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落鳥 (後)

 大鷦は、そこで我に返った。

 枕元には、いつの間に招集されたのか、三人の息子たちが座っていた。近侍の計らいだとすれば、もう命が危ういと見られたということだろう。

 事実、起き上がるどころか、身体のどこにも力が入らなかった。

 どうやらここまでのようだと悟った大鷦は、「よいか」と喘ぐような声で告げた。


「これから話すことは、わが遺言として聞け」


 ははっと畏まった息子たちに、大鷦は自らの帝位継承の秘密を語り、それから言い聞かせるように言葉を続けた。


「わが父の誉田帝はこの国を統べるべき者に、白鳥王家の妃の子と、皇后の子を比べて、前者を選んだ。言うまでもなく、初代神護命から受け継がれた血筋を残すためだ。我が血統をいくら遡っても初代神護命には行きつかぬことは、皇族だけでなく高位の貴族たちも知っている。それでも、この俺は宇治雪東宮から帝位を託されたということになっているから、臣下たちも大人しく従っているが、これからはそうもいかぬ。伊穂、そなたの帝位継承に正統性を持たせるためには、白鳥王家の血筋と交わるしかないのだ。ゆえに、そなたは即位の前に、まずそれをなさねばならぬ」


 指名を受けた伊穂東宮は、父帝の言葉が妄言にしか聞こえなかった。


「しかし、八花内親王も芽鳥内親王も、すでに亡くなっている。どうすることもできぬではないですか」


 伊穂の問いに、意外な人物が反応した。瑞葉親王だった。


木花開耶(このはなさくや)、ですか」


 その名に、大鷦はかすかに頷き、伊穂は首を傾げ、住江は顔をゆがめた。

 木花開耶内親王は、瑞葉の末の娘ということになっているが、十歳になっても言葉を話さず奇矯な振る舞いをするというので、人前に出たことのない皇女だった。

 伊穂は、父の言葉で、その事情を理解した。


「八花内親王のお子でしたか。一緒に亡くなったと聞き及んでいましたが……」


 うむ、と大鷦は答えた。


「あのような生まれであるゆえ、世には出さぬつもりであったが、そうもいかなくなった。なんとしても彼女との間に子をなせ。そして、帝位は我が血筋と白鳥王家の血筋を合わせ持つものが継承せよ」


 そう言い残したとき、大鷦は長年にわたって背負い続けてきた重荷を、やっと降ろせたような気がした。


「よいか、そなたら、帝位を巡って……」


 無用の争いはするな、と言いかけた言葉を、大鷦は声に出すことができなかった。

 喉がふさがり、息が詰まった。

 息を吸うことも吐くこともできず、そのまま意識が闇に落ちた。


 それが、聖帝とまで呼ばれた、希代の帝の最期だった。




 大鷦死去の報は、撫子を通じて秋月にも、もたらされた。


 あっけないものだな、と秋月は思った。

 しかし、それで積年の恨みが晴れたわけでもなければ、ましてや失われたものが戻ってきたわけでもなかった。

 むしろ、自身の手であの男の息の根を止められなかったことに、忸怩たる思いが残った。息長での安楽な日々に溺れて、なすべきことをなさなかった。そんな後悔だけがあった。


 ところで、と前置きをして、撫子は声をひそめた。


「八花様がお産みになった姫君が、生きておられました」


 秋月は、撫子の言葉の意味を理解するのに、時間がかかった。


「娘が……生きていた?」


 そのまま聞き返した秋月に、撫子ははっきりと頷いた。


「いまは瑞葉親王の皇女、木花開耶内親王としてお過ごしです。先帝の思し召しで伊穂東宮の后に迎えられる予定だということです。白鳥王家と交わり、その血を受け継ぐ者が帝位を継承せよと遺言なされたようです」


 秋月の胸中に、大鷦に対する怒りとも軽蔑ともつかない感情が湧きおこった。

 八花の娘は死んだ。そういう欺瞞情報を流してまで秘匿した理由が、それだったというのか。あの男は、白鳥王家の血筋に対する欲望を、息子の代にまで持ち越させるのか。そこまでしなければ、あの者たちは正統性を得ることができないのか。そんな者が、この国を統べていくというのか。

 思いの連鎖は、秋月の心底にくすぶっていた熾火に燃料を与え、一気に燃え上がらせた。

 このままあの男の思い通りに、わが娘をやすやすと伊穂の后になどさせるものか。我らの血筋を、これ以上汚させるものか。なんとしても、娘をこの手に取り戻すのだ。

 それは、曖昧だった自らの望むことに明瞭な形を与え、進むべき道をはっきりと示させた。


 その夜、秋月は改めて茅渟に相談を持ち掛けた。


「義父殿のお力で、私に適当な官職をいただけませぬか。昇殿できて、いささかの手勢を連れていけるくらいがいいのですが」

「その程度のことならできますが……。最終的な目的を、教えていただけますかな」


 秋月の目論見は、ひとつ間違えれば、大恩のある茅渟を、すでに家族となった息長一族を危険に晒すものだ。それと知ってもらったうえで、協力を頼むのが当然のことだった。

 秋月は、自分が何をしたいのかを、あらいざらい打ち明けた。

 茅渟は、腕を組んでしばらく沈思していたが、やがてふっと息を吐いた。


「やはり、それを目指されるか。貴方がこのような田舎に埋もれたままで終わるはずはなかろう、と思ってはいましたが……。では、見返りとしてひとつ約束していただけますかな」

「この私ができることであれば」

「これは、貴方にしかできないことです。ことが成った暁には、貴方の子孫にも、必ず息長から正妻を迎えていただきたい」


 茅渟が提示した条件は、当然といえば当然のものだった。


「約束しましょう」


 秋月の答えに満足したのか、今宵は飲み明かしましょう、と相好を崩した茅渟は、杯に酒を満たした。

 酒の面に、上弦の三日月が映っていた。

 秋月は、それを一気に飲み干した。


 茅渟の動きは早かった。

 それからひと月を待たずに、秋月は正五位近衛府少将の職を得た。


 出仕した内裏では、十年も前に死亡したとされた皇子のことは、皆の記憶からすっかり失われていた。もともと人前に出ることも少なかった皇子だったことも幸いして、秋津宿祢(あきつすくね)と名乗る茅渟皇子の縁者の正体を見破る者は、誰もいなかった。

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