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競馬雑文学その5お祓い

作者: 弱者男性

先日の競馬は酷いものだった。

買う馬券、買う馬券、全て外れた。

やっと目当ての先行馬が逃げ切ったかと思ったら、どこから飛んできたか、追い込み馬がゴール板でそのハナを伸ばし、私の万冊を食い散らしていった。

呆然としながら新聞を見なおすと、ここ四レース掲示板を外している、とんでもなく人気のない馬だった。とことんついていないなと思った。

財布の中身が無くなって、仕方がないからネット投票で預金を使おうかと思ったが、流石にこれ以上負けると自傷行為以外の何物でもないと怖気づき、止めた。

ここまでまけると勝負をする根性すら、へし折られている。

最寄り駅までの道を逸れてコンビニに行き、帰りの電車賃とその日の飲み代を引き下ろし、近くの安い立ち飲み屋で憂さ晴らしをした。


馬券だけじゃなく、最近は、ついていなかった。

コロナ感染症の影響もあってか、職場の営業所の成績が悪く、ボーナスが一ヶ月分しか出なかった。最終月の仕事で、同僚の中で一番成績が悪かった上、顧客からクレームがあり、成績挽回どころか、その対応で何もすることができなかった。上司にはそのクレームについて、逐一尋問のような面談を受け、おまけに始末書まで書かされた。

そんな次第だから、それを理由に彼女とのデートをリスケしたら、当日、いつもとは違う日程でやってきたという“生理”を理由に更にリスケ。後日、彼女のインスタを見たら女友達とスイーツを頬張る様子が堂々とアップされていた。


いっそのこと運動でもしてこの鬱憤を晴らそうと思い、旧友を誘ってフットサルでもしようかと思えば、奥さんがどうだとか、子供の運動会がどうとか、彼女とデートにいくとか。

そこで折れる私ではなく、仕方無しに向かったスポーツジムは改修工事とやらで数ヶ月の休業。今更別のスポーツジムに入会するのも億劫で、何を思ったか、競馬場に足を伸ばしていた。


競馬場に出向いたのは大学生の頃以来だった。

あの時はいつも輝いていた。見るもの全てが新鮮で、香る芝の匂いが爽やかだった。食べるもの皆、至極のご馳走で、汎ゆる瞬間に起きる全ての出来事が刺激的で、この世界の全てに祝福されているようだった。

あの日、私は恐る恐る馬券を買っていた。自分が何か踏み入れてはいけないこの世の闇に手を出しているような、それでもそこに潜む何か特別で刺激的で、感動的な未来の扉に触れている、そんなセンシティブな感情になっていた。

私の金を飲み込んだ券売機が代わりに吐き出した「三連単」と書かれた紙切れは、文字通り紙切れだった。

それそのものはまだ、払い戻し機に入れても戻ってきてしまう、メモにも、ちり紙にも使えない、無価値の紙切れ。私はあの時、紙切れを買ったのだ。世界で一番高級で、特別な紙切れ。数十分後、それは私に今迄で一番の超強烈で、超爆裂的で、刺激的な時間を提供してくれることになる。


たった百円で買った一番人気、二番人気、三番人気を組み合わせたダサい馬券。それを財布に忍ばせ、コースの前に私は立つ。ファンファーレが鳴り、ゲートが開くと、歓声が湧き、それに触発されるように屈強な競走馬は一斉にコースに放たれた。

あの時は何も解らなかった。ただ、オリンピックの短距離走を馬がしているのと同じだと思い、見ていた。逃げ、先行、差し、追い。距離、コース、天候。馬体重、戦績、馬齢、性別、そしてジョッキー。

何も知らなかったけど、競馬は良い意味で単純だった。一番早く駆け抜けた馬が、勝ちだから。


私の前を、雷轟のような足音を響かせながら馬群は近づいてきて、暴風雨のような歓声が浴びせられた。

馬たちは、その嵐の中、疾風のように駆け抜けていった。

一瞬のことで何番が何着などといったことは勿論、自分が買った馬がどこにいるのかなんて、正直解らなかった。

掲示板に、表示された数字を見て、すぐに気づいた。それは、見覚えのある数字。あの時の予想なんて、予感よりも淡い、当てずっぽうみたいなものだったけど、数字だけは覚えていた。

財布から馬券を取り出す。数字を掲示板と何度も見比べて、数秒後、雷のような衝撃が私を襲った。凄まじい衝撃に、私は雄叫びを上げた。三連単の的中。七百七十円の配当だった。


あの日、この払い戻し機に馬券を飲ませ、吐き出させた小銭を握った感触を良く覚えている。その小銭でビールとモツ煮を買った。旨かった。最高だった。言い得ぬ衝撃だった。

あれ以来、私は何度この器機に金を飲み込まれ、いくら吐き出させたか解らない。

しかし、今財布の中に残っている馬券は、先日の負馬券だけだ。草臥れた心を携えた私の予想は、やはり下心に呪われていた。

その憂さ晴らしに入った飲み屋で一人寂しくワンカップを啜りながら見返した馬柱で、私の選んだ馬は三桁のオッズを背負っていた。別のレースでは、三着に破れた馬を、単勝で買っていた。私は競馬に、甘えたかったのだ。傷ついた心を、慰めて欲しかったのだ。

競馬は希望であり、同時に残酷な現実でもある。そこにあるのは、自分の心の写し以外の何物でもない。


色々失ったし、何か心の中すっぽり空になった気分だが、そんな気分だからこそ、今日は純粋に競馬を楽しめると思う。私は財布からその呪われた負け馬券を取り出すと、払い戻し機に飲み込ませる。

「この投票権は、的中していません」

無感情の機械音が清々しい。

「知ってるよ、馬鹿野郎」

冷酷な機械音に説教され、私は心を洗う。

全ての負け馬券を機器に通し、そのお祓いを受けた私は、心新たに、パドックへと向かうのだった。

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