表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/23

承継 (中)

 首を振った瑞葉の口から、深いため息が漏れだした。


「御身の危急存亡と思えばこそ、こうして馳せ参じたというのに、痛くもない腹を探られ、そのように詰られるとは。この私の忠誠をそこまでお疑いとは、じつに嘆かわしいことです。もし私にそのつもりがあるのなら、今までに何度も好機はありましたぞ。そのすべてを見逃し、なぜ今になって謀反するなどとお考えになるのか、私には理解できません。が、見れば、かなり酒を過ごしておられる様子。それではまともな判断ができないのも、いたしかたありませぬか……」


 ゆっくりとした口調で、ひとことずつ言い聞かせるように話したあと、瑞葉は何かを確かめるように背後を一瞥した。そして、ふむ、と頷く。


「よろしい。皆、出合え」


 瑞葉の掛け声に応じて、その背後から数名の兵部省の兵が現れた。


 しまった、と秋月は後悔した。瑞葉に、まんまとしてやられた。

 寡兵ゆえの消極策と思わせる譲歩でこちらを油断させたのも、帝の的外れな疑心に必要以上の長口上で答えたのも、態勢を整える時間稼ぎだったのだ。

 にやりと不敵な笑みを浮かべた瑞葉は、住江に向かって「さて」と声をかけた。


「判断を誤られましたな、住江兄上。あのときにさっさと逃げておられれば、あるいは助かっていたやもしれませんのに。このうえは、自ら身を処して責任をお取りくだされ。そうすれば御身ひとつの咎として、他の者は罪に問わないと約束しましょう。我らとて、これ以上の無益な流血は望みませぬ」


 住江は、瑞葉の言葉を挑発だと受け止めたのだろう。ふん、と鼻息も荒く言い返した。


「その程度の加勢があったところで、実戦を知らぬ兵部省の兵など、ものの数ではない」

「では、どうあっても戦うと?」


 瑞葉の最後通牒に「言うまでもないわ」と剣を構えた住江の威勢は良かったが、秋月から見ればもはや強がりですらなかった。この戦力差では、明らかに無謀な挑戦だ。これでは伊穂や瑞葉を斃すどころか、こちらの命が危うい。

 どうするか、と秋月は考えを巡らせる。ひとつだけ、この窮地を脱して生き残る方法はある。だが、それはあくまでも、あの夜の瑞葉の言葉が、彼の真意であることが前提だ。それに賭けていいのだろうか……。

 秋月が探るように瑞葉を見るのと、瑞葉が秋月を見やったのは同時だった。瑞葉は、まるで秋月の心中を見透かしたように、「馬狩」と呼びかけた。


「聞いての通りだ。そなたの主は愚かにも自滅の道を選んだ。ここは、そなたの賢明さに期待することにしよう。あの夜のわが問いへの返答は、いかに」


 問われるまでもなく、秋月の心はすでに決まっていた。

「御意」と答えるや否や、秋月は住江の無防備な急所を剣で刺し貫いた。完全な不意打ちであった。住江は断末魔の叫びを上げながらその場に崩れ落ち、何度か痙攣したあと動かなくなった。

 棒立ちの吉備の兵を、兵部省の兵たちがすばやく取り囲んだ。


「それで良い。よくやったぞ、馬狩」


 瑞葉の言葉に「はっ」と答えて、秋月は剣を置いて膝を付いた。恭順の姿勢をとりながら、秋月は、まだだ、と自分に言い聞かせた。まだ終わったわけではない。伊穂が瑞葉に疑心を抱いているのなら、そこに付けこむのだ。

 秋月は、覆面をすこし引き下げると、その場にいる全員に聞こえるように、大きな声で告げた。


「瑞葉親王様、仰せのとおりにいたしました。このうえは、先日のお約束、かなえていただきとうございます」

「よかろう。なにを望む? 金か、それとも官位か?」


 瑞葉はいかにも満悦そうに応じたが、伊穂はあからさまに顔をゆがめた。それを秋月は見逃さなかった。

 秋月は首を横に振ると、木花開耶に目を向けた。


「そちらにおられる姫君を、いただきとうございます。……木花開耶さまを」


 秋月は、その名前をわざとゆっくり告げた。

 無表情だった木花開耶が破顔し、伊穂は驚愕に目を見開き、瑞葉は周りにも聞こえるほどの舌打ちをした。

 先に声を上げたのは瑞葉だった。


「そなた……いったい何者だ、その覆面を取れ」


 いや待て、と伊穂は瑞葉の追及を遮った。


「木花開耶だと? やはりその女嬬は、八花内親王の娘なのか。死んだという報告だったではないか。瑞葉、これはどういうことなのだ」

「そんなことは後回しです。それより……」


 答える瑞葉の口調には、苛立ちが感じられた。しかし、伊穂は追及をやめなかった。


「後回しになどできるものか。答えよ、瑞葉。その女嬬は木花開耶なのだな?」

「そうです。だが、今はそんなことより、その男の正体を暴く方が先だ。兄上は気にならないのか」


 伊穂はふらつく足で後ずさりすると、怒りのこもった目つきで瑞葉をにらんだ。


「瑞葉、そなたやはり、余を裏切っていたのだな。いま、はっきりとわかったぞ。そなた、過日の誘拐未遂を逆手にとって木花開耶を隠匿し、なおかつ住江と通じて余を殺させ、さらには住江も始末してから、木花開耶を娶って帝位につこうとの狙いであろう」


 瑞葉は呆れを通り越して、憐れむように伊穂を見た。


「すべて兄上の、そしてこの国のために為したことです。木花開耶はいずれ斎宮に遣わし、終身を独身で過ごさせるつもりだった。この娘は――白鳥王家は、必ずやこの国に災いをもたらす。すでにこの有様ではありませんか。なにゆえそれを、わかってくださらぬのか」


 切々と訴える瑞葉の言葉を、しかし伊穂は聞く耳を持たぬとばかりに否定した。


「なにを言うか。そなたは、そこにおる住江の手の者――馬狩と言ったか、そやつと密かに通じておったではないか。しかも、賊どもを逃がすだの官位を与えるだのと、すでに帝位についたかのごとき僭越な振る舞い。そなたもこやつらと共謀して、余を殺すつもりだったとしか思えぬわ」


 そう言い切って、伊穂は兵部省の兵士に顔を向けた。


「その方らに命じる。こやつら全員、謀反のかどで死罪とする。いますぐに処刑せよ」


 勅命であった。

 しかし、言いがかりにも等しい理由で自分たちの主を殺せと言われても、唯々諾々と従う者はいなかった。

 兵たちの逡巡は、伊穂を逆上させた。


「おのれ、だれもかれも余をないがしろにしおって」


 そう叫ぶと、伊穂は兵から剣を奪って瑞葉に斬りかかった。しかし、酩酊した伊穂が振るう剣は、瑞葉にやすやすと躱された。

 伊穂は再び剣を振り上げると、ふらつく足で瑞葉に突進する。

 苦笑しながら伊穂をいなした瑞葉の表情が、しかし一瞬で凍り付いた。たたらを踏んだ伊穂が振り降ろした剣の先には、怯えて立ちすくむ木花開耶がいた。

 瑞葉は一瞬ためらったあと、伊穂を思い切り突き飛ばした。

 ためがあったことで、瑞葉の腕力は威力を増していた。おおきく体勢を崩した伊穂は、足を欄干にとられて、もんどり打って庭に転落した。

 ごつ、という鈍い音がしたあと、伊穂は白砂に仰向けに倒れた。その首はほぼ真横に折れ曲がり、目を剥いて涎を垂らしたたまま、ぴくりとも動かなくなった。


 秋月が、次いで瑞葉が駆けつけ、伊穂の息と脈を診た。

 二人が同時に首を横に振る。


 その場の時が、止まったようだった。何か起きたのか皆がわかっていながら、何をすればいいのか誰もわからなかった。


 水をうったような静寂を、「伊穂っ」という女性の叫び声が破った。

 駆けつけたのは、岩乃皇太后だった。

 岩乃は伊穂の遺体に取りすがると、何度もその身体を揺すって名前を呼び続けた。しかし、彼女の呼びかけに息子が応じることは、もちろんなかった。


「どういうことですか、これはっ」


 涙まじりの声が、瑞葉を詰った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ