9.冒険開始
ストンっと、ガラは尻餅をついた。止まっていた時間が動き出したかのように、息は乱れ汗が噴き出る。
いかに自分が無力かを自覚させられる濃密な試合だった。
守りの技術を磨くことは、攻めの技術よりも至難である。
まず、相手が要る。打ち込んでくれる相手がいない限り、どれほど鍛えようと意味は無い。衝撃と痛みへの慣れ、保つべき視野の広さ、反射的に実行され得るほどの受け身の習熟、そのどれもが相手なくして成長しない。
少なくとも型によって反射行動を習熟できる攻めの技術との差は大きい。
故にこそ、古き時代において騎士はエリート足り得た。厳しい規律の下、集団で鍛錬するために守りの技術を磨くにも苦労がなかったからだ。
ガラは、盾使いでありながら、守りの技術に乏しい。
辺境の村カーボネックにいる戦士は、その実態として狩人でしかない。生活の糧を得るため、仕事に精を出す彼らがガラの相手をしてくれる機会は滅多に無かった。
実戦に連れて行ってくれることはあっても、鍛錬に付き合うほどの暇はなかったのだ。
辺境の村出身の孤児でしかないガラの今の限界であった。
ガラの頭に浮かぶのは、不合格の三文字だった。
「どうでしたか、旦那?」
ガラの様子を窺いながらも、ハントは職員の男に成否を尋ねた。それがわからねば、慰めるべきかの判断がつかないからだ。
眉間に皺を寄せた職員の男が、呻き声にも聞こえる声で答える。
「最後の攻防。坊主は片腕を犠牲にした。これを失態と見ることは簡単だ。防具のない片腕で剣撃を受ければ、それを失うことは必定。その後の戦闘では圧倒的不利を背負うことになる。……だが、相手は格上、勝つにしろ逃げるにしろ、負けないためには多少の犠牲はやむを得ない状況。ただのガキならば、そもそも片腕さえ間に合うことはなかっただろう」
「で、結果は?」
「……むぅ、最初の悪手からの立て直しも及第点と言って良かろう。悪手は悪手だがな」
「それで?」
職員の男が何かを待つかのようにガラの戦いぶりを批評する。しかし、ハントは結果を急かすのみ。ガラは呼吸を整え、真っ直ぐとこちらを凝視するのみ。
「合格だ。ただし!俺の防具を着けていけ!」
観念した男の宣言に、ガラが大の字に寝転がる。
「良かったじゃねえか!だが、安堵する場面じゃねぇぜ。これからだ、そうだろう?」
「あぁ、そうだ!」
ハントの言葉に、ガラは勢いよく跳ね起きた。
……
翌朝。模擬戦の疲れをとり、万全の体調を整えた。
「おっさん、これ臭いぞ?」
「文句言うんじゃねぇ。生死が掛かってんだ、礼くらい言ったらどうだ?」
「おう、ありがとさん」
「ちっ、しっかりやってこい!」
街門での見送りの場面。いつもの調子で遣り取りをするガラと職員の男。ガラの身は、しっかりと手入れされた防具を纏っている。
鉢金、胸甲、手甲、脚甲と要所を硬い金属で守りながらも身軽さを両立させる黒い革鎧。職員の男が現役時代に使用していた防具だ。今のガラでは金銭で手に入れることは不可能な程度には価値のある代物だ。
「ははは!旦那は心配症だな。ちょっと、迷宮に散歩に行くだけだぞ」
「五月蝿ぇぞ、ハント!テメェの不始末だ!真面目にやれ!」
「はいはい、わかってますよ。仕事はちゃんとやりますって」
ハントの横槍に、職員の男が怒声で応える。これもまた、いつもの遣り取りである。
緊張は勿論ある。だが、やると決めたからには硬直しているわけにもいくまい。
「よし行くか、新人?」
「あぁ、行こう!」
ハントの問い掛けにガラが高らかに答える。
ガラの最初の冒険が始まった。