002 夜に駆ける
Mt.富士ヒルクライムの人気の秘密。それは完走タイムに応じて、異なる色のフィニッシャーリングが授与されるところにある。各々が目標を定め、その目標を達成するため、アマチュア・サイクリストたちは一年に一度、練習の成果を大会当日にぶつけるのだ。
プラチナ:1時間切り
ゴールド:1時間5分切り
シルバー:1時間15分切り
ブロンズ:1時間30分切り
ブルー:完走者全員
中でも<ブロンズ>は、多くのサイクリストが最初に掲げる目標であり、毎年参加者の3割程度が、努力の末に獲得している。「あの銅色のリングを、初めて手にしたとき、泣きそうになった」、そう書かれたサイクリストのブログを宮田は見たことがある。
意を決して出場した初めての富士ヒル。宮田のタイムは1時間51分42秒だった。初めての富士ヒルは、宮田に「富士ヒル完走」という感動を与えた。そこからますますロードバイクにのめり込んでいき、2年目は1時間42分54秒。このペースでタイムを短縮すればブロンズも…と当初は思っていたが、その後、タイムが大幅に更新されることはなかった。4度目の結果は1時間42分51秒。3年連続、1時間42分台で停滞している。
4度ブロンズを逃した夜も、いつもの日常と変わらない。ゴール直後に「今年も目標に届かなかった」と家族LINEで報告しているので、夕食の時に妻からだけ「お疲れ様」「タイムどうだったの?」と聞かれたが、それで自転車関連の会話は終わった。それも当然だ、と宮田は自分に言い聞かせた。妻は最近、ヨガという新しい趣味を見つけ、大学生の長女、高校生の次女は自分たちの世界のことで忙しい。
「ああ、ダメだったか…」
ゴール後、下山して開いたXには知り合いの一人がブロンズ獲得を報告していた。嬉しい報告の一方で、他のライド仲間たちがXに結果を投稿していないのが、気になっていた。多分、結果を受け入れるまでに時間がかかったのだろう。ようやく投稿された内容は、やはりブロンズには届かなかったというものばかりだった。ただ、そのうちの一人、旅色さんがブロンズ失敗の結果報告に続いてポストした内容に宮田は目を見張った。
もう次の富士ヒルへの挑戦ははじまっている。
トレーニング計画を立案!
今後1年のトレーニング計画をAIと作成したので明日から実行開始!
「“……AI?”」
目の前の文章が、しばらく頭の中で意味を結ばなかった。思わず声に出てたらしい。子ども達が顔を向けていたが、「ごめん。なんでもない」と伝えると、またスマホに目を戻した。それにしても驚いた。確かにビジネスからプライベートまで幅広く利用されているとネットニュースで見たことがあるし、ChatGPTなどの名前も聞いたことがある。しかし、生成AIに練習メニューを考えてもらうという発想は宮田にはなかった。
4年連続でブロンズに届かなかった夜、面白そうなことが始まる予感が宮田の脳内を駆けめぐった。