11.猟犬の森・承
領域型の迷宮の多くは、罠を有していない。勿論、その環境そのものが罠のようになっている場合もあるが、今回の迷宮にそのような特殊な点は、発生初期ということもあり、存在しないというのがハントの予想だ。
精々が森林であることに由来する足場の悪さや迷い易さ程度のこと。迷宮攻略の経験がなくとも、森歩きの経験があれば対処できる筈だった。
チリチリと、意識の片隅を焦がすような違和感がハントを苛んでいた。
冒険者は基本的に徒党を組む。それは単純に頭数を増やすためであったり、己に足りない技能を補うためであったり、ともかく迷宮からの生還率を向上させるための知恵だ。
そして、徒党を組めば、役割は専門化する。
その役割の一つに導手がある。仲間たちよりも先行して探索し、魔獣との遭遇や罠の発見に特に気を配る役割だ。その性質上、観察力に優れた者に適性があり、的確な状況判断で戦闘の指揮にも才覚を持つ場合が多い。
基本、単独で活動している万能なハントにも、その技能は備わっている。ただし、ハントの技能は物理的なモノに偏っている。
迷宮は魔力の集積地。魔法現象が発生するのに充分過ぎる条件の整った環境だ。
ハントは己を苛む違和感を、その魔法現象ではないかと睨んでいた。
「どうしました、ハントさん?」
立ち止まったハントに、ガラが声を掛ける。その様子からは、違和感を感じているようには見えない。
辺境の村の出身である少年が、魔法現象に触れる機会など皆無と言っていいだろう。一度も触れたことのない事象に感覚というのは、存外役に立たない。常日頃から接していたわけでもない環境の変化ならば尚更のことだ。そういうものだと受け入れてしまう。
つまり、ガラの様子が、ハントの違和感を思い過ごしとする材料にはならない。
「森に違和感がある。迷宮化したとはいえ、広さは変わらない筈だ。空間を変質させる例もあるが、それはいずれも古い迷宮でのこと。この迷宮には、当て嵌まらない」
ハントの説明は回りくどかったものの、言わんとしていることをガラは理解した。
「つまり、迷子ですか」
元も子もないガラの言葉に、ハントは片眉を上げた。
「いや、あのだな」
「分かっています。作為的なモノなんでしょう?これはもう釣るしかないのでは?」
「釣る?あぁ、なるほど。確かに、それもありか」
思わず弁明しようとするハントを抑えて、ガラが提案する。その提案に、ハントは納得を示した。
ただ、どのような隙を晒すべきか。
分断されるのはまずい。かと言って、狡猾な魔獣がそれ以外の誘いに乗ってくるのか。弱った振り、気を抜いた振りのような下手な演技は見破られる可能性の方が高い。
「よし、稽古つけてやるよ」
「え?」
ハントの結論は、仲間割れだった。正確に表現するなら、そのように見せ掛けること、あるいは、戦闘というものがどうしても相手に意識を集中させるものであるために、その隙に嘘がなくなるという考えだ。
「んじゃ、構えな」
「いや、ちょっ!?」
抜剣するハントに、もたつきながらも大盾を構えるガラ。
唐突な実戦稽古が始まった。
「そらよっと」
ハントの軽い掛け声とともに振り下ろされる剣撃。
「せあ!」
一方で気合の一声とともに大盾で受けにゆくガラ。
剣と盾のぶつかり合いは、剣に威力が乗り切る前に訪れた。
「ぐっ!?」
しかし、怯んだのはガラだった。
経験の差。この世界でそれは如実に表れる。
その細身からはイメージしづらい膂力をハントは有している。
「がら空きだぜ?」
弾かれた衝撃を利用した流れるようなハントの剣捌きが、ガラを薙ぎ払おうと迫る。
先の模擬戦の焼き直しのような一幕。
ガラは片手を盾から離し、籠手にて防御する。
「はあ!」
防ぐのとほぼ同時、ガラは片腕で大盾を振り下ろす。
「おっと」
これには流石のハントも後退せずにはいられない。
「おりゃあ!」
と間髪入れずのガラの突進。
迫る壁に対するハントの選択は、跳躍。
「ほっと」
大盾の頂点に足を掛け、そのままガラを飛び越える。
「なっ!?」
驚愕しながらも、背後を取られたガラは一先ずそのまま走り抜け距離を空けた。
それはここが迷宮でなければ、良き一手であっただろう。
ザッと、僅かな葉音とともに飛び出してくる数多の影。
影たちの狙いは、ガラだ。未だ空中に身を置くハントは放置された。
「ガラ!」
ハントの呼び声も遠く、ガラの見る景色がゆっくりとしたものになる。
その僅かな間に下したガラの選択は、更なる突進。
ハントと距離が空くことを見れば悪手。
されど、生き残るならば及第点。
「キャウン!?」
悲鳴を上げ、ガラの正面にいた個体が弾き飛ばされる。
ガラはそのまま走り抜け、一本の樹木を背にして振り向いた。