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都落 (前)

 大鷦は芽鳥内親王への入内要請を、異母弟の早房(はやぶさ)親王に託した。異母弟といっても、大鷦と早房の年齢は親子くらいの差があった。

 祭祀を司る神祇伯の地位にあった早房は、斎院女官の芽鳥とは懇意だった。ありていに言えば、男女の関係にあった。使命を与えられた早房は、忸怩たる思いだった。いずれ芽鳥とのことを大鷦に認めてもらうつもりだったのに、先を越されては、いまさら持ち出せる話ではなかった。

 日取りが悪いの方違えが必要だのと理由をつけて引きのばしてみたが、大鷦の気は変わらず、早房は足どりも重く芽鳥を訪ねた。

 早房の訪問の目的を知った芽鳥は激怒した。


「八花姉さんを秋月皇子に取られたからといって、その代わりにこの私に入内を要求するとは、なんと恥知らずな。私はそのような男の許には、絶対に行きません。兄の遺言など無効です」


 早房は内心でほっとすると同時に、困ったことになったと思った。

 芽鳥を説得できなければ、大鷦からどんな仕打ちをされるかわかったものではない。あるいは、自分と芽鳥とのことを知ったうえで、あえて使者を命じて試しているのかもしれない。いずれにせよ、この身が危ういことには変わりない。


「そうは言っても、貴女も独身であれば、断る理由がない」


 芽鳥は煮え切らない早房に苛立っていた。

 あなたがいつまでもはっきりさせないから、こんなことになっているのだ。姉さんも、さっさと好きな男と添えば良かったのに、誰に遠慮したのか。私は彼女のようにはならない。


「あのような老いぼれの許に行くくらいなら、私は貴方の妻になります。帝の異母弟なのだから、誰を憚ることがありましょうか」


 はっとしたように顔を上げ、その表情を喜色に染めた男に、芽鳥は手ごたえを感じた。


「もしあの男が私たちを罰するというのなら、葛城の後ろ盾を失った(すずめ)一羽など、(はやぶさ)が狩ってしまえば良いのです」


 芽鳥の言葉は、早房をその気にさせるのには十分だった。

 大鷦の権勢は、すでに落ち目だった。老いもその原因だったが、なにより岩乃皇后と葛城氏に見捨てられたことが致命的だった。

 そうだ、と早房は思った。大鷦の許可を得るのではなく、彼に認めさせれば良いのだ、と。


 だが、早房と芽鳥の目論見は、完全に外れた。

 芽鳥の言葉を聞き知った大鷦は、即日、謀反の罪あり、として早房と芽鳥の捕縛を命じた。態勢を整える暇もなく、早房と芽鳥は身一つで都を逃げだすしかなかった。


 *


「お話があります。すこし、よろしいか?」


 政務を終えたばかりの大鷦を、八花が呼び止めた。彼女の下腹は、すでにはち切れそうなほどに膨らんでいた。

 大鷦は恨めし気にそれを見やる。

 これが俺の子であるとはっきりわかっておれば、どれほど良かったであろうに。俺の子か、あるいは秋月が孕ませた子か。月数から考えれば、どちらの子である可能性もある。いまいましいことだ、という思いが、大鷦の口調を険しくした。


「なんだ」


 八花はしかし、大鷦の機嫌など意にも介さないように言い返してきた。


「芽鳥と早房殿を討伐するなど、どういうおつもりか」


 やはりそれか、と大鷦は顔をしかめる。

 妻でありながら他の男に身を任せたこの姉と、望まれたにもかかわらず他の男を選んだ妹。この姉妹は、つくづくこの俺を裏切る。これが貴方の遺言を偽った俺への、意趣返しというわけか。なあ、宇治雪東宮よ……。

 大鷦は、こみ上げてきた怒りを飲みこむと、平静を装って返答した。


「駆け落ちだけであればまだしも、謀反を唆す発言がある以上、見逃すわけにはゆかぬ」

「怒りに任せた言葉ひとつで、義弟と義妹を殺すと言われるのか。なんと器量の小さな帝かと、世間の嘲りを受けますぞ……」


 八花の言葉に、大鷦は思わず苦笑を漏らした。

 そなたがそれを言うか。あの宇治雪東宮の妹のそなたが。


「……二人の命は助け、流罪になさるのがよろしいのでは?」


 八花の提案に、大鷦はならぬと言い捨てて背を向けた。



 大鷦への助命嘆願がやすやすと受け入れられるとは、八花も考えていなかった。だが、妹の命がかかっているのだから、一度や二度断られたくらいで引き下がるわけにはいかない。

 遠ざかりつつある背中に呼びかけようとした矢先に、そうだ、という呟きとともに大鷦が振り向いた。


「こたびの追討、秋月にも命じよう。あやつの働きしだいでは、芽鳥の命を救ってやってもよいぞ」


 兵部省にいる秋月に追討の勅命が下るのは、おかしなことではない。むしろ同格の皇族でなければ、遂行しにくいだろう。だが、あえてそれを持ち出した大鷦の狙いを、八花は読み切れなかった。


「どうすればよい、と?」

「秋月に芽鳥を説得させ、我が妃になることを認めさせるのだ。首尾よく芽鳥を連れ帰れば、早房がどこに逃亡しようとかまわぬ。これは芽鳥の身内である秋月にしかできぬことだ」


 八花は空いた口が塞がらなかった。口にした者の人間性を疑いたくなる、おぞましい言葉だった。こみあげてきた嫌悪が、そのまま言葉になって八花の口から出た。


「そのようなことを、あの人にさせられるとお思いか。芽鳥に言えるとお思いか。それならば……」


 気が昂って、それ以上はもう言葉にならなかった。

 怒りに身体を震わせて口をつぐんだ八花に、大鷦は湿度も温度も感じさせない声音で答えた。


「それならば、どうする? 二人にこのまま死ねと言うのか。それでは、俺の命令となにも違わぬではないか。帝への謀反は未遂でも死罪。これは律令に定められたことだ。兵部卿の瑞葉などは、地の果てまででも追って処刑すると息巻いておるのだ。芽鳥に謀反の意志がなかったと皆を納得させるには、我が妃となるしか方法はない。兵部省や近衛府からの追討の兵たちが二名を捉える前であれば、まだいかようにもできるのだ」


 八花は、怒りが一気に引いていくのを感じた。

 帝の大鷦ですら、いや帝という立場であればこそ、思い通りにならないこともある。一見卑劣な提案だが、冷静に考えれば最大の譲歩であり、ぎりぎりの妥協点なのだ。

 だが、正規の追討軍に先んじて事を成すためには、秋月は独断専行するしかない。ひとつ間違えば、彼の身にも危険が及ぶだろう。得られるものと、冒す危険。それを秤にかければ、どちらに傾くのか。それは自ら危険に身をさらすことになる秋月に、判断してもらうしかない。

 そう覚悟した八花は、密かに秋月宛の書状をしたためた。

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