騎士団の医務室にて
訓練場の中にある医務室が私の仕事場だ。王宮騎士団ほどではないけれど、我が家の訓練場もなかなか広く、設備も整っている。陛下からは十分すぎるほどの褒美をもらってしまった、とお父様は困ったように話してくれた。ただ、お父様が私のために医務室の設備を充実させるためにあれやこれやと働きかけてくれたことを私は知っている。
謙遜するお父様だけれど、騎士団員の中で「救国の英雄騎士ロアルド」の話は鼻息荒く語られるほどかっこいいエピソードばかりだ。隣国アグリータ王国が領地侵略を目的に国境沿いまで進軍を進めた。王宮騎士団がそれに応戦していた。負傷した騎士団長を庇い、一人の騎士が敵地に乗り込み――そうして敵軍を壊滅に追い込んだ。国境を彼らに越えさせることなく、その騎士は白旗を上げさせた。被害は最小に留め、ヴェルテ王国を守り抜いた。これが私のお父様であるロアルドが「救国の英雄騎士」と呼ばれるようになった所以だ。
「まーたロアルド団長の話を思い出してにやにやしてるんですか、シエナ嬢?」
「な、なんで分かったの?」
にやにやしながら声をかけてきたのは昨夜の騎士、ジェイとジェイの仲良しであるハビーとロンだ。
「そうやってシエナさんが誇らしげににこにこしているときは大抵ロアルド団長のことを思い出しているときなんですよ」
「そんなに顔に出てるの……?」
「教えてくれたのはアシル兄ですけどね」
ハビーとロンは愉快そうに教えてくれる。ちなみに、ジェイだけが私を「シエナ嬢」という呼び方をするけれど、他のみんなは普通に「シエナさん」と呼ぶ。アシル兄様はみんなから「アシル兄」と呼び慕われている。
我が騎士団には様々な入団経緯がある。例えば、ジェイとハビーはブランシェット子爵領に住む市民だ。ロンのように王宮騎士団に所属していた父親経由で入団してくる人もいる。中には王宮騎士団に所属していたけれどお父様についてきた人までいる。
「はあ、本当にアシル兄様は余計なことばかりみんなに言うんだから……というか、私のところにきたってことは怪我でもしたの?」
尋ねると、3人は揃いも揃って訓練中に作った生傷を見せた。見たところハビーとロンは打撲、ジェイは切り傷だ。座るように促して傷薬や包帯、氷などをささっと準備する。ハビーとロンには氷を押し当てて、ジェイは止血をする。
「またジェイは真剣を使ったの? 危ないんだから訓練中にあまり使ってはいけないって言ってるじゃない」
「ですが普段から使っていないといざというときに使えないですから!」
「そうだけど。それで怪我をしているんだから……」
お父様も今は家を空けているし、アシル兄様もその分の仕事をしている。監督者が近くにいないときにあまり無理をしてほしくはない。小言を言い連ねていると、ジェイが言いにくそうに口を開いた。
「昨夜は大丈夫でしたか?」
「昨日はごめんね。そのことなんだけど」
と、私は昨夜あったことと今朝の出来事をかいつまんで説明した。話している間、3人とも怒ったり怪訝そうな顔をしたりと百面相だった。
「それでどうしてアシル兄と付き合うって話になるんですか?」
「馬鹿だなあ、その浮気男にやり返すために決まってるだろ」
ハビーは不思議そうに尋ねてきたが、ロンは理解したようだ。そこでようやく頭の中で情報を取りまとめたのか、ジェイが顔を跳ね上げる。
「でもシエナ嬢、アシル兄はどうするんです? その話だとアシル兄は結婚できなくて困るってことですよね」
「そうなの。兄様だって結婚をしないといけないし、いつまでも私の恋人ごっこに付き合わせるわけにはいかないよね。でも兄様ってパーティーには行かないし、浮いた話の一つもないし、縁談はこないし」
ため息交じりに言えば、ロンも「アシル兄って顔は綺麗なんですけどね」と同調する。
「じゃあ、シエナさんが恋人のふりをしている間、アシル兄のお相手を探すっていうのは?」
「わあ、たしかにそうね。名案ね、ハビー」
「シエナ嬢も相手を探したらいいんじゃないですか? シエナ嬢ならきっと良いお相手が見つかりますって!」
3人が出してくれた提案には大賛成だ。平々凡々の私が素敵な人を探せるかは置いておいて、アシル兄様なら素敵なお相手が捕まえられるかもしれない。あの名高いお父様の元にいる子息なのだ。きっと見つかる。兄様が私のために恋人のふりをしてくれるなら、私も兄様のために何かしてあげなくては。
盛り上がっているところへ、執務室のドアがノックされた。
「シエナ、いる?」
顔を出したのは、件のアシル兄様だ。聞こえていただろうか。散々兄様に似合いそうな女性像を語り合っていたので気まずい。ハビーなんてわざとらしく口笛を吹いてそっぽを向いている。
「どうかしました?」
「今から応接室に行くよ。あの浮気男が今来てるんだ」
「は?」
なんで、と尋ねる間もなくアシル兄様に腕を引っ張られてしまった。慌てて家へ戻る。道中、お父様がイヴァンを連れて帰ってきたことが説明された。少し待たせておけばよかったのに、性分だろうか、早く行かなければという気持ちだった。兄様が急かしたからかもしれないけれど。
直接応接室へ向かったため、髪も服も何も考えていなかった。おまけに薬剤を扱っていたせいで少々手から苦い匂いがする。私がそのことに気が付いたのは、イヴァンの顔が分かりやすく歪んだからだった。