4.異変
辺境の町ライオネル近郊の森林。
「あのおっさん、テキトー過ぎ。全然、帰って来ねぇじゃん!」
今日も今日とて、薬草採取に励むガラの姿があった。かれこれライオネルに来て二週間。その生活に変化の兆しはなかった。
「全く、こんな辺境で何の依頼をこなしてるんだか」
思わず顔も知らぬ中堅冒険者様への愚痴が吐いて出るのも仕方なきこと。
ガラの機嫌はすこぶる悪いが、周囲の光景はなんとも平和なものだ。
森林の浅いところは、木々の間も大きく空いて快晴な青空を仰ぐことができる。降り注ぐ陽光は、森林に溢れる生命を祝福するかのように暖かに輝いている。
町の狩人と木樵たちに適切に管理され、危険の取り除かれたそこには二、三人で固まった子どもたちが、ガラと同じく薬草をせっせと採取していた。
さて、退屈ながらも尊い日常の時が過ぎ去り、世界を照らす光明の根源が中天に座した頃。
各々が持ち寄った昼食を摂っていた、正にその時。
「キャアアア!?」
甲高い悲鳴が響き渡った。
「何だ?」
いち早く周囲を窺ったのは、ガラだ。此処にいる者では一番の年長であるし、冒険者を志した日より村の狩人たちに着いて回ったこともある。荒事の気配に対する経験は少なからずあった。
「お前ら!町に走れ!早く!」
森奥よりの悲鳴の主が現れることはなく、状況が動かないために、ガラの次なる判断は子どもたちの安全の確保だった。
聞き慣れぬ悲鳴に一様に呆然としていた子どもたちが、その指示を受け我に帰る。浅いところとはいえ、森林に行くことを良しとされた子どもたちだ。その判断能力は的確で、己の安全を確保するために、皆が町に走った。
「一先ずは良し」
ガラはその様子を見て確認の声を上げる。その直後のこと。
「助けて!」
助けを求める声が森奥より聞こえてきた。
「何処だ!声を上げ続けろ!」
森の中は天然の迷路である。幼き頃に迷子となったこともあるガラは、直情的に森の中に突っ走ることをしなかった。
「こっちだよ!助けてよ!」
ガラの叫びが聞こえた様子で、声は必死に助けを求める。
「出口はこっちだ!こっちに逃げろ!」
ガラは声の聞こえた方を向きながら、逃走を促す。
「助けて!」
しかし、声の主はいよいよ追い詰められているらしい。近づいている様子はなく、それどころか遠ざかっているようにも聞こえる。
「チッ!」
舌打ち一つ。ガラは断続的に聞こえる声の元へと駆け出した。
「諦めるな!今、向かってる!」
檄の言葉を掛けながら、背負う大盾に意識を向ける。
果たして、ガラは声の主の元に辿り着くことに成功した。
「ゴブリン!」
ただし、そこにいたのは声の主だった子どもだけではない。
最弱の代名詞たる醜悪な魔獣の姿もあった。
ゴブリンとは、子ども並みの背丈で緑色の体色をした小鬼の魔獣だ。性格は、臆病で残忍で狡猾だ。強さはそれほどでもないが、よく群れる。そのくせ、仲間意識など皆無で自分が生き残るためなら同族を肉盾にすることも食事にすることも厭わない悪徳を煮詰めたかのような習性を持つ。
それが全部で三匹。既に子どもを囲っていた。
ガラは渾身の踏み込みと共に、背負う大盾に手を掛ける。
勢いのままに振りかぶり、ゴブリンの脳天に叩きつけた。
「せぁ!」
ギャッ、と短い悲鳴を上げて倒れるゴブリン。
その結果に目もくれず、ガラは子どもの元に駆け込んだ。
残る二匹を同時に視界に入れる。
しかし、仲間の死など頓着しない彼らは悪知恵だけは一丁前に回るのだ。
ガラの前後になるように陣形を変えた。
「立つんだ。俺も後ろは見えん」
「う、うん」
幸いだったのは、子どもがそこまでパニックを起こしていないことだ。死の危険が一周回って冷静な思考を子どもに与えているらしい。
ゴブリンどもとて、子どもを戦力に数えているわけではないが、警戒されればそれだけでやり難い。
事態は膠着し、隙を窺うためにゆっくりとその場にいる全員が回り始める。
その周回が半ばになった時、ガラの正面にいるゴブリンの足元に最初に斃したゴブリンがあった。
「ギギ」
どこか愉悦に満ちた笑い声のような鳴き方。
正面のゴブリンは、あろうことか足元のゴブリンに喰らいついた。
「ギィ!?」
「いやぁ!来るぅ!」
それを見た背後のゴブリンが抗議の鳴き声を上げながら、真っ直ぐガラたちの方に駆け出した。
「こっちだ!」
ガラは子どもの手を取り、前後のゴブリンに対して垂直になるように駆け出した。
「ギィ!」「ギギィ!」
流石にゴブリンたちも確保できそうな獲物に逃げられては敵わない。鳴き声を上げて追いかける。
それを見て、ガラはすぐさま反転。子どもを後ろに庇いながらも好機と突進する。
「ギィ!?」「ギギィ!?」
迫る大盾は、小さな壁の如し。ゴブリンの思考が困惑に塗り潰される。
そのまま一匹が跳ね飛ばされた。
「最後!」
未だ立ち直れていないもう一匹のゴブリンに容赦無く、ガラは大盾を横薙ぎに振るった。
ギャッ、と最初の一匹と似たような悲鳴を上げて最後の一匹もあえなく斃れる。
それを見届けて、ガラはすぐさま子どもの元に駆け寄った。
「まずは森を出るぞ」
「うん」
動く影がないのを確認して、安全確保のためにガラたちは森の外に向かった。