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第8話 2人の新生活

 リーフェンシュタール領へ戻ってきたケルンは目に見えて上機嫌である。王都に居たときには笑うにしても皮肉気なものが多かったが、ここで見る彼は心底楽しんでいるのが分かる。


 まるで昔見たケルンみたい。


 イングリッドはそんな彼の様子を見て、ふと昔を思い出す。そして今の彼は大概屋敷に居らず、日中はどこかへ出掛けていた。屋敷にいる間も、山に登る計画やルート策定について仲間達とあれこれ相談していた。

 イングリッドにも、好きに過ごしてくれて構わないと言ったきり、干渉してこない。


 そう、言われてもね……。


 ここ1週間ほど、彼女は書斎で本を読み漁ったり、村の女性達と一緒に刺繍をしたりして過ごしていた。

 だが、今日はハーヴェイの妻ミーナと共に村の道を歩いている。ミーナは亜麻色の髪の、しっかりした性格の女性で、今現在身重の体だった。お腹が大きくなり少し歩き辛そうである。


「大丈夫? 籠持ちましょうか?」


 イングリッドが気遣うように声を掛ける。


「あら、良いのよ。皆気を遣ってくれるけど、少しは運動した方が良いんですって」


 2人はそれぞれ編み籠を持っていた。中にはパンやチーズ、ブルストなどの食べ物が入っていた。イングリッドはミーナに誘われて、2人の夫が働いているところへ差し入れに向かっていたのだった。

 明るい陽射しの中で木々や草花の緑が眩しい。


 そう言えば、10年前に来たときもこんな季節だったわ。


 夏の爽やかな風が吹く中を走って行く少年2人を遅れて少女が1人遅れて追いかけている。そんな姿が目の前に甦ってくる。


 確かに、ケルンの後を追いかけていたわ。でも、それはケルンとお兄様がいつも先に行ってしまうから仕方のないことだわ。10歳の女の子と13歳の少年達とでは体力が違うもの。


 昔の感情を思い出して、イングリッドは思わず口を尖らせる。


 お兄様は付いて来なくて良いと、いつも言ってたわね。でも、ケルンは、そう、あの灰色の瞳を細めて微笑みながら、私に手を差し伸べて……って、何で私、ケルンのことばかり考えているのかしら?


 イングリッドは顔が赤くなったことを、否定するかのように首を左右に何回も振った。


「イングリッド?」

「な、何でもないのっ。気にしないで」


 怪訝な顔をしたミーナにイングリッドはやや固く笑って見せた。村の家々の窓辺には短い夏を楽しむように、色とりどりの花が飾られている。ログハウスのような木の温かみのあるリーフェンシュタールの家屋には、それがよく似合った。畑には農作業に勤しむ農民達の姿も見える。

 そんなのどかな景色の村を抜けて、2人は山の急斜面に近づいていく。その辺りは切り株だらけの開けた場所で、男達が身を屈めて何か作業しているのが見えた。


「何をしているの?」


 歩きながら、イングリッドがミーナに尋ねる。


「木の苗木を植えているのよ」

「苗木を?」


 確かに作業している斜面だけ、他のところに比べると不自然に木が少なかった。


「先代の、ケルンのお父上のことだけど、が領内のあちこちで無計画に木を切ってしまったのよ。木は建材になるし、薪や木炭のような燃料にもなるから。切れば切るだけ売れたの。でも、ああいう急斜面には木々が生い茂って、大地にしっかりと根を張ることで、大雨なんかのときに土砂が流れないように抑えられているのよ。何年か前に水害があったのは知ってるかしら?」

「そう言えば、ケルンがそんなようなことを……」

「ここではないけれど、ここみたいに木を大量に切ってしまった斜面で、その大雨の日、どしゃ崩れが起きたの、近くに住んでいた人達が犠牲になったわ」


 ミーナは悲しそうに斜面を見上げる。


「そんな……」


 イングリッドとしても胸が苦しくなった。


 そんな現状なら、やはり持参金をたくさん用意出来る人の方が伯爵家に相応しいわ。復興には幾ら資金があっても良いもの。


「それで、そうならないように木を植えて防ごうとしているの。長い時間掛かると思うけど」

「それに貴女の旦那さんも従事してるのね」

「えぇ。それに貴女のケルンもね」

「ケルンも……」


 その名を聞いて、イングリッドが何かを躊躇うような表情を見せる。


「どうしたの?」

「仕事の邪魔じゃないかしら? 私が行って」

「そんなことないわ。でも、どうしてそう思うの?」


 イングリッドは躊躇いがちに口を開く。


「結婚したなんて言うけれど、実情はケルンが昔の誼で私を助けただけなの」

「え……」

「彼が助けてくれなかったら、私、遅かれ早かれ死んでいたかもしれなかったから……だから、もしもっとケルンに、いえ、リーフェンシュタール伯爵家にとって相応しい人が現れたら、身を引くつもりよ」

「そんな、駄目よ」


 ミーナが首を振る。


「だって、私と結婚したからって伯爵家にとって何の益もないどころか、余計な負担を強いてしまったもの」

「本当に? 本当に貴女はそれで良いの?」


 俯くイングリッドの顔をミーナが覗き込む。


「ミーナ……」

「そんなことを言う貴女の瞳は何だかとても悲しそうよ」

「そんなこと……」


 確かに、イングリッドの中にケルンに対する何かしらの思いが芽生えつつあるのは事実だった。それが愛情なのか、友情なのか、感謝の念なのかは、まだイングリッドの中ではっきりさせたくなかった。


「お、ミーナに、それにイングリッド? どうしたんだ、こんなところで?」


 2人は話し掛けられて、振り返るとそこにケルンが立っていた。しかし、何故か上半身は裸で、水浴びでもしてきたのか髪や体には水滴が付いていた。


「きゃぁっ」


 イングリッド思わず叫んで、籠を持っていない方の手で自らの顔を隠す。


「どうした、イングリッド?」


 ケルンがきょとんした顔でイングリッドを見つめた。彼女は顔を真っ赤にしてケルンに注意する。


「どうした、じゃないわっ。服着て、服!」

「何でだ?」

「何でって、貴方、仮にも伯爵でしょう? 品格の問題よ!」

「作業して熱いんだからしょうがないだろ」

「それで、水浴びしてきたのね」


 ミーナが苦笑いする。ケルンのこういう姿は見慣れているので、もはや驚かない。


「そうだ。水も滴るいい男だろう。なぁ、イングリッド?」


 その言葉に誘われるように、イングリッドは指の間から、ちらりと彼の体を見る。鍛え上げられ、無駄な肉のない引き締まった筋肉質の体は、まるで一流の彫刻家が手掛けた作品のように、均整が取れていて美しく、何とも言えぬ色気があった。その上の顔がにやついていなければ、イングリッドは見惚れていただろう。


 私ったら恥ずかしい……。


 そう思って、イングリッドは再び彼を見ないように顔を背ける。彼女の反応が面白いのか、ケルンは揶揄うように近づいてくる。


「もっとじっくり見ても良いんだぞ」

「ちょ、近づいて来ないでっ」

「何も恥ずかしがることはないだろ。君の夫だぞ。君が望めば、全身余すところなく見せる所存だ」

「な、何言ってっ……そんなの望んでない、望んでないから!」


 イングリッドは堪らず逃げ出す。そしてその後ろをケルンが追いつかない程度に付いていく。


「何だあれ……」


 ハーヴェイがミーナの隣に来て呟く。他の者達も作業を止め、斜面から降りてきていた。そんな彼らが見ているのは半裸の男がニヤニヤしながら、女性を追いかけまわしている光景である。


「夫婦じゃなかったら犯罪だけど、夫婦だから問題ないわ」


 2人の姿を見て、これなら大丈夫とミーナは面白そうに笑った。


「お昼持ってきてくれたのか、ありがとう」


 ハーヴェイがミーナの頬に軽く口づけを落とす。


「体の方は大丈夫?」

「えぇ、問題ないわ」


 嬉しそうな顔のミーナが、夫に編み籠を手渡す。


「あっちもこっちもお熱いねぇ」

「あーやってらんない。メシでも食うか」

「だな、何かどっと疲れたわ」


 男達は揶揄い半分やっかみ半分の言葉を呟き合いながら、銘々休憩を取り始める。

 一方、イングリッドは畑の畦道で立ち止まり、走り疲れてぜぇぜぇと荒い呼吸を落ち着けようとしていた。


 一体、何してるのかしら、私……。


 馬鹿馬鹿しく思えて、振り返ればケルンが余裕綽々で歩いて来ている。


 何だか腹立つわ……。


 イングリッドは恥ずかしさを抑えて、きっとケルンを睨む。


「何で付いてくるのっ。大体、伯爵なのにどうして他の人と一緒に植樹なんてしてるのよ?」

「ここは、リーフェンシュタール。他所とは違う」


 ケルンはニヤニヤした笑いと止め、自負と自信を持った顔つきになる。初代が竜を封じ、彼を慕う仲間達と誰も住んでいなかったこの山脈へやって来て、一緒になって一から築き上げてきた。


 爵位など時の王が便宜的に初代に与えたに過ぎない。


 ケルンにとって、彼らは部下でも目下の者でもない。共に暮らす仲間なのだ。


「だから、屋敷の中でふんぞり返って命令を下すだけなんて真似、リーフェンシュタールの男子にはありえんことだ。それに……」


 彼の灰色の瞳にやや自嘲的な色が浮かぶ。


「これは先代の不始末だからな。俺が何とかするのが筋ってもんだろう」

「先代の……」


 ミーナが言っていたことね。そう言えばケルンは、王都で父親殺しと噂になっていたわ。この件と何か関係があるのかしら……。


「お父様と何かあったの?」

「まぁ、仲は良くなかったな」


 ケルンはそれ以上言いたくなさそうだった。イングリッドもそれを無遠慮に追及するつもりは無かったので、話を戻す。


「そう……って、そんなことは良いから、早く服を着て!」

「はいはい。って、聞いてきたのは君だぞ」


 呆れた様子で、ケルンは頭を掻く。


「それとこれ」


 イングリッドが精一杯腕を伸ばして、持っていた編み籠をケルンの方に突き出した。


「お、昼飯か。済まんな」


 ケルンは嬉しそうに満面の笑みを見せて、イングリッドから編み籠を受け取る。


 そういうとこ、本当に狡いわ……。


 イングリッドは頬を赤く染めながら、彼から視線を逸らした。




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