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承継 (後)

 岩乃の追及に、瑞葉はすぐに答えることができなかった。


 ……あのとき。

 伊穂にあのまま木花開耶を害させておいた方が、災いの種を除くという意味でも都合がよかったはずなのだ。だが、気がつけば伊穂を突き飛ばしていた。伊穂の仕打ちに辟易していたとはいえ、兵部卿として、弟として、守るべきは兄帝だったはずだ。

 なのに私は、帝と木花開耶を天秤にかけ、そして……。


 そこで瑞葉は、はっとした。

 選んだ、というのか、この私が。帝ではなく、木花開耶を。

 瑞葉は頭を振って自分への疑惑を払いのけ、「事故でした」と答えた。


「帝が取り乱して、剣を振るって暴れました。危険な状態だったので、私はそれを止めようとしたのです。それがまさか、このようなことになるとは」


 岩乃はそれ以上の追求はせずに、変わり果てた息子の手を取って泣き崩れた。おそらく、彼女も一部始終は見ていたのだろう。

 瑞葉は腰を上げ、義母と義兄を見下ろし、それから木花開耶に目をやった。木花開耶は、撫子の腕の中で怯えたような表情のままだった。


 そうだ、と瑞葉は心の中で自分に言い聞かせた。やはり事故だったのだ、あれは。私は、あの娘を守ったのではなく、帝を鎮めようとしただけなのだ。

 瑞葉は階に足をかけると、一段一段、踏みしめるように登った。


 起きてしまったことは、とりかえしがつかない。しかし、今しなければならないことは後悔ではなく、皇族としての責務を果たすことだ。


 階を登りきり、振り向いた瑞葉の顔には、すでに動揺のかけらも見てとれなかった。

 一同を見まわしたあと、瑞葉は「皆、聞け」と静かな口調で話し始めた。


「亡くなられたとはいえ、帝の御前であるぞ。そなたら、誰の許しがあって叩頭せぬのか」


 瑞葉の長身巨躯が、さらにひとまわり大きくなったように見えた。

 兵たちは、お互いに顔を見合わせた。そして誰からともなく武器を地面に置き、その場に蹲った。

 頷いた瑞葉が、言葉を続ける。


「帝は不慮の事故で御隠れになった。このうえは、無用な混乱を避けるため、殯は省略して、ただちに帝位の継承を行う。皇嗣が定まっておらぬため、大鷦帝の皇子で唯一残った私が帝位を継承し……」


 自ら即位を宣言した瑞葉を、「待ちなさい」とくぐもった岩乃の声が制止した。


「それはなりませんよ、瑞葉」

「なぜですか」


 問いかけた瑞葉に、岩乃は涙を拭いて向かい合った。


「どのような事情があろうと、帝をその手にかけた者の即位を認めては、今後も弑逆による簒奪を許すことになりかねません」


 瑞葉はいかにも心外そうに、顔を歪めた。


「仰ることはもっともです。が、ほかならぬ貴女様がそれを口になされるのか。父帝がどのようにして帝になられたのか、ご存じないはずは……」


 そこまで言ってから、瑞葉はなにかに気づいたように舌打ちをした。

 秋月は、その失言を聞き逃さなかった。


「そうだ。簒奪者の息子であるあなたには、どのみち帝位に就く資格などないのだ」


 意外な人物から詰られた瑞葉は、しかし即座に「黙れ」と一喝した。


「臣下の分際で皇族たる我らを侮辱するなど、不敬の極みであろう……」


 そこで口ごもった瑞葉は、「なぜそれを」とつぶやくように続けた。

 岩乃が瑞葉の言葉を引き取るように、秋月に話しかけた。


「あなたの正体には、察しがついていますよ。もう隠さずとも良いでしょう? その覆面をお取りなさい」


 秋月は、言われるままに、裏頭の布を解いた。

 岩乃はため息とともに肩を落とし、瑞葉はその顔に苦笑を浮かべた。


「秋月……。そなた、生きておったのか。いまさら問うまでもないが、これは宇治雪殿と八花内親王殿の敵討ち、ということだな」

「いかにも。そして、不当に奪われたものを取り返すためだ。木花開耶も、そして帝位も」


 秋月の答えに、岩乃は項垂れた。


「正しき血統のあなたに、取り返す、と言われては、我らに返す言葉はありません」


 それは、すべてを認めたうえでの、岩乃の潔さだった。

 しかし、瑞葉は「否」と、張りのある声で拒絶した。


「血筋であるから当然に帝位に就くなど、私は絶対に認めぬ。覚悟も見識もない者が政を取り仕切れば、国も民も不幸になるばかりだ。父帝の行為が簒奪であったとしても、善政を敷いて多くの民を救った。それは、その罪を償って余りある正義だ。権力はどう得たかではなく、どう使ったかで正当化されるべきなのだ」


 瑞葉の主張には相変わらず隙がなかったが、秋月は「違う」と首を振った。


「あなたの言葉を是とすれば、これからも帝位をめぐる争いは繰り返され、犠牲になる者は後を絶たないだろう。無益な争いを避けるには、血統による継承を絶対とするしかない。そもそもこの国の帝位は、初代神護命からの血統によって受け継がれてきたのだ。その原則をないがしろにし、資格がない者が帝位を求めたために、多くの人が苦しみ、そして命を落としたのだ」


 秋月の反論を、瑞葉は「笑止」と切り捨てた。


「被害者を装うのか、今さら。宇治雪殿は自ら帝位を拒みながら、奸計で長兄を殺し、そして我が父までも殺そうとしたと聞いている。血統による帝位継承でも、争いは起きて犠牲者は出る。しかも、その地位を得る資質のない者を為政者にしてしまうのならば、それは有害ですらあるのだ」


 そう語った瑞葉は、勝ち誇ったように秋月を睥睨した。

 しかし秋月は、瑞葉の言葉に含まれる矛盾に気づいていた。


「では、なぜ大鷦帝は、我らの血統を執拗に求めたのだ。いくら口先で正義を語ろうとも、善政という目くらましをしようとも、正統でないという負い目があったからではないのか。そしてそれは、あなたの言う正義や正当性では太刀打ちできない、絶対的な価値だからではないのか」


 秋月の詰問に、瑞葉の顔色が変わった。その脳裏に、いまわの際の大鷦の言葉がよみがえる。

『帝位継承に正統性を持たせるためには、白鳥王家の血筋と交わるしかないのだ』

 それは、わかっていたことだった。いかに目を背け、言いつくろってみても、その真相は変わらない。

 だが、と瑞葉は自らを鼓舞する。ここで引くことはできないのだ。


「そなたの言う通りだ。父帝の唯一の過ちは、自ら示した正義を貫かず、最後にそなたらの血統にすがったことだ。ゆえに、その妄執の源である白鳥王家の血筋は……」


 言いながら、瑞葉はそれが八つ当たりであることを自覚していた。だが、それでもこれだけは為さねばならない。

 瑞葉は階を降りると、秋月に剣を突きつけた。


「……この私が、ここで絶ち切る」


 対峙した秋月もまた、剣を構えた。


「ならば私は、あなたを倒すしかない」


 瑞葉は、ふっと嗤うと、どこか諦念すら感じさせる静かな言葉で宣言した。


「この戦いに勝ったものが、この国を統べる。それでよかろう」


 いざ、と瑞葉が声をかけ、おう、と秋月が応じた。


 白刃をひらめかせて、秋月と瑞葉は打ち合う。

 剣技において、二人の技量は互角だった。


 打ち合いで決着はつかず、やがて間合いが詰まって剣がしのぎを削った。鍔迫り合いになると、上背のあるぶん瑞葉に分があった。

 秋月は、全力で瑞葉の剣を押し返し、再び間合いをとった。


 長引かせれば、いずれ力負けする。次の一撃で決めるしかない、と秋月は心に決めた。だが、どう攻めるか……。


 迷う秋月を尻目に、先に動いたのは瑞葉だった。

 踏み込みながら、上段からの渾身の一撃を秋月に打ち込んだ。

 咄嗟に剣で受けた秋月の手首が悲鳴を上げた。腕が痺れ、剣を落とす。

 瑞葉の勝利は、確実だった。

 そのとき……。


「いやっ」


 不意に、少女の声が響いた。

 瑞葉も、そして秋月も、思わず声の方向を見やった。


 そこには、春を待つつぼみのごとく、木花開耶がいた。


「もう、やめ……て」


 懇願する娘の声に、瑞葉の剣が空中で彷徨った。

 その一瞬を、秋月は逃さなかった。瑞葉の懐に飛び込み、その勢いのまま両手で膝裏を刈り取った。

 瑞葉の巨体が仰向けに倒れ、動きが止まる。

 秋月は剣を拾うと、瑞葉の胸元に突きつけた。


 げほっと咳をして目を開いた瑞葉に、秋月は問いかけた。


「なぜ、ためらった?」


 瑞葉は剣の切っ先から秋月に視線を走らせ、それからゆっくりと木花開耶に目を向けた。そして、力なく頭を振った。


「わからぬ。……おそらく、天がそなたらを選んだのであろうよ。だが、血統などにすがれば、いつか滅びの道を行くことになろう。それまでは、この国をたのむ」


 やれ、と言って瑞葉は目を閉じた。

 岩乃が、そこまでです、と制した。


 秋月は、剣を収めた。

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