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都落 (後)

 早房と芽鳥を追討せよという勅命は、兵部卿である瑞葉親王によって秋月に下された。

 詔である、と瑞葉は威儀を正した。

 平伏した秋月に、瑞葉の言葉が降りかかった。


「早房、芽鳥の両名は近江に逃げた。一軍をもってこれを追討せよ」


 は、と応じてから、秋月は聞き返した。


「父帝はお二方を殺せと仰ったのですか。捕らえるのではなく?」


 瑞葉はさらりと返答した。


「帝への謀反となれば、早房殿も芽鳥殿も死罪は免れぬ」

「腹違いとはいえ、父帝にとっては弟君と妹君ではないですか」


 言い方を変えた秋月の助命嘆願を、甘いぞ、と瑞葉は切り捨てた。


「たとえ身内であろうと、否、身内であればこそ、許されぬこともあるのだ。そなたも、他人の心配をしている場合ではなかろう」


 瑞葉の言葉に余分な感情は含まれていなかった。純粋な警告であるがゆえに、秋月の胸の奥に突き刺さった。

 判断を誤れば、お前も同じだ。

 そう言われているのだと、受け止めざるをえなかった。


「御意、承りました」


 もとより断れるものではない。秋月は深く頭を下げたのち、書状をあらためた。

 そこには、大鷦からの詔だけでなく、もう一通の書状が同封されていた。




 兵部省の秋月とは別に、近衛府にも早房と芽鳥の追討の命令が下された。

 その命を受けた近衛将監の大舘(おおだて)は、出立を前にして密かに大鷦に呼び出された。特別に昇殿を許された大舘に、大鷦は人払いをしたうえで御簾ごしに囁いた。


「こたびの追討の命は、兵部大輔の秋月皇子にも出した。だが、やつは身内の情から、芽鳥らを見逃そうとするやも知れぬ。それでは困るのだ。よいか、芽鳥だけは絶対に連れ帰るのだ。邪魔だてしようとする者は、誰であろうと謀反人として討ってよい。誰であろうと、だ。……わかるな?」


 いまは帝と呼ばれているこの男からの、再び(・・)の密命であった。

 今回もまた、いとも容易い任務だ。世間知らずの親王と内親王の逃避行など、捕捉することも、女ひとりを奪還することも、造作もないことだろう。となると、帝の狙いは別のところにある、と見るべきだ。

 大舘はそこで、追討の命を受けた者がもう一人いることに思い至った。なるほど、と合点がいった。だが、なんという巡り合わせだろう。


「御意。必ずや、芽鳥様だけ(・・)をお連れいたします」


 ふむ、と帝は答えた。

 感情を抑えたその声に、大舘は己の真の任務を確信した。

 だが、御簾の向こうの主が、冷ややかな殺意を帯びた眼差しを自分に向けていることなど、大舘には想像もできなかった。




 八花からの手紙を読んだ秋月は、躊躇せずに事を起こした。

 兵たちは部下の兵部少録に預け、自らは単身で先行して芽鳥たちの探索を始めた。街道ですれ違う者や付近の農民に銭を与えては早房と芽鳥の情報を集め、数日後には近江の瀬田で二人を捕捉することに成功した。

 思いもかけず早く現れた追っ手に、早房は及び腰で剣を向けた。


「お待ち下さい。私はお二人をお救いするために、先駆けてきたのです。すでに、兵部省それに近衛府からも追討軍が出ています。このままでは、とうてい逃げきれませぬぞ」

「もとより覚悟のうえのこと」


 首を横に振る早房に、秋月は大鷦の密命を明かした。


「帝の目当ては芽鳥殿ただひとりです。芽鳥殿が戻るのであれば、早房殿はどこへなりと逃げ延びてよい、と仰せです」

「そのような卑怯なことが、できるものか」


 なおも突っぱねる早房を、秋月はなだめた。


「よくお考えくだされ。帝はすでに高齢で、熱病も頻度が増している。もう、先は長くありますまい。無駄に命を散らさず、その時をお待ちになるが良いかと」


 芽鳥は唇を噛んで、秋月を睨みつけた。しかし時をおかず、その顔から険しい色は消えた。


「姉さんも、ずいぶんひどい男に惚れたものね。わかったわ。貴方の策に乗りましょう」


 同意を得た秋月は、瀬田川の畔に建つ民家に早房と芽鳥を匿った。

 人目を引きやすい早房と芽鳥の衣装を庶民の着物に着替えさせたあと、早房を伴って表に出た秋月の耳元に、ひゅっという風切り音がした。

 次の瞬間、右肩に激痛が走る。

 見れば一本の矢が刺さっていた。立て続けに飛んできた数本の矢が、早房の胸や腹に突き刺さる。

 ぐう、と唸った喉を矢に射貫かれ、早房は血を吹いて倒れた。そして幾度かの痙攣ののち、ぴくりとも動かなくなった。


 おお、という歓声がした。

 騎乗した武者たちが、俺が討ちとった、俺がやったとてんでに騒いでいる。

 具足は近衛府の物だった。その中から、ひときわ立派な武具をつけた男が進み出た。男は秋月の前で馬を降りると、顎にかかった緒を解いて兜を取った。


「近衛将監の大舘と申します。兵部大輔様ともあろう御方が、先駆けの功を狙うなどとは思いませなんだ。てっきり謀反者の逃亡を手助けする輩かと思い、危うく射殺してしまうところでしたぞ」


 髭面が嗤うと、隙間だらけの前歯がのぞいた。

 その顔に、秋月は見覚えがあった。いや、見覚えどころではない。そこにいるのは、幼き日の秋月の目前で、父をその手にかけた男だった。


「おのれ。父の仇が」


 剣にかけようとした右手は、しかし矢傷の痛みで動かせなかった。

 大舘はうすら笑いを浮かべたままで、はて、と首をかしげて見せた。


「なにを仰っているのか、わかりませぬな。しかし、思い違いとは言え、帝の勅命を受けたこの私に剣を向けるのであれば、どのような御方でも謀反人として討ち取ってよい、と帝から仰せつかっております」

「思い違いなどではない。そなたの顔は、片時も忘れたことはない。そなたこそが、かつて東宮を――わが父を手にかけた、謀反の大罪人ではないか」


 気色ばむ秋月に、大舘は飄々と答えた。


「いいや、思い違いをなされている。あれは、とある御方の命により、あくまでも自衛のためにしたこと。恨まれるのは筋違いというものだ」

「なんだと?」


 大舘は、やれやれと言わんばかりに首を振った。


「まだ子どもだったあなた様はご存じなかっただろうが、異母とはいえ兄の山杜親王に無実の罪を着せて謀殺し、大鷦親王をもだまし討ち同然にして殺害しようと画策した男、それが貴方様の父君なのですぞ。やらねば、我らが殺されていた。我らはただ、身を守っただけのこと」


 嘘だ、と叫びながらも、秋月はそれを否定しきれなかった。


『兄には死んでもらいましょう』


 そう言って酷薄な笑いを浮かべた父の顔が脳裏に蘇る。そして、それを聞いていた大鷦の歪んだ笑顔も。


「ときに、芽鳥内親王様は、どちらに?」


 大舘の問いに、秋月は「知らぬ」と吐き捨てた。せめてもの意趣返しだった。


「これは困った。謀反人を匿われるとなると、貴方様も謀反に加担したとみなさざるをえないが、よろしいか」

「なんと言われようと、知らぬものは知らぬ」


 ではご無礼を、と頭を下げた大舘は、秋月の横をかすめるように通りすぎた。

 その直後……。

 背後で剣を抜く音がして、同時に秋月の肩口から背中にかけて、痺れるような衝撃があった。

 なにが起きたのか、わからなかった。

 振り向くと、大舘が、血まみれの剣を構えていた。


「貴方様を討てと、やんごとなき御方のご命令なのだ」


 斬られたのだ、とわかった途端に、激しい痛みが走った。悪寒と立ち眩みがして、もつれた足が踏み出した先には、地面がなかった。

 ふわりとした一瞬の浮遊があり、ざぶりと全身を水が濡らした。

 もがくこともできずに、秋月の意識は途切れた。

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