A氏の冒険1日目
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ここは、とある大陸の、とある国。
A国としておこう。
経済や、科学の発展の程度は、現実でいう中世から近世の程度。
蒸気機関が発明される寸前といったところか。
ただし、われわれの住む現実と違うのは、この世界には、魔法がある。
錬金術も、実用化されている。
悪魔の存在も確認されているし、洞窟に潜れば、ゴブリンも住んでいる。
集落がオークの群れに攻め込まれるなんて日常茶飯事だ。
そういった世界で、いわば冒険者として暮らしているのがA氏だ。
彼の経歴は、はっきりいって平凡だ。
農家の4男として生まれた彼は、幼少から魔法に卓越した才能を示したとか、剣術に抜群の才能があったとか、そういうことはなく、ただ平凡に過ごしてきた。
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A氏には、兄弟がいた。
長兄は、王国の兵として徴兵され、隣国との小競り合いで戦死した。
弔慰金は雀の涙だった。
次兄は、数匹のはぐれゴブリンが村に迷い込んできた時、ゴブリンに棍棒で殴られて死んだ。
一つ上の兄は、「冒険者になって一山あてる」と言って、村を出て行った。
それきり音信不通だ。
また、A氏には、妹が1人いた。
A氏が冒険者となったのは、この妹のためだ。
仮に、彼女の名前を、B子としておこう。
B子は、A氏の平凡な家族には似つかわしくない女だった。
けっして、美女ではない。
たびたび怪物たちに襲われる村が、あるとき、飢饉になった。
そして、A氏の妹は、口減らしに、売られていった。
よくある話だ。
そして、A氏は、数年後、村を飛び出し、冒険者として生活していくようになった。
妹を売って、その金でメシを食う家族に嫌気が差したというのもある。
外の世界に憧れたというのも理由だ。
これも、よくある話だ。
だから、A氏自身、自分はよくある最期を迎えるのだろう、と予期している。
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A氏は、焚き火を前にして、もう会うこともない兄妹たちのことを思い出していた。
ここは、王国の一都市から、徒歩で2週間ぶんの距離のある街道だ。
A氏は、街道から10歩ほど逸れたところに、焚き火を起こして、簡単なキャンプをしている。
周囲には魔除けの魔術をかけたので、弱い魔物は近づけない。
だが、魔除けなぞは、気休めだ。
「弱い」魔物は近づいてこれないということは、こちらの命の危険があるような強い魔物はスルーパスということだ。
自分が寝ている間、周囲を見張ってくれる仲間がいれば良かったと思うこともある。
A氏は、いま1人だ。
A氏は、基本的に、仲間を作らないことにしている。
1人だと、寂しく感じることもある。
魔物と出会った時も、1人だと対処に困ることもある。
ただ、1人のほうが、いろいろ楽であったし、なにより責任というやつが軽くていいのだ。
人間の仲間と一緒だと使えない手段というやつもある。
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A氏は、日が落ちる前にでくわした戦狼の肉を焼いている。
戦狼の肉は、あまりうまくはない。
どちらかというと、まずいほうだ。
牛や、豚や、鹿の肉のほうがずっとうまいが、飢えるよりはマシだ。
それに、今回請け負った仕事は、だいぶ遠方まで歩いて行かなければならない。
保存のきく携帯食料は節約しなくては。
いわゆる常識のある仲間と一緒だと、「魔物の肉を食うなんて!」と騒がれることもあるし、ときには「王国の保安機関に通報するぞ!」と言い出す奴もいる。
お行儀の良い彼ら、彼女らは、A氏の手によって、もう何も食べる必要のない体になった。
だが、A氏としても、そういうことを毎回気分良くできるわけではない。
だから、A氏は、1人でキャンプを作り、1人で魔物の肉を焼いている。
A氏は、リュックの中から携帯用の瓶を取り出すと、戦狼の肉にササッと中身の塩を振りかけた。
「コショウでもあればな…」とA氏は思うが、長い旅に、余計な荷物を増やすわけにはいかない。
香辛料は高価だ。
肉の焼き具合を確かめると、A氏は戦狼の肉にかじりついた。
想像通りのまずさだ。
腐りかけの豚肉というか、肉汁のしみた雑巾を噛んでいるような味だ。
A氏は、なんとか戦狼の肉を喉の奥に押し込むと、水筒の水を一口飲んだ。
これで晩飯は終わりだ。
寝るとしよう。
A氏は、手持ちのリュックを枕にすると、寝袋に入った。
また、明日、ちゃんと生きて起きられますように。