落ちぶれ令嬢の願いは叶う
「よくも……、よくもアタクシをこんな目に遭わせやがったのですね、ベニチオ。許さない、許さない許さない許さない絶対に許さないのです!」
荒れ果てた広野で、涙で顔をぐしゃぐしゃにして泣き喚く女の姿があった。
彼女の名は、ジュリエッタ・ギフォード。……いや、今の彼女はただのジュリエッタだ。ジュリエッタは衣を砂まみれにし、ただただ地面に突っ伏して泣くしかなかった。
ジュリエッタは幸せだった。
子爵の家柄に生まれたこともあったし、何一つ不自由はしなかった。
友達は少なかったが、たった一人の親友がいてくれた。
彼女はゾーイ。子爵家で働くメイドの少女で、幼い頃からずっと一緒。親から隠れてこっそり色々な悪戯をしたりもした仲だった。
――しかし、ゾーイはジュリエッタを裏切った。
十七歳になったジュリエッタに、とある話が舞い込んできた。
それは王子、ベニチオとの婚談。ベニチオは美青年だったし印象がよかったので、ジュリエッタはすぐに了承、婚約は結ばれた。
しかし、悲劇は突然だったのだ。
ある日突然、城に呼び出されたジュリエッタは王子にこう言われた。
「貴殿との婚約を取り消す。ジュリエッタ・ギフォード」
ジュリエッタは別の男に浮気したという、あらぬ罪で婚約を捨て去られ、無礼極まりない愚か者と言われて国外追放された。
その理由は明白だ。――王子は、メイドのゾーイに好意を持っていた。
ジュリエッタの邸にくるたびにゾーイを見ては愛想をよくし、こちらには見向きもしない。
……振り返ってみれば、王子の愛は冷めていたのだと思う。
最初は、長い茶髪を揺らし微笑むジュリエッタの美貌に恋したことだろう。しかし彼は浮気性だった。いつもジュリエッタの傍にあったメイドのゾーイに恋をし、邪魔になったジュリエッタを見捨てたに違いない。
ゾーイも王子の好意を悪く思うはずがなく、ジュリエッタに汚名を着せたのだ。
「ずっと、ずっと友達、だった、のに、許せない、の、です……」
落ちぶれた令嬢は荒野で悲しみに暮れる他、ないのだった。
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「……ゾーイ、よくやってくれた。これで貴殿との婚約を惜しみなく結べるというものだな」
王子ベニチオはそう言って、メイド服の少女を見つめて笑う。
邪魔っけな女がいなくなって清々したというものだ。
元々、あの女に惚れていたのは本当だ。
だが付き合ううち、あの女のいやらしさがわかった。
上から目線な物言い、嫌に気取った態度。それらがどんどん鼻についてきた頃、ゾーイを見つけた。
彼女は優しく従順で、ベニチオの妻に相応しい。ジュリエッタを国外追放した今、ようやっと彼女と気兼ねなく愛し合うことができる。
「きっと、貴殿と僕は身分が大違いだから周囲は強く反対するかも知れない。でも諦めてやるもんか、なんとしても君を娶ってみせる」
すると、メイドの少女は満足げに頷いた。
「嬉しいお言葉だよ、王子様。……これでゾーイもやっと、あなたを気兼ねなく殺せるってもんなんだからさ」
その言葉に、ベニチオは言葉を失う。
今、彼女は……なんと言った?
しかしそれを理解する前に、激痛は訪れる。
突然、腹に痛みが走った。何だろうかと腹部を見てみる。――そして王子は、絶叫を上げた。
だってそこには、包丁が突き刺さっていたのだ。
「これがお嬢様を貶めた罰だよ。……散々もがき苦しんだ末に死んでね」
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。
痛みに思考が焼ける。一体自分は何をしているのか、わからなくなる。
四肢をバタつかせ、誰かに助けを求める。しかし周りには、従者はおろか、誰もいない。……だってここは子爵邸。王子はここへ、たった一人でやってきてしまったのだから。
「ゾーイ、何を……」
「王子様、ゾーイを好きになってくれたのは嬉しいよ。でもゾーイは、お嬢様のことが好きだから。ごめんね?」
意識が遠くなり、目の前で無邪気に微笑む少女の顔がぼやける。
王子がそれを見て最後に思ったのは、可愛いな、という、この場にはあまりにも似合わない感情だった。
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お腹が空いた。もう、涙を流す元気すらない。
悲しみさえすっかり枯れ果ててしまった後、ジュリエッタに残されたのは虚無だけだった。
「死にたくなんてないのです……」
あるはずだった幸せな未来を奪われて、ボロボロの衣を引き摺りながら歩く彼女の願いは、ただ一つ。
「戻りたい」という、叶うはずのない願いだった。
暖かな邸に戻りたい。ゾーイと笑い合った日々に戻りたい。
しかしもうそんなことはできっこない。だってジュリエッタは見捨てられた。また戻れたとして、誰が受け入れてくれるだろうか。誰も受け入れてくれるはずがなかった。
そんなことを考えていても、空腹は満たされないし生きながらえることだってできない。
ジュリエッタの望みは、荒地に吹き抜ける風の如く消える――はずだった。
そのとき、彼女が現れなければ。
「やっと見つけた。……お嬢様」
懐かしい声だった。
でも同時に、憎悪の記憶が蘇る声でもあった。
幻聴かと思い、振り向く。
だが彼女は確かにそこにいた。ゾーイはこちらを見つめて笑っていたのである。
「ゾーイ、どうしてなのです……? あなたは王子と結ばれた、はずじゃあ」
「あんな変態王子、ゾーイは嫌いだよ。第一お嬢様を蔑ろにする奴、ゾーイが認めるはずがないじゃん。……ごめんねお嬢様、でももう大丈夫だからね」
見捨てられたわけではなかったと知って、ジュリエッタの瞳から枯れ果てたはずの涙が次々に溢れ出す。
彼女はやはり、ジュリエッタの親友であったのだ。裏切り者などと思って本当に悪かった。
「ありがとうなのです、ゾーイ。アタクシを助けにきてくれて」
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それから二人の少女は、子爵邸に戻った。
王子の死に関しては、最後に子爵邸に行ったとの話があったのでかなり怪しまれたものの、死体が近くの広場に打ち捨てられていたので犯人は特定できなかった。結局は野盗に襲われたのだろうということに落ち着いたのだ。
もっともジュリエッタだけは、ゾーイ自身から彼女が殺したのだと聞いていたけれど。
ジュリエッタは、無事に子爵令嬢へ戻ることができ、ふたたび幸せに暮らしはじめた。
とある午後。邸の庭のベンチで、ジュリエッタとゾーイは談笑する。
「あの王子、結構美男だったからちょっと残念なのです」
「まあ確かにそうだね。でもきっと大丈夫、お嬢様ならきっともっといいお相手が見つかるよ。今度は裏切れないように、ゾーイがしっかり見張っててあげる」
「お願いするのです」
「任せて。……だってゾーイとお嬢様はずっと友達でしょ?」
「そうなのですね」
いつかきっと、ジュリエッタの元に真の白馬の王子様がやってくるだろう。
そのときを待ちながら、少女たちは今日もともに笑い合うのだった。
ご読了、ありがとうございました。
作者初の悪役令嬢もの(?)ですが、面白いと思って頂けたなら評価を、何かご意見がございましたらご感想を頂けるととても嬉しく思います。