恋人ごっこ
「……はい?」
まさか怒りで頭がおかしくなってしまったのだろうか。グレズリー家の襲撃に付き合えということか、と頭をひねらせるけれど、「僕と」付き合うということはやはり恋愛的にという意味で間違いないのか。
訝し気に見つめていたのがバレたのか「恋愛の方」と補足説明がされた。
「な、なんで急にアシル兄様と私が付き合うという話になるんですか?」
「好きだから?」
「はあ、それは嬉しいし知ってますけど……」
アシル兄様は我が家の中でもずば抜けて過保護だ。それもいわゆるシスコンという部類の。
すらりとした高身長に、鍛えられた身体。日頃外で騎士団の訓練を受けているはずなのに、体質のせいなのか、真っ白い肌。ハニーブロンドの癖のある髪やくりくりとしたグレイッシュブルーの瞳は愛嬌がある。身内の贔屓目に見ても、アシル兄様は見目麗しい。
なのに、私以上にパーティーに参加しない出不精でおまけに重度のシスコンを抱えているせいで、女性たちからの縁談がびっくりするほどこない。兄様の美貌なら、婚約者どころか何股もできるだろうに。
「でもさ、実際のところどうするつもりなの? このままだと婚約解消できないままシエナはあの浮気男と結婚することになってしまうんだよ? 一度浮気現場を見られているから向こうも慎重になるだろうし。それに向こうは完全にブランシェット家のことを下に見ていると思う」
それは先ほどの手紙からよく伝わった。グレズリー家は由緒ある家だけれど、ブランシェット家は平民の成り上がりだ。お父様の話や私が実際に会ってみた雰囲気ではグレズリー伯爵は表裏のない人で、純粋にお父様に感謝しているようだった。けれど、イヴァンはそうは思っていないのだろう。日頃の会話の端々にもそれは滲み出ていた。なのに、このままうやむやにして私と結婚するつもりだ。
昨夜の出来事を思い返す。正直、イヴァンのことはどうでもいいと思っているので浮気うんぬんは興味もないし好きにやってくれれば構わないが、私や家族をなめているような態度が気に食わない。
「じゃあ向こうに婚約解消を切り出させるのが手っ取り早いと思わない?」
「それはそうですけど。でもなんで付き合う必要が?」
「なんでも何も、僕たちにはそれができるからだよ」
アシル兄様はさも当然と言うようにきょとんとしている。
確かに兄様の言う通り、私とアシル兄様は付き合うことができる。というのも、私と兄様は血がつながった兄妹ではないから。
アシル兄様が我が家にやってきたのは私が11歳、兄様が12歳の頃。兄様は騎士団の入団志望者で、お父様は昔馴染の子を預かることになったと私に紹介した。突然できた兄に戸惑ったけれど、日頃から同じ年頃の騎士団員とは接触していたので別段かしこまることもなかった。すんなり私の中で兄様になって、過保護なのにも慣れて、今に至る。
でも、なぜ付き合うのが手っ取り早いのかいまいち分からない。
「僕とシエナが血がつながっていないことをイヴァンは知っているよね。だから僕たちが付き合って仲良くしているところを見せつける。そうしたら向こうから婚約解消を言い出してくるって寸法」
「うーん、でも今までみたいに仲の良い兄妹だと思われるのがオチな気がするんですが……ならいっそのこと別の方と付き合った方が」
「ほとんどパーティーにも出席しないのに、そんな都合良く良い男に出会えると思う?」
思えない。私は今年で18歳になってしまう。大抵の貴族子女、子息は10歳前後で婚約をして、そろそろ結婚をし始める年頃だ。そんな中で至極平凡で大して可愛くもない私が簡単に恋人を見つけるのは難しい。昔からお父様について回っていた私は周りのご令嬢たちに比べたら格段に出会う機会も少なければ恋愛経験もない。早く王宮に出仕して、王宮騎士団専属医になりたい。お父様が勤めていた王宮騎士団で私も働きたい。それが長年の夢で、恋愛なんてしている暇もなかったのだ。だから漠然とイヴァンとの結婚を受け入れていた。けれど、私や家族を見下す男と婚約を続ける義理はない。
「そうか、アシル兄様は婚約者がいない有望株……」
「そうだよ? あの英雄騎士ロアルドの元にいる婚約者が空席の子息で、浮気をする婚約者に疲弊したシエナとそれを慰める義理の兄。長年一緒に暮らすうちに恋愛感情が芽生えていた――どう? なかなかよくできた話だと思わない?」
「ですが、そんなことをしていたらますます兄様の婚期が遠のいてしまうのでは……」
アシル兄様は私以上に女性との出会いもないし、婚約者もいない。アシル兄様こそ妹の心配ばかりしていないで自分の心配をした方がいいのではないだろうか。爵位を継ぐ兄様は婚約者がいないと色々大変なのではないかと思うのだけれど。
「大丈夫だよ。結婚するつもりないから――シエナ以外とは、ね」
私の心配をよそに、アシル兄様は余裕綽々、といった笑みを浮かべている。そのまま呆然としている私の手を掬い取って自分の唇まで運んでいく。どきりと心臓が跳ね上がったけれど、私の手の甲は兄様の唇の数センチ手前で止まった。
「はは、付き合うならこういうことにも慣れていかないとぼろが出ちゃうんじゃない?」
「役に入るのが早いです。始めるなら、そう言ってくれないと」
「ああ、ごめんごめん」
アシル兄様は揶揄うように言うと、軽快な足取りで執務室を出ていく。
つまり、婚約者を一泡吹かせて婚約を解消するために、付き合っている仲良しの恋人のふりをしたらいいというわけで。ありがたいけれど、アシル兄様には全く利益のない話だ。まあ、兄様の過保護は今に始まったことではないし。
いまいち状況が呑み込めずにいたけれど、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。いつも通り、騎士団の訓練場へと向かうことにした。