる。
「相手は伯爵家の次男でして……」
「若い男は好かん」と即答したら、変な空気になった。
勿論、訂正したさ。
「……もう少し、お父様と一緒にいたいので、お断りしてください」と。上目遣い、付きで。
学園では、ピンク頭がすれ違いざまに舌打ちしてきた。
おい、素が出てるぞ。ヒロインモードどこいった。
そして極めつけは――召使いが涙目でこう言ったのだ。
「私は、一生シャルロッテ様にお仕えします!」
……重いよ。気持ちはありがたいけど、転職の自由は大事にしろ。
そんなこんなで、波乱に満ちた異世界(?)生活。
でもまあ、こうして平穏に暮らせているんだ。
――話は、これで終わりとしよう。
(……元の世界? いや、もう帰らん。老眼も腰痛もないしな。いろいろ、怖いし)