浮気現場を目撃してしまった
新連載です。よろしくお願いします!
「ミレイユ、君は本当に可愛いね。今夜は誰よりも君が輝いているって俺は断言できるよ」
「あら。イヴァンったら本当にお上手ね。婚約者がいるっていうのに悪い男」
「それは君もだろう? お互い割り切った関係ってことでいいじゃないか。それに君はこんなにどこもかしこも柔らかいけれど、俺の婚約者はなんか硬そうだし」
「硬そうって、うふふ」
久しぶりに参加した夜会で長年の婚約者イヴァン・グレズリーが可愛くて柔らかそうな女性と睦み合っているところを見てしまった。兄様に「たまには都会の夜会にでも参加してきたら?」と言われたからわざわざ来たというのに。
先ほど婚約者に「なんか硬そう」という烙印をおされた私、シエナ・ブランシェットはブランシェット子爵家の1人娘だ。といっても、我が家はお父様の「救国の英雄騎士」という栄誉の元、陛下に授爵された平民上がりの貴族なのだけれど。それでもお父様の名声は高く、子爵という異例の授爵に加えて王宮騎士団長を長年務め、退役後は自身の領地に騎士団を置くことを許してもらえるなど破格の待遇を受けている。
そんな私と伯爵子息であるイヴァン・グレズリーの婚約もまた、お父様のおかげで成り立ったものだ。
ブランシェット子爵領と隣り合うグレズリー伯爵領は山岳に近く、賊に困っていた。それでグレズリー伯爵がお父様に援軍を要請して、辺り一帯の賊を蹴散らしたことで、多大な感謝をされた。その感謝の証にグレズリー伯爵が提案してきたのが、イヴァンとの婚約だった。
イヴァンは黒髪を無造作に伸ばしていて、琥珀色の瞳にはどこか色気がある。私には面倒でしかない領地と王都の往復も、彼にとってはさほど気にならなかったようで、彼はよく王都のパーティーに足を運んでいた。
「まあ、あんな色気たっぷりの彼女がいてもおかしくないよねー」
王都からブランシェット子爵領までは小一時間ほどかかる。座り心地の悪い馬車に揺られてとんぼ返りするかと思うと憂欝だ。
「あれ、シエナ嬢、もうお帰りですか? 先ほど着いたばかりですが?」
「いいの、これから婚約解消の手続きで忙しくなるから早めに帰ってお父様とアシル兄様と相談しようと思ってね」
「は!? 婚約解消!?」
我が家の騎士団所属のジェイは素っ頓狂な声を上げると、事の顛末を詳しく聞いてくる。我が家の騎士団はなぜか全員めちゃくちゃ過保護で、今日もこうやって私を送り迎えするためだけに騎士が付けられている。もったいないから、休息時間とかに充ててほしいといつもお願いしているのだけど。
「……ということがありまして。イヴァン様との婚約は解消していただけたらなと」
家に帰って夜会での浮気報告をすると、お父様は盛大に項垂れ、アシル兄様は呆れかえっていた。
「ほら、だからイヴァンはシエナの婚約者にふさわしくないってずっと言っていたでしょう?」
「そうだなあ。うーん、グレズリー伯爵がとても良い人だったから、イヴァン君もシエナのことを良くしてくれるって思っていたんだがなあ」
「人が良すぎます。世の中の全員が善人だとは限りませんから」
アシル兄様はくどくどとお父様に文句を垂れている。確かに、お父様は善という言葉が形を成したようなひとだから、アシル兄様の言うことは間違ってはないと思う。
「でも浮気は許せないし、娘を傷つける行為をさすがに許すことはできない。今から婚約解消の書類を作成しよう」
お父様はいそいそと書類作成の準備を始める。これなら、明日には無事に婚約解消がなされるはずだ。どこか清々しい思いでいると、アシル兄様が心配そうに頭を撫でてきた。
「浮気の現場を見たなんて、辛かったね」
「まあ、多少は。でも、可愛い彼女くらいいるだろうなあと」
「何か言われたりは?」
向こうは私のことを認識していたわけではないからな、と考える。悪口らしい悪口と言えば「硬そう」くらいか。ただ、アシル兄様も例によって過保護なので、面倒なことになりそうだと口をつぐむ。先ほど、ジェイに言ったときも「シエナ嬢は硬くないと思います!!」と叫ばれてしまった。
まあ、言い得て妙だと思ったのだ。昔から王宮騎士団に入り浸って自身も剣の訓練を受けていたし、治療に興味を持つようになってからは薬や包帯などを扱うせいでガサガサの手になってしまっているから。
「特には。まあ、浮気をしていることが結婚前に分かってよかったです」
「そっか、無事に婚約が解消されるといいね。もしもシエナが行き遅れたら僕が貰ってあげるから安心してね」
アシル兄様の冗談にはは、と乾いた笑みを浮かべた。そこまで兄様に責任を負ってもらう必要は無いと思うので、ぜひアシル兄様には素敵で柔らかそうな女性と幸せになっていただきたい。
そう悠長に構えていた翌日。まさか、婚約の継続を打診されるとは思ってもみなかった。
グレズリー家から届いたのは婚約解消は一方的で受け入れられないという書簡と、おそらくイヴァンが独断で付け加えてきた手紙だった。要約すると、浮気現場は私の勘違いであり、仮に浮気だとしても私が見ただけで証拠はない、とのことだった。
「はあ、本当に底意地の悪い。朝から気分が台無しだね」
アシル兄様は手紙を握りつぶしてにこやかに笑っている。イヴァンからの手紙には、『シエナは王都のパーティーに不慣れだから男女が会話を楽しんでいるだけで浮気だと勘違いしてしまったんだよね』だとか『そもそもパーティーに参加するなら婚約者に事前に声をかけておくのがマナーではないかな』とか、私を非難する言葉まで綴られていた。完全に煽りとしか思えない。
「これはどう考えても馬鹿にされてますね……」
私が深い深いため息を吐くと、お父様が「だよなあ」と私の倍以上大きなため息をついた。
「とにかく私は一度グレズリー伯爵と話してくるよ」
お父様は少し苛立った足取りで部屋を出ていった。温厚なお父様が怒っているなんて、珍しい。お父様の執務室にアシル兄様と2人きりになる。アシル兄様も大層怒っているのだろう、と横目でうかがうと、なぜか兄様は考え込むような仕草をしている。
不思議に思って眺めていると、突如顔を跳ね上げて私を見た。
「シエナ、僕と付き合おうか」