婚約者主催のパーティーへ
会場に足を踏み入れると、多くの視線がこちらへ向いた。事前にイヴァンから私が浮気をしていると聞いていたのだろうか、会場内にいた女性たちは鋭く汚らわしいものを見る目を作っていたが、隣にいる発光せんばかりに輝いているアシル兄様の姿を捉えて、急にしおらしくなってしまった。
「もしかしてあの浮気男、シエナのことを女性たちを使って糾弾するつもりだったのかな」
「それならあの妙に優しい手紙やネックレスにも納得ですね」
こそこそと言い合う。ネックレスはおそらく、私を知らない女性にも私の存在を分かるようにするためか――実際のところ、アシル兄様が目立ちすぎてネックレスをつけていなくてもこの有様だが。
予定していた私を責める言葉が聞こえてこなくて焦ったのか、慌ただしくイヴァンが顔を出した。隣に佇むアシル兄様を見て露骨に顔を歪める。女性たちに目を向けるが、この美貌の青年に面と向かって啖呵を切れるご令嬢はいないと気が付いたらしい。
「シエナ、久しぶりだね。会えて嬉しいよ。その、ネックレスは気に入ってくれた?」
咳ばらいをして仕切り直したイヴァンに、私も笑顔を装備した。
「それでしたらこちらに。アシル兄様の今晩のお洋服に似合うと思ったものですから、ついついブローチに仕立て直してしまいまして」
「素敵な琥珀ですね。僕の服によく映えてます」
これにはイヴァンも引きつった笑みを浮かべてしまっていた。アシル兄様は数年前に一度着ていた上等な紺色の夜会服を身に纏っている。イヴァンがくれたネックレスは私がさっと分解してブローチに作り替えた。アシル兄様の胸元で微細に煌めいている。
一方の私はこの前参加した夜会で着たドレスを着るつもりだったが、なんと兄様がお揃いの紺色のドレスを買ってきてくれた。コツコツと貯めてきた小遣いを使ってくれたらしい。兄様が選んでくれたドレスはかなり上等なもののようだった。女性たちの視線がそれを物語っている。久々に髪もおろして、今日の私はそれなりに仕上がっている。もちろん兄様の隣にいれば霞んでしまうのだけれど。
イヴァンとどう攻防を繰り広げようか、と考えているところへ音楽がかかった。
「シエナ、踊ろうか」
「そうですね、せっかくのパーティーですし」
と、私とアシル兄様は婚約者であるイヴァンを押しのけて華麗に会場中央へと躍り出た。かしこまった王都のパーティーよりも田舎貴族が主催するパーティーの方が好きだ。ステップも音楽もいくらかラフでいい。マナーを注視されることもあまりない。それに、普段から体を動かしている私たちはダンスが割と得意だ。
「見ました? あの呆けた顔」
「うん、見たよ。愉快だね」
「ご令嬢たちもみんなアシル兄様のこと見てますよ。兄様も彼女を作ったらいいのに」
「ここに来ているご令嬢はほとんど婚約者がいるはずだよ。それに興味もない」
「はあ、まったく……」
私の恋人のふりをしてくれているのは嬉しいけれど、そんなことを言っていては兄様こそずっと結婚できないままだ。
「シエナは僕に誰かと付き合ってほしいと思ってるんだ?」
「それはまあ……兄様には幸せになってほしいので」
「はは、シエナのことが好きなのに、他の女性と付き合えって言うんだ。酷いな」
兄様には周りを見てもらいたい。婚約者がいるいないは置いておいて、兄様のことを熱っぽい目で見ているご令嬢はたくさんいるのだ。それこそ兄様なら、コーデリア様のような凛とした美人もマチルダ様のように儚げな美人でも、お手のものだろう。たまたま我が家にやってきた兄様と偶然兄妹になっただけの私が、兄様を独占している方がよっぽどおかしな話だ。
「……シエナはさ、僕にブランシェット子爵家や騎士団を継いでほしいって思ってる?」
「改まって急にどうしたんですか?」
神妙な面持ちを浮かべている。アシル兄様はいつかお父様の爵位を継ぐ日がやってくる。私は王宮に出仕することになるだろうし、最近はアシル兄様がお父様の執務をこなすことも増えてきた。だから当然、兄様が継ぐのだと思っていた。
「……継がないんですか?」
何かアシル兄様の中には他の未来があるのだろうか。他の選択肢があるのだろうか。続けて尋ねてしまいたかったのに、音楽が終わってしまった。形式的にダンス後の礼をする。そのままはけて話の続きを、と思ったけれど横入りしてきたご令嬢に兄様の手は握られてしまっていた。
壁際にはけてきてからというもの、兄様を紹介してほしいという話が絶えず持ち掛けられた。イヴァンの浮気がどの程度まで及んでいるのかは知ったこっちゃないが、ご令嬢たちにとっては私と兄様の「浮気」は信じるに値しないものだったらしい。イヴァンの浮気癖を知っているのか、はたまた私があまりにも芋っぽいからか。
ご令嬢たちはみんな可愛らしい顔で、身体も貧相ではなくて、ドレスも髪もきっちりお手入れがされている。兄様を慕ってくれるなら紹介したいと思うけれど、どこかで目の前のご令嬢が兄様の結婚相手になることを嫌がっている自分がいる。私も兄様に劣らずのブラコンだったのか。
兄様の姿はあまり見えなくなっていた。ご令嬢たちに奪い合われているに違いないけれど、その中で兄様は笑ったり褒めたりしているのだろうか。
「シエナ」
呼びかけられて振り向くと、ワイングラスを2つ持ったイヴァンが私を見ていた。彼は私より2つ上で、成人を迎えているため当然酒が飲めるけれど、私はまだ未成年である。大きなため息が自然と出ていた。
「2人で話がしたい」
「ここでなら」
「外がいい。少し人目のないところじゃないと話せない話もあるだろう?」
「私にはそんな話ありません」
盛大に睨みをきかせた。パーティー会場でその話で騒いで外聞が悪くなるのはイヴァンだけだ。外にでも連れ出して言いくるめるつもりなのか知らないが。
「いいですか。私はイヴァン様が浮気を――女性に触れているところまで見ているんです。ですので、早く婚約解消に応じてください」
「ははは! 触れていた程度で浮気だなんて。初心にも程があるなあ」
イヴァンはけらけらと笑い始めた。