13.猟犬の森・結
魔犬の主の遠吠えは、強風に匹敵する衝撃波となって響き渡る。
心構えをした二人の冒険者は恐慌に陥ることこそなかったものの、その物理的現象によって動きを鈍らせる。
「これが、Cランク……」
ガラの呟きは、純粋な畏敬の念に染まっていた。
「それでも、勝つのは俺たちだ」
「はい!」
ハントの静かなる激励。ガラの返事とともに、統制された魔犬の群れが襲いくる。
「はぁ!」「せぁ!」
ハントの剣が敵を攻め立て、ガラの盾が味方を守り抜く。
それは現状でできる最高の戦闘のカタチ。
魔犬は数を減らし、着実に勝利へと歩みを進めている、筈だった。
「数が、減らない!?」
「チッ、厄介な!」
ガラの驚愕に、ハントの舌打ちが続く。
「モーザ・ドゥーグ、影に潜む魔犬が!」
モーザ・ドゥーグ、その名こそ辺境の町を騒がせるC級魔獣の正体。
幽影妖犬とも称される影に潜む魔犬。この魔獣をC級足らしめるチカラを端的に言うならば、認識阻害となる。
樹上で待ち伏せていたとき、気づくことができなかった原因。
この迷宮を彷徨うこととなった原因。
そして、今、ヘルハウンドの数が減らず、いつの間にかその姿を確認できないことの原因だ。
通常のモーザ・ドゥーグは、ここまでのチカラを持ち得ない。精々が自身の姿を隠す程度。迷宮や群れへとその効果を拡大できるのは、迷宮の莫大な魔力を操る迷宮主であればこその荒業だ。
「ガラ!さっきと同じことできるか!?」
「さっきと……?あぁ、なるほど。やってみます!」
「頼む」
そう言って、ハントはガラの背後に退がる。
このままでは戦いは長引く。だがそれは、ハントの望むところではなかった。既に受けた衰弱の呪毒が身体を蝕んでいる。時間制限が迫っていた。
彼の作戦は単純だ。
スゥゥゥ……
吸気の音が聞こえる。それは魔犬のモノではなく、ガラの発するモノだ。
「こっちだ!俺が!相手!だぁ!!」
魔力を纏う雄叫びは、軽い衝撃波を伴う。
梢を揺らし、木々のさざめく森の中。
全ての魔犬の敵意が、ガラに向く。
それは囮であり、ハントがガラを信頼した証でもある。
冒険者の役割の一つ。
魔獣たちの猛攻を一身に引き受けて、仲間がその実力を十全に発揮できるように立ち回る縁の下の力持ち。
ガラが、守手として認められたということだ。
ヘルハウンドたちが、ハントを無視しガラに襲い掛かる。
「はぁ!」
その全てを、ガラは漆黒の大盾で防ぎ切る。
牙を爪を、体当たりを、魔犬系統特有の巧みな連携を、ガラの力が上回る。
スゥゥゥ……
「俺は、ここだァア!!」
再度の咆哮。
烈しさの増す猛攻に、ガラの身が傷つき始める。
それでも、動かない。
「……ぁ、ぁぁああアアア!!!」
もはや言葉にならぬ三度目の咆哮。
疲労困憊の身体に鞭打って、喉が涸れることも厭わぬ渾身の魔咆。
遂に、彼の憎悪を刺激する。
ヌルリと、空間から染み出すように、幽影妖犬モーザ・ドゥーグが姿を現す。
「そこか!」
その瞬間、ハントは疾駆した。
ハントの剣に魔力が纏う。
この隙を的確に突かなければ、その性質も相まって慎重過ぎるこの魔獣は、また逃走を図るから。
「我が敵を斬れ!【魔刃】!」
詠唱することで明確化された願いを、魔力は正しく発現させる。
鋭い斬撃が、黒い魔獣の皮を裂き、肉を抉り、骨を断つ。
「ガァアア!?」
「しぶとい!?」
ハントの剣は、モーザ・ドゥーグの胴部ど真ん中に食い込んだ。
しかし、そこまでだった。
衰弱の呪毒によって弱った身体で、C級指定魔獣の骨さえも断ち切ったことは賞賛に値する実力だ。
それでも、魔獣は超常の生命体だ。そのタフネス、その回復力は、異常極まる。
その程度では、斃れない。
「もう一丁!」
ハントは、もう剣を振るうのに限界を感じていた。だからこそ、食い込んだままの剣を、押し込んだ。
「ォオオ!!」「ガァアア!!?!」
気合と苦悶の雄叫びは、もはや区別をつけることもできぬほど、混ざり合う。
剣に半ばしがみつくカタチで意地を通そうとするハント。
それを払い除けようと傷を広げながらも身動ぎを繰り返すモーザ・ドゥーグ。
その均衡は、両者ギリギリのところで、ハントが負けた。
「っ……!?」
魔獣の身動ぎに振り払われ、ハントの身が宙を舞う。
「グルル……」
手間取らせてくれたとばかりにそれを睨み付けるモーザ・ドゥーグ。
「ゥ?……ガァアア!?!!」
ハントを注視していたモーザ・ドゥーグの視界の端。
そこに映ったのは、盾を持ち突撃してくる黒髪の少年だった。
モーザ・ドゥーグの重傷は、ヘルハウンドたちの士気を下げてしまった。
ガラとヘルハウンドが、互いに抑え合っていたその均衡は崩れていた。
ハントの負けた瞬間、少年はヘルハウンドたちの囲いを突き破った。
目指すは、未だ食い込むハントの剣。
重傷と憎悪の視野狭窄に、朦朧とする思考、モーザ・ドゥーグが気づいた時には遅かった。
ガラの盾が、ハントの剣の柄を押し込んだ。
ズタズタに壊される内臓の感覚に、臆病な魔犬が悲鳴を上げる。
遂には、その巨体が横倒しにされる。
勢いに押されて、ガラの身体は魔獣の背中側に転がった。
すぐさま立ち上がり、魔獣を視界に入れる。
虚な瞳と目が合った。涙を流しているように見えた。
「これで、トドメだ!」
ガラはゆっくりと近づいて、介錯のようにトドメを刺した。