兄様がいる理由
「それで、兄様はどうしてここにいるんです?」
アシル兄様の応急処置を済ませたあと、兄様がテントに戻るようにしつこいのでテントに戻った。どうやら兄様の治療中にはあらかたことが片付いていたようで、テントには怪我を負った騎士たちや捕縛された賊たちが転がっていたりした。急いで騎士たちの手当てを行い、ようやく一息ついたところだ。応急処置用に巻いた包帯を巻き直しながら兄様に投げかける。
「うーん、シエナも気づいてると思うけど」
「あ、それって火薬……?」
アシル兄様は内ポケットから火薬を取り出す。粉末状になっていて黒焦げになっているが、硫黄特有の臭いがかすかにする。
「少人数の賊が捕まったという知らせを受けてね。そいつらは簡単に捕縛されたと聞いたけれど火薬の入っていない銃を所持していた。そこに引っかかってね」
「火薬の入っていない銃……」
「大方、賊の親玉辺りの情報を聞きかじった下っ端だと思うよ。銃のガワだけでも使えると思ったんじゃないかな」
先日捕まった賊は騎士たちにすぐさま捕まったと聞いた。私が見かけたときも丸腰だったし変な奴らだと思ったのだ。
「ではここ最近の荷馬車を襲って奪われたものは火薬の材料になるものばかりだったと?」
「そうだね。でも宝石があれば宝石がなくなっていたし、食料もやられていたから規則性がよく分からなかった」
「硫黄や硝石なんかはぱっと見宝石にも見えますし、賊も完璧に区別がついていたわけではないのでしょうね」
「それが目的不明で混乱させたんだけどね」
兄様はため息交じりにそう言った。ちょうど処置が終わって兄様の手を離す。なぜか兄様は私の手を取ってまじまじと眺め始めた。賊に手首を掴まれはしたけれど、痣にはなっていないはずだ。
アグリータ王国は温泉が有名で、硫黄がよくとれる。重火器の類が発達し始めた最近では鉄や石灰といった武器に使える資源を主な輸出物にしていたはずだ。きっと王宮騎士団専属医に運ばれてきた騎士たちも、まだ見慣れない火薬に思うように行動ができなかったのではないだろうか。
「それで兄様は賊の狙いが火薬、銃の製作だということにいち早く気が付いて駆け付けた、というわけですか」
「そういうこと。今夜の貿易の品目に硫黄があったからね。もしかしたら奴らは今日動くかもしれないと思ったんだ。まあ、全員は捕まえきれなかったんだけれどね」
「それでもアシル兄様のおかげで事態が落ち着いたことに変わりはないですからね」
兄様が駆けつけてくれなかったら、今頃は火薬が売り捌かれて大変なことになっていたはずだ。私ももしかしたらただではすまなかったかもしれない。後は騎士たちとこの仕事を依頼してきた第一王子殿下あたりがどうにかしてくれるだろう。
「……1人で行かせるんじゃなかったな」
「え?」
「シエナが危険な目に遭うくらいなら、こんなところに行かせるんじゃなかったかなって。今回派遣された騎士たちは新米も多くて、統率も取りにくかった。もしもここに父さんやクラレンスおじさまがいたらもっと事態は早く収拾されたはずだし、賊を取り逃がすこともなかった。シエナがあんな男に触られることもなかった」
アシル兄様はぶつぶつと呪詛のように言葉を吐き続ける。確かに兄様の言う通り、私が見てきた騎士たちに比べるとまだまだ知識が浅いような気はしていた。硫黄や石灰なんかは薬に使われるため、知識として私は知っていた。薬に詳しくない兄様がすぐさま火薬の材料だと気が付けるのに、なぜ気が付かないのだろうかと不思議に思う。そもそもベテラン騎士になれば第一王子殿下の婚約者である女性に顔を赤らめることなど決してしないだろうし。
「ご自分を責めないでください。ここに来たのは私の意志ですし、兄様が来てくださったおかげで私はこうして無事です。結果的に見て事態はほとんど収拾されたんだし、いいじゃないですか」
「うん……そうだね」
兄様はようやく安心したように笑うと、私に向かって両腕を広げてきた。首を傾げると「ほら、早く」と謎に急かされてしまった。動作的に、抱きつけということなのだろうけど。おずおずとアシル兄様の腕の中に移動する。兄様は椅子に腰かけたままで、立っている私を強引に腕の中に押し込めた。バランスを崩した私はアシル兄様の胸板に勢いよく顔を押し付けてしまった。
「ようやく安心した」
思っていたよりも兄様の力が強い。それに胸板が絶妙に柔らかい。アシル兄様は元々鍛えている方だったし、騎士たちで筋肉など見慣れたはずだったのに、変にドギマギしてしまう。兄妹のハグはこんなだっただろうか。参考にできる兄妹像も思い浮かばずに、早々に考えることを諦めた。
「シエナはすぐに危険な方に突っ走ろうとするから、僕心配だよ。シエナのせいでどんどん寿命が縮まってる気がする」
「えっと、ごめんなさい?」
「優しくて正義感も責任感も強いから、大変な思いをしてしまうんだよね。それがシエナの良いところだって知ってるし、僕もそういうところ込みでシエナが好きなんだけど」
「それは褒めすぎなような」
「しばらく1人にはさせたくないな」
ひとしきり抱きしめられた後、ようやく私は解放された。その直後、そこに騎士がおずおずと入ってきて兄様に声をかけた。報告に来たらしいが、ひどく気まずそうだった。もしかして一部始終を見られていたのでは、と私は心臓が飛び跳ねたけれど、兄様は対照的にえらく上機嫌だった。