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第7話 遥かなリーフェンシュタールの地へ

 それからほどなくして、ケルンはイングリッドを連れて王都を発った。彼女はぼんやりと馬車の窓から外を眺める。眼前には長閑な田園風景が広がり、農民達が働いている姿が見える。


 昔もこんな光景を見たことがあるわ。リーフェンシュタール領に母の療養に向かうときに。あの頃はまるで冒険みたいでわくわくして、飽きずに眺めていたけれど……。


 今はどんな気分かと問われると、イングリッドは何とも答えられない。


 少なくともわくわくはしていないわね。だからといって、嫌だと言うほどリーフェンシュタールの地が嫌いなわけではないのだけど。


 隣に座るケルンとも顔を合わせ辛くて、結果として外を見るしかなかった。しばらくすると、平原の遠くに山並みが見えるようになっていた。

 リーフェンシュタール領は北限の山脈だった。初代のリーフェンシュタール伯爵が、邪悪な竜が住むと言われた呪われた地、人を寄せ付けないこの山脈を平定したのが始まりだった。

 そこへ向かって馬車は一路街道を進んでいく。山脈に近づいて行くにつれて、巨大な山容が迫って来る。そしてその中へさらに進んでいくと、ケルンの故郷リーフェンシュタール領に到着した。

 リーフェンシュタール家の邸宅に着く間、2人を乗せた馬車を見た村人が手を振って、領主の帰還を喜ぶ。イングリッドにも懐かしい気持ちが湧き上がってくる。


 覚えているわ。王都とは違う、木の温もり溢れる家々。美しい山の景色。


 幼い頃の楽しい思い出の数々が、イングリッドの胸に甦って来る。


 ケルンや兄を追いかけて村の中を走り回ったり、村の人から山葡萄を貰って一緒に食べたり……。


「やはり美しいな、我が故郷は」


 ケルンが反対側の窓を望みながら呟く。その声は、柔らかい。彼自身も心安らぐ領地に戻って来られて、本当に嬉しいのだ。


「この山脈にはまだ、誰も踏破したことのない山がたくさんある。俺はその一つに挑戦する為に戻って来たんだ」

「それがやりたいこと?」

「そうだ」


 イングリッドはちらりとケルンの方を見る。彼の灰色の瞳は、まるで少年のように爛々と輝いている。視線に気付いて彼が振り返りそうになったので、イングリッドは慌てて視線を窓に戻す。


「……一つ、聞いていいから? どうして、私を助けたの?」


 私を妻にしたってケルンには何の得もないわ。持参金も無いし、人脈もない、貧乏な下級貴族の娘なんか。


「……君はここを美しいと言ってくれただろ。俺の愛する故郷を」

「えっ」


 イングリッドは思わず振り返ると、こちらを見つめる彼の瞳と目が合った。灰色の薄い色の瞳は黒い瞳孔をより際立たせる。


 まるで、狼の目みたい。


 そんな瞳にじっと見つめられると落ち着かない。イングリッドは視線を彷徨わせ、結局また外へ顔を向ける。


 確かに、ここが好きだったわ。帰りたくないと思ったほど。村人は優しく、自然の中を走り回れば驚きの連続だった。そして、いつもケルンが居た。私達家族の為に、果物や花をたくさん持ってきてくれて、知らないことを教えてくれた。

 そう、あの頃私はケルンが好きだった。

 貴方は? 貴方も私が好きだったから助けてくれたの?


 どきんと、彼女の胸が高鳴る。


 どうしたの、私……ケルンにどきどきしているの? 彼は無理やり私を花嫁にしたのに。


 イングリッドが悶々と悩みながら、流れ行く景色を見る。


「あら……」


 そこでイングリッドは雑草で覆われた農地や崩れかけた家が何軒かあることに気が付いた。詳しくは思い出せないが、以前来たときよりも荒れている気がした。


「何があったの?」


 そんな思いが、イングリッドの疑問に声を与える。


「数年前に、大きな水害があったんだ。まだそこから完全には立ち直っていない」

「そんな……」


 それなのにベルク家の、いえ父の作った借金を肩代わりしたの? 私がここを好きだと言ったから、ただそれだけで。私はそれにどう答えたら良いの?


「失望したか? 別に君が帰りたいというのなら構わないぞ。俺は評判の悪い男だからな。君が耐えられなくて出て行った、と皆同情してくれるだろう」

「何それっ」


 イングリッドは何故かカチンと来た。三度、振り返ってケルンを睨んで、咄嗟に叫んでいた。


「馬鹿にしないで! こうなった以上はちゃんと妻としての務めは果たすわっ」

「……ほう、では心身ともに我が妻となるか?」


 ケルンはニヤリと笑い、イングリッドの方へ近づく。狼のような灰色の美しい瞳がイングリッドを捕える。彼が覆いかぶさろうととした瞬間、イングリッドは席に置いてあったクッションをケルンの顔に押し当てた。


「やめてっ。そういう意味じゃないわ」


 イングリッドが顔を赤くして叫ぶ。顔にクッションを押し当てられているケルンはいらっとしながら、クッションを掴み強引に彼女の手から引きはがして席に置いた。


「じゃ、その言葉はどういう意味なんだ?」


 そう問われてもイングリッドにもよく分からない。


「と、とにかく、駄目ったら駄目! あっち行って」


 クッションを取られてしまったので、イングリッドは腕を振り回してケルンを追い払おうとする。


「おい、揺れるだろうが」


 ケルンが呆れ気味に彼女の腕を掴んだ。


「離してっ」


 今度は体全体をバタつかせいると、御者を務めるハーヴェイが声を掛けてきた。


「ちょっとお二人さん。仲が良いのは結構ですけど、これ以上暴れたら転倒の危険があるんで、車と馬分離しますからね。そしたら私は馬で帰るので、車はお二人で引いてきて下さいよ!」


 イングリッドとケルンは冷静さを取り戻し、きちんと座席に座った。


「……君の所為で怒られただろ」

「貴方が近づいて来るからじゃないっ」


 ぷいっとイングリッドはそっぽを向く。


「小さい頃はもっと素直で可愛かったのに」

「貴方だって、もっと良い子だったと思うけど?」

「「……」」


 そんな2人を乗せた馬車はリーフェンシュタール家の邸宅へと到着した。領主であるケルンが念願である花嫁を連れて帰って来たと知って、領民は大喜びでイングリッドを迎えた。中には幼い頃の彼女を覚えている者もあり、懐かしそうにイングリッドに笑いかける。


「あらあら、あの時の小さなお嬢ちゃんかい。いつもお兄さんとケルン坊ちゃんの後について走っていたねぇ。お兄さんは元気かい?」

「え、えぇ……おそらく」


 イングリッドはぎこちなく答える。兄のことは何とも分からない。


 大体、私そんなにケルンの後をついて回っていたかしら?


 とはいえ、こんなに喜ばれても困る。


 本物の花嫁じゃないのに。ケルンは人助けのつもりで結婚したのよ。もし、彼に本当に愛する人が出来たら……ううん、伯爵家にとってもっと条件の良い人が現れたなら……。


 イングリッドの心に鋭い痛みが奔る。


 どうして……。


 深く考えると泥沼に嵌まりそうなので、イングリッドはそれ以上その痛みについては追及しないことにした。

 イングリッドは女主人の寝室まで案内される。当然、隣は主人であるケルンの寝室だ。それぞれ別に入口の扉が付いていたが、中にも2つの部屋を繋ぐ扉がある。


「絶対に、入って来ないで!」


 絶対を強調してイングリッドはケルンに言い放って、部屋に入った。


「はいはい」


 ケルンは呆れたように手を振る。2人のリーフェンシュタールでの生活が始まった。


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