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第2話 攫われた令嬢

「えっ……」


 驚き固まるイングリッドに男は手を伸ばし腰を両手で掴むと軽々と抱き上げる。


「えぇっ!?」


 まるで鹿でも担ぎあげるように、彼女を自分の肩に担いで灰色の目の男は歩き出す。そして他の男達がヘルマンを始めとする客達を視線だけで牽制しながら、後に付いて行く。


「な、なにっ、降ろしてっ……」


 突然のことにイングリッドはじたばたと手足を動かし抵抗するが、男の腕はぴくりとも動かない。唖然とする人々の間を抜け屋敷を出て馬車に乗せられると、その誘拐犯と向き合う形となった。イングリッドは怯えながらもその男を睨むが、男は不埒な笑みを受かべるだけだった。


「あ、あなた一体誰なの?」

「覚えていないとはつれないな、イングリッド。俺はリーフェンシュタール伯ケルン」


 その名を聞いて、イングリッドの目が大きく開かれる。幼い頃、一度会ったことがあったからだ。

 イングリッドの母は胸を病み、その療養に父親同士で親交のあったリーフェンシュタール家が領地に招いてくれたのだ。仕事のある父を王都に残し、母と兄とイングリッドはひと夏をリーフェンシュタール領で過ごした。しかしそれも、もう10年も前のことだ。

 あの頃のケルンとは違う。少なくともイングリッドの目にはそう見えた。

 山賊と呼ばれるような野蛮な振る舞い、そして”父親殺し”と字名された目の前の男が、心優しい、あの思い出の少年とは、どうしても重ならない。


 少年の頃のケルンは、母や私の為に時折山から珍しい花を取ってきて部屋に飾ってくれた……。


「母上のことは残念だったな」

「いえ……」


 療養の甲斐なく、イングリッドの母は亡くなった。


「最後に会った時のことを覚えているか、イングリッド?」

「……」


 リーフェンシュタール領で過ごした日々は楽しくて離れ難く、優しいケルンが好きだった幼いイングリッドは彼の花嫁になると言ったのだ。


「あ、あんなの、子どもの戯言ですっ」

「それは傷つくな」


 そう言ってケルンは愉快そうに笑った。全然傷ついているように見えない。


「だが、約束は約束だ。我が花嫁よ」

「そんなの、お父様やお兄様が許すはずが……」


 ケルンは丸められた1枚の紙をイングリッドに渡す。開いてみるとそれは結婚許可証であった。


「君の兄上、それに勿論父上にも許可は取ってある。どの道こうなっては結婚するしかあるまい」


 彼の言う通りであった。公衆の面前でイングリッドを攫ったのだから、もうまともな縁談は望めない。

 イングリッドは怒りで真っ赤になった。


「騙し打ちじゃない、こんなの!」

「山賊らしくて良いだろう?」


 イングリッドの怒号にもケルンは飄々と答える。


「信じられない蛮行だわ! この、野蛮人!」


 イングリッドは腕を組んでそっぽを向き、それ以上喋らなくなった。カラカラと車輪が回る音だけが響く。そして、王都のリーフェンシュタール邸に着いた。馬車の扉が開いたが、イングリッドは降りようとしない。

 諦めの悪いの彼女を見て、ケルンは呆れたように片眉を上げ、再び抱き上げる。


「離してっ。私は家に帰ります!」


 イングリッドも再び抵抗を試みるが、ケルンはやはりびくともしない。


「今からここが君の家だ」

「いやっ!」


 そうは言っても、軽々と抱えられて馬車から降ろされる羽目になった。ただし、今度は肩に担がれるのではなく、所謂お姫様抱っこという形で。


「ふむ、実に花嫁らしいな」

「ふむ、じゃないわ、降ろしてっ」


 イングリッドの抗議を無視してケルンはにやりと笑いながら屋敷へと入った。

 恭しく屋敷の者達が頭を下げて迎える中をケルンは通り過ぎ、ある部屋まで来て、中へ入る。そしてベッドの上にイングリッドを降ろし、その上からケルンが覆い被さる。


「きゃっ」


 ケルンを退けようとイングリッドはもがくが、無駄な抵抗である。


「悪ふざけはやめて! どうしてこんなことするの?」

「美しくなった……」


 イングリッドを見下ろすケルンの灰色の瞳が細められる。


 獲物を食べようとする狼そのものだわ。


「薔薇色の頬も、赤い唇も、白い肌も」


 ケルンの右手が頬に唇に、首筋から鎖骨へとイングリッドの肌をなぞっていく。ぞくりと痺れが頭から腰にかけて背筋を貫く。ベッドが軋む音がした。


 体が、熱い。


「やめてっ!」


 イングリッドが思わず叫んだ。


「俺が嫌いか、イングリッド?」


 ケルンが切なそうな顔でイングリッドを見つめる。


「え?」


 嫌いというより急に連れて来られて感情が追いつかない。


「……なんて、な」


 ケルンはニヤッと笑い、イングリッドの上から退いた。体が急に軽くなる。


「嫌がる女に無理強いするのは、俺の流儀じゃないんでね」


 散々振り回しておいて今更何を言うの。


「……最低」

「しばらく休むと良い」


 イングリッドの恨み言を聞き流し、ケルンは部屋を後にした。


「一体何なの……」


 呆然としながらも、イングリッドは体を起こし乱れた髪や服を撫でて直す。


「お父様やお兄様はこのことを知っているの? あんな結婚許可証信じないわ」


 ここを出て家に帰らなきゃ。


 イングリッドは立ち上がり、部屋のドアへと向かいドアを少し開けたところで、廊下から誰かの話し声が聞こえてきた。隙間から様子を窺うと、近くに2人の若い男性が立っている。ケルンと共にお茶会に乗り込んできた者達だった。


 見張りかしら……。


「また随分と派手にやりましたね、ケルン」

「まぁ、あのお嬢さんも自分が父親に売られたと知るよりはマシなんじゃないか」


 どういうこと? 売られた……私が? ケルンに?


 イングリッドは、まさかと思い改めて部屋を見渡す。化粧台には彼女が愛用している櫛や小物類が置いてあったし、衣装箪笥を開けば見慣れた彼女の服が並んでいた。ここには家にあった彼女の物が全て揃っていた。


 本当だった……!


「売られたんだわ……」


 イングリッドはその場にへたり込んだ。悲しくて、悔しくて涙が溢れてくる。


 私、ケルンの妻にさせられてしまったのね……。


 父や兄が納得しているのなら、覆すことも出来ない。ここにいるしかないのだ。


 床に突っ伏してイングリッドは泣いた。



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