A氏の冒険4日目
この世界には勇者がいる
この世界には、「勇者」がいる。
勇者の戦闘力は、圧倒的だ。
彼は、彼女らは、人類の代表だ。
A氏のようなやる気のない冒険者が、レベル10〜20のあたりだとすると、勇者はレベル70越えだ。
腕力、体力、知力、精神力、いずれもA氏と勇者とでは10倍以上の差がある。
歴代魔王は、ほとんどが勇者によって打ち倒されたものだが、それも納得の戦力だ。
高レベルの勇者には、A氏がみてもそれとわかるようなオーラがある。
高次元の存在の側にいるような、彼の姿を見ているだけで高揚する感じだ。
われわれ人間には、そのオーラは温かみすら感じるが、おそらく魔族には、彼のオーラは南極の吹雪に身を置くように感じるだろう。
A氏が魔族なら、勇者を見ただけで、ケツの穴にツララを差し込まれたような悪寒と絶望を感じることだろう。
歴代の勇者は、そのほとんどが2人〜3人の仲間を連れていた。
彼らも、勇者のパーティの名に恥じぬ猛者ばかりだ。
一撃で巨大なゴーレムを叩き潰し、自分の体重ほどあるような大ハンマーをスプーンでも使うように軽々と振り回す戦士。
わずかな祝福を唱えるだけで幽霊の群れをかき消し、内臓のはみ出た重傷すら数秒で完治させ、死者すら蘇らせる司祭。
オークの群れを燃焼呪文一つでバーベキューの山と化し、小山のような大きさの飛竜を凍結呪文一つでシャーベットにしてしまう魔法使い。
歴代の勇者の中には、商人や遊び人といった変わり種をパーティに加えていた者もいるらしいが、勇者の仲間なら、いずれも化け物のような連中ばかりだろう。
まぁ、A氏にとって、今となってはいずれにしても関係のないことだ。
A氏も、希望に燃えていた頃があった。
駆け出しの新米冒険者だった頃だ。
領都に向かい、市民のために凶悪なモンスターに立ち向かう気があった頃だ。
A氏が、領都に入り、斡旋所で仕事を探していたときのことだ。
ふと、隣を見ると、若い戦士が仕事の斡旋を受けていた。
その仕事は、いかにも危なそうなやつだった。
湿地帯で、リザードマンの群れを退治するなんて、正気の沙汰じゃない。
敵地じゃあないか。
A氏なら、リザードマンをどうにかして乾いたところに引きずり出して、火でも放って退治するところだが…。
その若い戦士は、ためらいなく仕事を請け負うと、軽い足取りで、斡旋所を後にした。
A氏は、あの若い戦士は命がいらないのだのうかと考えた。
若い戦士のことがちょっと気になり、斡旋所の外に出てみると、さきほどの若い戦士のパーティとおぼしき男女2人が、若い戦士と笑い合っていた。
武闘家と、魔法使いだろうか。
湿地帯でリザードマンと戦うなど、普通なら自殺行為だが、勝算があるのだろうか…。
数日後、A氏が自分の身の丈にあった討伐任務をこなし、領都の斡旋所に戻ってみると、数日前に会った若い戦士たちが新しい依頼を受けているところだった。
彼らも生き残ったのだ。
見ると、ほとんど手傷も受けていない。
若いのに、よほどセンスが良いんだろう。
こういう連中が、勇者と呼ばれるのかな。
そんなことを当時のA氏は考えていた。
後になって、領都の新聞で読んだことだが、彼ら、彼女らこそが勇者だったのだ。
A氏が見たときは、まだ新米だったが、あれから彼らがまだ生き残っていたら、さぞや魔族にとって恐怖の対象になっているだろう。
モンスターたちも、子供のしつけで「早くしないと、勇者が来るわよ!」とか言うのだろうか。
いや、魔族たちにしたら、勇者ではないか。
A氏は、過去の記憶から、目の前に広げている新聞の紙面に意識を戻した。
「勇者、魔王の巣食う魔都の攻略を開始か」「四天王のうち3人をすでに勇者一行が討伐」という見出しだ。
ご丁寧にも似顔絵が入っている。
あのときの若い戦士たちだろうか。
まだ生きていたのか。
A氏は、古い戦友を見たような、懐かしいような、こそばゆいような気持ちを覚えた。
おれは、勇者を知っているぞ。
勇者の隣で、斡旋所にいたんだ。
……そんなこと、人に言ってみても、なんの自慢にもならない。
あれから何年も経って、若い戦士の一行は勇者と呼ばれるようになった。
A氏は、生き残る術にだけ長けた冒険者となった。
……なに、おれだって、人々のために働いているぞ。
今日も、これから、野営地あとにできたゴブリンの集落を攻めるところなんだ。
10匹くらいいるようなので、正面からだと、数に負けてしまう。
水場に毒を流し、おおかたのゴブリンが弱ったところで、1匹ずつ毒矢で仕留めてやる。
これが、おれのやり方だ。
勇者様にはかなわないが、おれにはおれのやり方がある。
勇者は、ドラゴンやゴーレム、上級悪魔を退治するだろうが、あちこちの集落を襲うゴブリンの群れをいちいち退治しちゃあいられない。
そこで、おれの出番ってわけさ、ははは………
A氏は、一人ごちながら、ナイフを研ぎ、黙々と毒の準備をしている。
今日も、生き抜かなければ。