婚約者からの宣戦布告
「おかえり、シエナ。聞いていたよりもずいぶん遅かったから心配していたんだよ」
「あはは……それがですね、普通に寝坊しまして」
1週間ぶりに見るアシル兄様に、ここ数日であった出来事を説明する。7日間ほぼまともに寝ずに医務室と自分の部屋を往復していたところへ、最終日ほぼ半日ぶっ通しで行われた治療。加えて第一王子殿下に謎の晩餐会に誘われ、無断欠席した心労。お母様とあの儚げ美人のマチルダ様に出会ったことで、張りつめていた緊張がどこかへ行ってしまい、ばっちり昼過ぎまで眠りこけた次第である。
「なんでシエナがそんなすごい晩餐会に誘われたんだろうね」
「さあ……私が聞きたいくらいです。私のことを知っているのも不思議ですよ、大方クラレンスおじさまが色々喋っているのでしょうけど」
それに私は「救国の英雄騎士」の娘なのだ、第一王子殿下も興味があったのかもしれない。
「そういえば、アシル兄様はどちらに行っていたんですか?」
「ああ、僕は麓の町に出かけていたんだよ。ほら、最近賊がよく現れるっていう」
「ああ、あの辺りはアグリータ王国との貿易の窓口ですからね。私のところにも派遣されていた王宮騎士団員が担ぎ込まれてきましたから……」
ブランシェット子爵家は自身の領管理に加えて、騎士団員を周辺領に配置して警備を行うことも任されている。特に賊の被害が多いところは王宮騎士団と連携を取って対処にあたっている。アシル兄様が出向いたということは、それなりの被害が見られたはずだ。
「今、賊の被害が多く見られているのはルルクワント公爵領にある国境付近だからね。あそこはかなり整備されていて、物資のやりとりも一番多い。けれど、公爵領に到達する麓付近は整備も不完全で、賊の狙い目になっているんだろうね……きっと、シエナのところに来た騎士たちもそこで襲われたんじゃないかな」
ルルクワント公爵家は、第一王子殿下の婚約者であるコーデリア様のお家だ。国境付近の領は数ある領の中の1つに過ぎないはずだけれど、一番の貿易口が賊に襲われているのは王家としても公爵家としても痛いはずだ。
「王宮騎士団だけでなく、専属医も派遣できたらもっと治療もスムーズに行えるのに……」
そうぼやいたところへ、部屋の扉がノックされた。返事をすると、荷物を抱えたジェイが入ってきた。
「シエナ嬢、アシル兄、どちらも今日お帰りだったんですね!」
「ただいま。寝坊しちゃったのよ、本当は早く帰ってくるつもりだったんだけど。訓練場には後で行くね」
「いえいえ、お疲れでしょうし、今日は休んでてください! ロアルド団長もいますし!」
昨日の昼から何も食べていなかった私は、アシル兄様に付き合ってもらい、遅めの朝食兼昼食を食べていたところだった。机の上にある皿やカップを避けると、ジェイが荷物を仕分け始める。
「アシル兄様も今日帰ってきたんですね? ずいぶん大変な視察だったんですね」
「うん、まあね……ところでジェイ、この花束やらプレゼントっぽい箱は何?」
ジェイは手紙の他に大きな花束と豪華な包装がされた箱を持っている。ジェイは少し気まずそうにアシル兄様から目線を外した。
「それがですね、シエナ嬢のいなかったここ数日、シエナ嬢の婚約者さんからこんな感じで毎日プレゼントが届いてまして……」
「ちょっと見せて」
アシル兄様は箱の包装をわりと豪快に破くと、中身をひっくり返した。箱から琥珀のネックレスが叩き落された。初めてプレゼントが贈られてきたわけだが、魂胆が丸見えでちっとも嬉しくない。なんで琥珀? と思ったけれど、イヴァンの瞳の色を思い出して私は思いっきり顔を歪めてしまった。
「気持ち悪いな。もしかしてだけど、手紙もあったりする?」
「あ、手紙もありますよ。数日分ありますけど……見ます?」
数分してジェイは1週間分の手紙を持って戻ってきた。私もタイミング悪く不在で、かといって王宮騎士団に届けるほどのものでもなく処分に困っていたらしい。「別に燃やしたらよかったのに」と兄様が隣でぼやく。
手紙には、浮気はしていないだとかいつまでもへそを曲げていないで仲直りしようとか、そんな文がつらつらと書き連ねてある。けれど返事が全く返ってこないことに苛立っているのか4日目辺りからは語気が荒かった。少しぞっとしたのは、今日届いた手紙は気持ち悪いほど優しかったこと。
「パーティーへの招待状がついてる。ネックレスを着けて参加してほしいって書いてある……」
この魂胆がすけすけなネックレスを? 汚いものを見る目でネックレスを眺める。アシル兄様は招待状をじっと見つめていた。
「このパーティー、一緒に出ようか」
「えっ」
私もジェイもほぼ同時に声を上げた。あの出不精兄様が自らパーティーに出ると言い出すなんて。それと同時にジェイと目配せをし合った。これは千載一遇のチャンス。出不精兄様に素敵な女性を見つけなければ。
「珍しいですね、兄様がパーティーなんて」
「僕は王都でやってるようなパーティーが苦手なだけ。別にパーティーが嫌いなわけじゃないよ」
「てことは、そのパーティーはこの辺りでやるんですね?」
「この辺りっていうか……」
アシル兄様は招待状に明記された会場を指で示す。この辺りどころか、グレズリー家で行われるようだ。ということは、アシル兄様と敵陣に乗り込むということだ。兄様は不敵な笑みを浮かべている。
「恋人として参加するんだから、気合いれないとだね」
1週間ほどでパーティーの日はやってきた。
参加の旨を手紙で伝えたけれど、アシル兄様が同行していることはもちろん伝えていない。しかしながら、恋人宣言をしている手前、あのイヴァンといえど兄様を連れてくることくらい予測できるだろう。何か一波乱起きることは間違いない。気が重いが、アシル兄様のエスコートでグレズリー家のパーティー会場へ足を踏み入れた。