【コミカライズ】嘲笑された貧乏令嬢の私に、みんなの憧れのパーフェクト王子様が興味を持ったようです
「メイリアさんは卒業パーティーではどんなドレスを着るおつもりなの?」
王立学園の卒業を二ヶ月後に控えた冬の日。
授業が終わり、昼休みを告げる鐘の音と同時に席を立ったメイリア・ベルーセは、自分にかけられた高圧的な声に動きを止めた。
振り向けば、クラスメイトのキリカ・ゼチク伯爵令嬢がとりまきたちと共にこちらを見ている。
キリカの緑の瞳は意地悪く細められ、唇も嘲笑の形に歪んでいた。
「私はドレスじゃなくてこの制服で出席するつもりだけれど……」
メイリアが自分の着ている濃紺のワンピース型の制服を指差すと、キリカは堪えきれないように吹き出す。
「まぁなんてこと! ベルーセ伯爵家は娘のドレスも買えないほど困窮してらっしゃるの! ……でしたら婚約者におねだりしたらいかが?」
「私に婚約している方はいないので……」
「あらぁ、そうでしたわね! わたくしったらうっかりしていて失礼なことを聞いてしまってごめんなさいね! 十八歳にもなって婚約者が決まっていないなんて、なんてお可哀想なメイリアさん」
わかっていて聞いたくせに。
大げさに声を張り上げたキリカは、肩にかかった金の髪をわざとらしく払いながら続ける。
「メイリアさんもわたくしのように髪や肌のお手入れに時間をかけたら良いんじゃなくて? そうすれば素敵な男性とのご縁もあるかもしれなくてよ」
キリカの言葉にとりまきの女子生徒たちがクスクスと笑う。
二年前にメイリアの父が病に倒れ、ベルーセ家にそんな余裕がないことを知った上でいたぶっているのだ。
メイリアは父の治療費や年の離れた弟のために美容にかけるお金を節約し、髪も伸ばしっぱなしにしている。
おかげで艶のない赤毛は三つ編みにしてもボサボサで、目元は長い前髪に隠れて見えない。
肌は頑丈なおかげで荒れたりなどしていないが、常にスッピンだ。
更にメイリアは少しでも家計の足しになればと、空いている時間に働ける場所を教師に紹介してもらっていた。
伯爵家の娘であるメイリアが労働に勤しんでいることも、キリカたちにとっては嘲笑うための恰好のネタらしい。
(くだらない)
メイリアはキリカたちにバレないようにため息をつく。
キリカは常にとりまきを侍らせ自分がいかに恵まれていて幸せかと周囲に聞こえるよう吹聴しているが、こうして頻繁にメイリアに絡んできていた。
きっと心がどこか満たされていないのだろう。
「アドバイス感謝いたしますわ。私は用事があるのでそろそろ失礼します。ごきげんようキリカさん」
これ以上時間を無駄にしたくない。
足早に、けれど伯爵令嬢の教養を感じさせる所作でメイリアは教室をあとにした。
美術室や音楽室などが集まる特別教室棟。
専科の授業がなければ生徒が来ることのないここは、昼休みでも静かだ。
「しかも特別教室棟の中でも薬学室、更にその準備室なんて、とっても穴場よね」
ハーブの詰められた瓶や人体骨格などが置かれた薬学準備室は独特の空気があるが、メイリアはこの場所が嫌いではない。
「特例で鍵を貸してくれてるマティアス先生には本当に感謝だわ」
薬学教師のマティアスはメイリアの境遇に同情し、短期の働き口を紹介したり、昼休みの時間を潰すために準備室を提供したりしてくれている。
貴族や裕福な家庭の子供が通うこの王立学園には、広くてメニューも豊富な学食があるが、キリカに絡まれるのが面倒なメイリアはよくここで昼食を済ませていた。
ほっと息を吐きながら、早起きをして寮の小さなキッチンで作ってきたお弁当を広げる。
パンにチーズにサラダ、それに栄養満点のメイリア特製オリジナル野菜&果物ジュース。
「たまにはお肉も食べたいけど我慢我慢」
二年前に肺の病気を発症した父は気が優しく元から宮廷での出世とは無縁の人だった。
以前から慎ましく領地を治め暮らしていた貧乏貴族のベルーセ家にとって倹約は苦ではない。
「マティアス先生のおかげで卒業後は王都の個人病院で受付けとして働けるし、就職したらもっと稼ぐわよ……!」
弟はまだ十二歳。
彼が爵位を継ぐまで自分が頑張らなくては。
「お医者様のところで働いていれば、もっと良いお薬が手に入るかもしれないし」
不幸中の幸いなことに、父の病状は命に関わるほど重いものではない。
けれど疲れやすくなったのか、ベッドの上で過ごすことが多くなってしまった。
叶うなら、父には以前のように元気になってほしい。
それは自分の将来が不安だからと言うよりも、父にも母にも弟にも心から笑っていてほしいからだ。
「みんなが笑顔になれるなら、私は馬鹿にされたってかまわないものっ」
拳を握って気合いを入れていると、カチャカチャと鍵を開ける音がした。
準備室の鍵を持っているのはマティアスとメイリアしかいないから、彼が次の授業に必要な物を取りにきたのかもしれない。
「あ、先生お邪魔してます。授業の準備でしたら私もお手伝いしま――」
お手伝いします。
その言葉をメイリアは最後まで言うことができなかった。
薬学準備室の扉を開けて入ってきたのが教師のマティアスではなく、背の高い男子生徒だったからだ。
月光のように輝く銀髪、角度によっては紫にも見える青水晶の瞳。
神に愛された彫刻のごとく整った美貌の男子生徒の顔を見て、メイリアは悲鳴を上げた。
「アルヴィオ殿下?!」
アルヴィオ・ギルガテラン。
学園に通う生徒ならば、彼のことを知らない人間はいない。
彼は、このギルガテラン王国の第二王子だ。
「ああアあ、アッ! アルヴィオ殿下がどうしてこに……っ?」
一般の貴族令嬢に比べれば図太い自覚のあるメイリアも、さすがに突然の王子の登場には動揺する。
ドレスを新調するお金すら惜しんでいるメイリアは夜会やパーティーに出ることはないし、出たとしても伯爵家の中でも弱小のベルーセ家が王族と関わることなどない。
一応、学園の中では『身分の隔たりなく生徒は平等』ということにはなっているが、そんなものは建前だ。
キリカのように自分よりも弱い者を見下す人間はいるし、第二王子のアルヴィオの周囲には上位貴族しか近づけない。
(学園に三年間通っていて、同学年のアルヴィオ殿下をこんなに間近で見たの初めて……!)
準備室には誰もいないと思っていたのか、アルヴィオも瞳を見開き驚いた顔をしている。
しかし、そんな表情でも彼がすると絵に残しておきたくなるほど美しかった。
青水晶の瞳を縁取る銀のまつ毛は、瞬きをするたびに音がするんじゃないかと思うくらい長い。
(さすが、学園中の女子生徒……ううん、国中の女性が憧れるだけあるわ。制服を着てなければ天使様に間違えそうなほど綺麗な方)
しかもアルヴィオは外見だけでなく中身も完璧と評判だった。
成績は常にトップクラスでスポーツ万能。剣技の腕にも優れ、常に己を律し公明正大。
教師たちからの信頼も厚く、生徒たちの模範的な存在だ。
彼の三歳上の兄の王太子もこの学園の出身で、やはりとても優秀だったらしい。
こんなに完璧な王子が二人もいて、ギルガテラン王国は安泰だと国民みなが思っていた。
彼らは国の誇りだ。
予想外の相手と遭遇したことに驚いたのはメイリアもアルヴィオも同じだが、やはり冷静さを取り戻すのはアルヴィオのほうが早かった。
「すまない、誰もいないと思っていたから女性のいる部屋のドアをノックもせずに開けてしまった」
「い、いえ! とんでもないです……! 私のほうこそ無作法に大きな声を出してしまい失礼いたしました……!」
まさか第二王子のアルヴィオが自分に謝るなんて。彼は評判通りに謙虚で驕らない人柄なのだろう。
メイリアも慌てて立ち上がると自分の不躾さを詫びる。
「殿下はマティアス先生にご用事があってこちらの準備室にいらっしゃったのですか? でしたら、お邪魔にならないように私はすぐ別の場所へ移動いたしますね」
「いや、そういう訳ではなく――」
この場所へ来た理由をメイリアに説明しようとしたアルヴィオが、何かに気づいたように廊下のほうを振り返り、素早くドアを閉めるとメイリアの座っていた椅子の後ろに身を屈めた。
「頼む、匿ってくれ……!」
よほど深刻な状況なのか、アルヴィオの声にも表情にも焦りが滲んでいる。
『――アルヴィオ様は確かに特別教室棟に入っていたのよね?』
『そのはずよ』
『今日こそ、卒業パーティーでわたくしたちと踊ってくださるようにお願いしなくっちゃ!』
『アルヴィオ様~! どこにいらっしゃいますの~!』
複数人の女子生徒の声が扉の向こうから聞こえる。
話しているのは、アルヴィオの熱烈なファンとして有名な少女たちだ。
メイリアが廊下の様子を窺うと、準備室の前を通り過ぎる集団の中にはキリカの姿もあった。
(公爵家や侯爵家の方々に混じって殿下のファンクラブに入るなんて、キリカもすごいガッツよね)
ファンクラブの少女たちの姿が遠ざかり、完全に見えなくなったことをメイリアが告げると、アルヴィオは長いため息を吐いた。
「突然すまなかったね。最近、卒業パーティーでエスコートしてほしいと頼まれることが増えてしまって。俺は特定の女性をエスコートするつもりはないと断っているんだが、なかなか諦めてもらえず……」
「それで、誰もいない場所を求めてここへ避難していらっしゃったんですね」
「ああ。マティアス先生が、薬学準備室なら人目につきにくいからと」
「なるほど。実は私もマティアス先生に同じような事情でこの場所を提供していただいているんです」
「君も?」
アルヴィオは不思議そうに瞳を瞬く。その表情は年相応の男子生徒の顔だ。
遠い存在だと思っていたアルヴィオの、予想以上に親しみやすい空気にメイリアの緊張も解れていく。
「はい。私も昼休みは静かな場所で過ごしたい派なので、マティアス先生が鍵を貸してくださってるんです」
「なるほど。ではその憩いの時間に、俺もいて大丈夫だろうか」
「もちろんです! 私なら殿下にダンスのエスコートをねだるなんて大それたことはしませんので、安心してください」
「ありがとう。では昼休みが終わるまでここに失礼するよ」
長い脚を組みアルヴィオはメイリアの向かいに座る。
間近で見ても、彼の肌にはニキビ一つ見当たらない。
「――っと、参ったな。何か飲み物くらい持って逃げてくれば良かった。急いでいたから荷物を全て教室に置いてきてしまった」
時計を確認すれば、昼休みが終わるまでまだかなりの時間があった。
アルヴィオを追いかけている女子生徒たちは、あの様子だと次の授業まで彼を探しているだろうから、迂闊に外に出たら捕まってしまう。
「えっと、良かったらこちらのジュースを飲んでみます? 疲労回復に効くように私が作ったオリジナルなんです。……って、殿下が名前も知らない女に差し出されたものを口にするわけにいかないですよね。失礼なことを言ってしまって申し訳ないです」
「いや、そう言ってくれて嬉しいよ。……確か君は、ベルーセ伯爵家のメイリア嬢だったか」
「えっ、私のことをご存知なんですか?」
「一応、学園の全生徒の名前と顔くらいは記憶するようにしている。伯爵家のご令嬢が俺に毒を盛ることもないだろう。ここまで走ってきて喉が乾いていたし、ありがたくいただくよ」
さすが将来有望な第二王子は頭の出来と心がけが違う。
感心しながら、メイリアは準備室に備えられていたカップへ特製ジュースを注ぎアルヴィオに手渡す。
「ありがとう。柑橘類の爽やかな香りが美味しそうだ」
「どうぞ召し上がってください。――あっでも、そんなに一気には飲まないほうが……!」
よほど喉が乾いていたのか、メイリアが止める前にアルヴィオは勢い良くカップを傾ける。
そして次の瞬間、彼は盛大にむせた。
ブホォォォッッ!
あのアルヴィオの美しい顔面から聞こえたとはとても思えない音と共に、オレンジ色のジュースが勢い良く噴出する。
「わー! すみません! すみません……! このジュース、体に良いものがたくさん入ってるのは本当だし香りも美味しそうなんですが、まだまだ改良中で香りと味が一致してなくて青虫を煮詰めたような味がするんです……!」
「あおっ、青虫……?!」
「あ、いえ! それは例えで、材料は本当に野菜と果物だけなんですけどもっ!」
釈明する間もアルヴィオの咳は止まらない。
メイリアは急いで水を注いだコップをアルヴィオに渡し、素早く自分のハンカチでテーブルの上を拭く。
幸い、濡れたのはテーブルだけでアルヴィオの制服などにはかかっていないようだ。
「ゴホッゲホッ……! みっともないところを見せてしまってすまない……っ」
「こちらこそ殿下をこんな目に合わせてしまって申し訳ないです……!」
「ゲホッ、いや、俺が不注意だったのだから謝らないでくれ。後始末をさせてしまってこちらこそ申し訳なかった。汚してしまったハンカチの代わりに、今度新しいものを贈るよ」
「そんな、畏れ多いです……! それに、こういうのは弟の世話でなれているので大丈夫です」
「弟」
「はい。六歳離れているので、弟が小さいときはよくこうして彼の食事のお世話をしていたんですよ。ふふっ、なんだか懐かしくなっちゃいました。だから気にしないでください。ほら、テーブルもすっかり綺麗になった」
「参ったな、弟と同じか」
「殿下にこんなことを言ってしまって申し訳ありません。でも、失敗なんてしたことがなくて、完璧な存在なんだろうなと思っていた殿下が身近に感じられて、私はかえって嬉しかったですよ」
そう言ってメイリアが微笑むと、アルヴィオは何故か眩しいものを見るように青い瞳を細めた。
「……君は、俺が完璧でなくとも失望しない?」
「はい。失敗なんて生きていたら人間いくらでもありますから。大事なのはそのあと如何に挽回するかです」
父の治療費を稼ぐために、メイリアはこれまで様々な仕事をしてきた。
その経験の中で多種多様な事情を抱えた人々と関わり、命さえ失わなければミスなどいくらでも取り返せると学んでいた。
こんなジュースを吹き出したことなど、テーブルが少し濡れたくらいなのだからどうってことはない。
王子だって人間だ。むせて咳き込むこともあるだろう。
メイリアが自分の経験談と共にアルヴィオを励ますと、彼は肩の力が抜けたように微笑んだ。
「そうか、そう言ってくれて心が軽くなったよ。……その、また昼休みはここに来てもいいだろうか。君の話は興味深くて、もっと聞いてみたいんだ」
「よろしいんですか? 殿下にとって私がお邪魔でなければ、是非ご一緒したいです。私の職場体験談なんかでよければいくらでもお話ししますよ」
「今度はちゃんと昼食も持ってくるから、一緒にランチをしよう。あと、今後は殿下ではなく名前で呼んでくれると嬉しい」
「アルヴィオ様?」
「あぁ。これからよろしくメイリア」
こうして、この日からメイリアとアルヴィオの秘密のランチタイムが始まった。
「なんてことだ、メイリアはウェルフェノ神聖国の公用語を話せるのか」
「はい。一年前に商家のお手伝いをしたとき覚える必要があって。最初は単語くらいでしたが、今はちょっとした日常会話なら理解できると思います」
「しかもルスケス騎士団領の団長と交流まであるんだろう?」
「それもお仕事をするのに必要だったので……」
父が発症してから二年。
ベルーセ家を支えるためにメイリアはどんな仕事でもやってきた。経験した職種は多岐に渡り、今では様々な知識が身につき、各所に知り合いもいる。
おかげで、アルヴィオに語る経験談のネタに困ることはなかった。
「君だったら宰相……いや、俺の仕事だって手伝えそうだな」
「アルヴィオ様にお世辞を言っていただけるなんて光栄です」
「本気なんだがな」
「ありがとうございます。あ、ジュースのおかわり要りますか?」
「ありがとう。お願いするよ」
メイリアが手渡した特製ジュースを、アルヴィオは美味しそうに喉を上下させて飲み干す。
「ふふ、すっかり平気な顔をして飲めるようになりましたね」
「ああ。この独特の後味がクセになってきた。しかも、君のこのジュースを飲むようになってから疲れにくくなった気がするんだ」
「アルヴィオ様の意見を取り入れて改良を重ねたおかげで、ジュースの効果も高まっているのかもしれませんね」
アルヴィオと二人で昼休みに会うようになってから一ヶ月。
彼のアドバイスを元に改良し、パワーアップした特製ジュースを毎日飲むようになったメイリアの髪もまた、艶を取り戻していた。
アルヴィオと出会った頃は赤茶けてパサパサだった髪が、今では最高級のストロベリージャムのように深みのある色になり、ツヤツヤとしている。
更に嬉しいことには、実家からの手紙によると、父もベッドから起き上がれる日が増えているらしい。
(私一人で作っていたときはこんなに効果がなかったから、アルヴィオ様のアドバイスには本当に感謝だわ)
アルヴィオはメイリアの話を興味深いと言ってくれるが、メイリアにとっても彼との時間は大切なものになっていた。
毎日、昼休みが待ち遠しくて仕方がない。
(あと一ヶ月でこの時間が終わってしまうのが寂しい……)
将来有望な第二王子と貧乏伯爵令嬢。
学園を卒業してしまったら、二人の道が交わることはもうないだろう。
「――それで、このジュースのことを両親あての手紙に書いたら二人が興味を持ってね。是非近いうちに二人のぶんのジュースも作ってくれないだろうか」
「……えっと、あの、アルヴィオ様のご両親って、国王陛下と王妃様ですよね?」
「そうだが? 都合が悪いだろうか……?」
シュンっと眉尻を下げたアルヴィオに頼まれて断れるはずがない。
そんな表情をされたら、なんだって叶えてあげたくなってしまう。
「とんでもございません! 明日、誠心誠意をいつも以上に込めて、お二人のためにジュースを作って参ります!」
勢い良く宣言したメイリアは、この出来事が自分と父の運命を変えると、まだ気がついていなかった。
国王夫妻のためにジュースを作ってから五日後。
「――まさか、こんなことになるなんて、人生って何が起きるか本当にわからない……」
薬学準備室のテーブルの上に置かれた契約書を読みながらメイリアはうめき声を漏らす。
視線の先の契約書には『王家御用達ジュース独占販売権』と記されている。
なんと、メイリアの特製ジュースが国王夫妻に気に入られ、王家御用達の品になったのだ。
この契約書にサインをすれば、多額の契約金と定期的な収入が今後メイリアの元に入ってくることになる。
「もし条件に不満があれば君の言うとおりにするから遠慮せずに言ってくれ」
「まさか! 現時点でも破格の条件ですよコレ! ベルーセ家を三回再建したってお釣りがきます! 父の治療費だって、もうなんの心配もなくなる……っ」
「それなら良かった」
「本当に、ありがとうございますアルヴィオ様。もうすぐ卒業しちゃうけど、私アルヴィオ様と出会えたことがこの学園での一番の思い出です」
涙ぐみながらメイリアが言うと、アルヴィオがその小さな手を両手で包む。
「それは俺も同じ気持ちだメイリア。……本当に、君ともっと早く出会えていたらと、何度思ったことか」
「アルヴィオ様も?」
「ああ。メイリアに出会うまで、兄と同じように完璧でいなければと、俺はいつも気を張りつめていたんだ」
メイリアの手を包むアルヴィオの手は大きくて熱い。
ギュッと力を込められると、胸がキュンと切なくなる。
この気持ちはなんだろう?
「けれど、君と出会ったあの日。君は俺に『失敗など人間いくらでもする。大事なのはそのあと如何に挽回するか』だと言ってくれた。あのときから、俺はメイリアといると楽に息ができるんだ。心から安らげる」
「アルヴィオ様、もしかしてそれって……」
「――あぁ。そう受け取ってくれてかまわない」
「嬉しいですアルヴィオ様。それって私たちがマブダチ……親友ってことですよね!」
メイリア・ベルーセ。
学園での青春時代を勉学と労働に注ぎ込んだ少女は、色恋に関してどうしようもなく鈍かった。
メイリアが弾んだ声で言った瞬間、アルヴィオがガンッ! とテーブルに突っ伏す。
彼の頭がぶつかったのか、なんだかとても痛そうで派手な音がした。
「ええええ?! アルヴィオ様、大丈夫ですか?!」
「すまない、ちょっとあまりの話のすれ違いに目眩が」
「えっ、すれ違ってないです! 私もアルヴィオ様のことを一番の友人だと思ってますよ⁈」
「そういう鈍いところも可愛いと思ってしまう俺は末期なんだろうな……現時点で一番なら……いや、しかし……」
アルヴィオは何やらワケのわからないことをブツブツと呟きながら遠い目をしている。
「……気を取り直して、ジュースのお礼として、君に卒業パーティーで着るドレスを贈りたいと思っているんだが、良いだろうか?」
「えっでも悪いですよ!」
「俺たちの友情の証でもあるんだ。是非受け取って欲しい」
「友情の証……そういうことなら……」
「やはりメイリアには恋愛面よりも友情から攻めたほうが良さそうだな……」
「アルヴィオ様、何かおっしゃいました?」
「気にしないでくれ。ドレスの色を決めるために、瞳の色を見せてもらっても?」
「はい。私の瞳はこんな感じの色です」
色がわかりやすいよう、メイリアは瞳を覆っていた前髪を両手で上げる。
その途端、メイリアの素顔を見たアルヴィオの動きが止まった。
「アルヴィオ様?」
何故かアルヴィオは頬を染めてボーッとしている。
「おーい?」
「はっすまない……! 俺は君の内面を好ましく思っているから外見は関係ないと思っていたのだが、あまりにも君の瞳が美しくて可愛くて胸キュンで……っ」
「アルヴィオ様? 早口と小声で聞き取れないです。なんて?」
「いや、なんでもないんだ」
けれどそのあと、午後の授業を告げる鐘の音が鳴るまで、アルヴィオはメイリアの瞳を見つめ続けた。
「――ひさしぶりに前髪を切ったから、なんだか変な感じがします」
学園の卒業生を祝うパーティーの夜。
メイリアは短くなった自分の前髪を何度も撫でる。
「きっと今のメイリアの姿を見たら会場中の生徒が驚くだろうな。君の瞳は本当に美しい金色で、ずっと見ていたくなるような魅力がある」
「そんなこと言ってくれるのはたぶんアルヴィオ様だけですよ」
「俺だけじゃないさ。俺の贈ったドレスを着た君は、春の花の妖精に見間違えるほど可憐だ」
以前の約束通り、アルヴィオが今日のためにメイリアへ贈ったドレスは淡いロゼ色で花弁を何枚も重ねたような可愛らしいデザインだ。
角度によって紫にも見える青い宝石で作られたイヤリングとネックレスが、メイリアの華奢な骨格を惹き立てている。
更にはドレスや宝石だけでなく、アルヴィオはメイリアの身支度を整えるための人手まで用意していた。
王家に仕えるベテランの侍女たちによってメイクとヘアアレンジを施された姿は、まるで自分ではないみたいだとメイリアは思う。
特製ジュースと、侍女たちの入念な手入れにより艶を取り戻した豊かな赤い髪は複雑に編み込まれ、目元とうなじがすっきりと見えるヘアスタイルになっている。
「私が妖精のように見えるなら、それはアルヴィオ様がくださったドレスとアクセサリーと、メイクをしてくれた方たちのおかげだと思います。……でも、さすがアルヴィオ様はお世辞が上手ですね。一瞬ドキッとしちゃいました」
「一瞬どころかずっと、胸を高鳴らせてくれると嬉しいんだが。……さぁ、そろそろ時間だ。素敵なお嬢さん。今宵、君をエスコートする光栄な役目を俺にいただいても?」
芝居がかった口調と気取った仕草でアルヴィオに手を差し出され、メイリアは思わず微笑む。
彼の大きな手に自分の手を重ねると、緊張が解れていく気がした。
慣れないドレスとヒールでも、アルヴィオと歩くのなら怖くない。
学園の中で一番大きなホールは豪奢に飾り付けられ、生徒たちはみな華やかに着飾っている。
夜会の経験がほとんどないメイリアはその空気に圧倒されてしまう。
「大丈夫だ。落ち着いて」
「さすがアルヴィオ様は堂々としてらっしゃいますね」
前髪を軽く後ろに撫で付け白の燕尾服を着こなしたアルヴィオは、どこから見ても完璧な王子様だ。
「メイリアには情けない姿を何度も見せているが、これでも人前に立つのは慣れているからね」
「アルヴィオ様はいつだって素敵ですよ」
「これからも、君にそう言ってもらえるように頑張るよ」
アルヴィオにエスコートされたメイリアが足を踏み入れた瞬間。
パーティー会場であるホールは大きなどよめきに包まれた。
「綺麗……!」
「あんな可愛い子、この学園にいたか?」
「え、ベルーセ家のメイリアさん?!」
「なんであの子がアルヴィオ様にエスコートされてるの?!」
最初はアルヴィオがエスコートをする謎の美少女の可憐さにざわめいていた生徒たちが、その正体を知ってさらに驚愕の声を上げる。
ホールの中央へと進み出るアルヴィオとメイリアに会場じゅうの視線が集まる。観衆の中にはアルヴィオの熱烈なファンの女子生徒たちもいて、キリカの姿もあった。
キリカは自分の着ている真紅のドレスとメイリアのドレスを何度も見比べ、わなわなと震えながら「負けた……」と呟いた。
「そろそろダンスの時間だ」
「はい」
楽団が優雅な調べを奏でダンスの時間が始まるが、その間もメイリアとアルヴィオはずっと注目の的だった。
「なんてお似合いの二人なの」
「見てアルヴィオ殿下の、メイリアさんへ向けるあの優しい笑顔」
「きっと殿下にとってメイリアさんは特別な方なのね」
アルヴィオがメイリアに甘く微笑みかけるたびに周囲から黄色い悲鳴が上がる。
「殿下のあんな笑顔を見られるなら、私メイリアさんのことを応援するわ」
「いつまでもお二人のダンスを眺めていたくなるほど素敵」
「本当に、息がピッタリ合っていてお上手」
こうして、見事なダンスを披露したメイリアとアルヴィオは賞賛の拍手に包まれた。
この日の二人の姿は、学園史に残る伝説のカップルとして、生徒たちの間で語り継がれることになる。
そんな卒業パーティーの夜から一ヶ月。
今日も王都のある病院から賑やかな声が聞こえる。
「アルヴィオ様! こんなに頻繁にうちの病院に顔を出さないでください! 二日に一回、酷いときは一週間毎日ここにいらしてるじゃないですか!」
「何を言う。これも王都の視察という立派な公務の一つだ」
「だからって、どうして毎回必ず私のところへ来るんですか!」
「……その意味を、メイリアが気がついてくれるまで、かな」
メイリアとアルヴィオ。
二人の婚約の話題が国中をかけ巡るのは、これからもう少し先の話。
メイリアの弟は重度のシスコンだし、就職先の医者の息子もメイリアを狙ってくるし、マティアス先生(眼鏡)も恋の争奪戦に参加してくるのでアルヴィオにはライバルがいっぱい。
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