9話 鍛錬
俺はあれから少しして、自分の家に到着していた。
見慣れた家。光景。これだけ見ると、自分が置かれている状況を忘れそうになってしまう。
扉に手をかけ、開ける。鍵はかかっていなかった。家を出た時に鍵をかけ忘れていた。完全に忘れてたな。まぁ、急いでいたし、仕方ないか……
そのまま靴を脱いで、家に上がる。ただいまは言わない。たとえ言ったとしても、返ってくる言葉はない。家の中は夕日が静かに差し込んでいた。
俺に家族はいない。物心ついた時には、近くに両親と呼べるものはいなかった。祖父はいたのだが、昨年死んだ。祖父によると、両親は俺が幼い時に事故で他界したらしい。
祖父から教えてもらっただけだが、両親は相当裕福だったらしく、遺してくれたお金だけで今まで生活に困った事はなかった。ただ、そのお金もいよいよ底が見え始め、それに元々この環境にいつまでも甘えるつもりも無かったので、高校卒業後には普通に働き始めるつもりだった。
リビングへの扉を開けて、そのままゆっくりと階段を登る。祖父と一緒に暮らしていた時はまだ良かったものの、一人になると余計に広く感じてしまう。
「はぁ……今日は疲れたな」
自室に入り、 ベッドに倒れ込む。なんだかんだで体感三カ月ぶりの帰宅だ。……誰かが俺らを巻き込んだせいでな。
(……何のことやら)
その張本人、オフィリアはそう言ってしらを切る。どう考えても理解しているくせに。随分と都合のいいことだ。
霜月も俺も、早く元の世界に戻りたいんだよ。だから俺たちは、お前のわけの分からない目的にも協力する。それに余計な詮索もしない。
(そうだ。それでいい。安心しろ、私は約束は守る。目的さえ達成してくれれば、元の世界に確実に帰してやる)
……そうかよ。というか、本当に疲れたな……一回寝るか。オフィリア、二時間ぐらい経ったら起こしてくれないか?
(断る。勝手に起きるといい。……もう寝ている……か)
ベッドからのそのそのと起き上がる。何時間ぐらい経った……おい、二時間以上普通に経ってんじゃねぇか。俺、頼んだよな?
(逆に言うが、私は断わった。お前が返事を聞く前にさっさと寝たのが悪い)
オフィリアにそう言われる。こいつ……現在、夜八時。割と遅い時間。夕食を作るために六時には起きようと思っていたのだが、もうダメだな。コンビニにでも買いに行くか。
(残念ながら、この世界にそのような物は存在しない)
……じゃあどうしろと?
(今から作るといい)
やっぱそうなるよな……クソが。
俺は、そう思いながらキッチンに向かった。一人暮らしをしているため、それなりに料理はできる。短時間で簡単に作って食べた。
リビングのソファーに座り、一息つきながら考える。この後どうするか。悠長に読書をするような気分でも状況でもない。祝福の鍛錬でもするか。
そう思い、俺は皿を片付けた後に家の外に出た。家の中で血をダラダラと流し続けるのは流石に気が引ける。
辺りは既に暗くなっていたが、家の中から光が漏れるようにカーテンを開けてきたのでさほど問題はない。それに、幸いなことに、俺の家にはそこそこの広さの庭が備え付けであるので、場所の面では困らない。
家の中から持ってきたバケツを地面に置き、同じく持ってきた包丁を右手に持つ。ふぅ……
そして、俺は左袖をたくし上げ、そのままバケツの上で左腕に包丁を当てる。激痛が腕に走る。うっ……グッ……こればっかりは慣れない。
一度やめて腕の再生を待つ。じわじわと腕の傷が塞がった。最初の頃に比べて傷の回復速度が明らかに上がっていた。
この動作を俺はバケツに血が半分近く溜まるまで繰り返したところで、またあの不快な倦怠感が襲ってきたので鍛錬を止めた。
これは恐らく、一種のエネルギー不足のような状態なんだろう。考えてみれば最初のあの空間の時も、廉也たちと試合をした時にも似たようなことになったし。
バケツに溜まった血の処理方法を考えながら、俺は思う。庭を汚すのもどうかと思い、とりあえずバケツを持ってきたのはいいものの……これどうするか。そのまま捨てていいものなんだろうか?
(処理に困るのであれば、そのバケツごとこちらによこせ)
オフィリアがそう言ったかと思った途端、空中に穴が開く。これは?
(前に、お前を呼んだ空間だ。そこに投げ入れろ)
投げ入れる? 溢れると思うが……いいのか?
(問題ない)
オフィリアがそう言うので、遠慮なく投げ入れることにした。空間にバケツと血が吸い込まれるように消えていき、そのまま穴は消えた。
助かったが、あれはあの後どうするのだろうか? いや、俺が気にするようなことでもないか。とりあえず、問題は解決したな。この後はどうするか……一旦家戻ってから考えるか。
家に戻った俺は、少し悩んだ末に風呂に入ることにした。温かいお湯が身体の疲れを取ってくれる。当然、腕についていた血もよく洗い流した。
というか、再生の鍛錬方法、本当にこれしかないのか? 毎回毎回痛くて仕方がないんだが……
(断言するが、祝福を鍛えるための方法は、それを使い続けること以外に存在しない)
はぁ……やっぱりそうか……って、オフィリア? お前さ……いや、今更だとは思うんだけどさ……もしかしてずっと俺のこと見てた?
(何か問題が?)
悪びれもなくそう言うオフィリアに、俺は頭を抱える。……普通に恥ずかしいから辞めて貰うことって出来るか?
(そうか? ならばそうしよう。配慮が足りなくて済まなかった)
オフィリアの声が遠くなった気がした。恐らくもう見ていないだろう。はぁ……あいつ、マジか……というかあいつの謝罪初めて聞いたな。
そう思いつつ、俺はもう一度深く風呂に浸かった。
風呂から上がり、ベッドに倒れ込む。疲れも取れたし寝よう……そう思ったのだが、先程寝過ぎてしまったせいで全く眠くならない。目を閉じても全く寝ることができなかった。いったい誰のせいだったか。
俺がそう思っていると、オフィリアが来たような感覚がした。
(私は断りを入れた。お前がそれも聞かずに早々に寝ただけだ)
うっ……いや、だとしても、それぐらい―――
(そんな事はどうでもいい。それよりも、お前に伝えておく事がある)
無理矢理話を逸らすオフィリア。はぁ……まぁいいか。俺にも非はあるわけだし。それで、何の話だ?
(私が以前見せた武器、神騎六魔装。それについてだ)




