第14話 帰還
ケルン達が出発してから4日が経っていた。イングリッドはこのところよく眠れていなかった。目を閉じると、ケルン達が山から転がり落ちていく姿ばかりが浮かんでくるからだった。
大丈夫かしら……今頃どこを歩いているの? ……まさか、夢が本当になってるなんてことないわよね?
イングリッドは刻々と強くなる不安を感じながら、ケルン達の帰りを待っていた。すると、屋敷に村人が急いで駆け込んで来る。出迎えた執事に、息を切らせながらケルン達が帰ってきたと嬉しそうに伝えた。
それは直ぐにイングリッドにも伝わり、彼女は居ても立っても居られず、走って屋敷を出た。村の方へ急ぐと、ケルン達と彼らの帰還を喜ぶ村人達の姿が見える。
数日ぶりに見る彼は、思いのほか元気そうで、イングリッドは安堵に胸を撫で下ろすと同時に、嬉しさで涙が溢れそうだった。
「イングリッド!」
ケルンが彼女に気が付き、飛び切りの笑顔を見せる。その様子から、登山が成功したのだと、分かる。ケルン達を囲んでいた村人達が道を開けて、ケルンが走ってきてイングリッドを思い切り抱きしめた。
「ちょ、ちょっとケルンっ」
イングリッドは唐突に夫の行動に驚き戸惑う。彼の体の熱さがイングリッドにも伝わってくるようだ。
「どうしたの、急に?」
「数日振りに会った奥方を抱きしめたらいかんのか?」
ケルンはおどけた口調で言う。
そ、そりゃいけなくは無いけど……。こんな風に力強く抱きしめられると、もしかして愛されていると勘違いしてしまいそうになる。
イングリッドは動揺を誤魔化すように話題を転じる。
「そ、その様子なら、上手くいったみたいね」
「あぁ。初代がそうしたように、俺も山頂に短剣を奉じて来た」
「そう。とにかく無事に帰って来てくれて良かった」
「君のお守りのお陰だな。効果抜群だったぞ。祭壇でも作って飾っておくか」
本気か冗談か、よく分からないことを言うケルンにイングリッドは呆れた。
「もう、変なこと言わないで。無事に帰って来られたのは、運が良かったからよ」
「そうだ。そうだな、俺達は山に生かされたに過ぎない」
「ケルン?」
「生きて、まだやることがある」
ケルンの言葉にイングリッドは顔を上げた。彼は遠くを見つめている。遥かな山々に思いを馳せているのだろうか。
何だか、少し変わったみたい。どこがどう、とは説明出来ないけれど。
「君と愛し合うことも、その中に入ってるんだがね」
ケルンは下を向き小声でイングリッドに微笑み掛ける。
「なっ、なに言ってっ……! 登山で疲れておかしくなっちゃたの?」
イングリッドは照れ隠しに思わず叫んでしまう。
「疲れてなどいないぞ。温泉に寄って来たからな」
「おんせん? ってそれなに?」
「地面から熱い湯が出てくるところがあるんだ。その湯に浸かると、疲れが取れたり体の痛みが取れたりするんだ。そこで少しゆっくりして来たんだ」
「そんなところがあるの。知らなかったわ」
「気持ち良いぞ。今度行ってみるか?」
まぁ、それも良いかもとイングリッドは思ったが、同じく出迎えに来ていたハーヴェイから横やりが入った。
「騙されてはいけませんよ。別に浴場や入浴施設があるわけじゃありませんから。地面に穴を適当に掘って入るだけですよ。いわば露天です」
「えぇっ!?」
晴天の下で、お風呂に入ろうってことっ!?
イングリッドは思わずケルンを睨むと、彼は気まずそうに視線を逸らした。
「このっ……! 心配して損したわっ。こっちは毎日気が気じゃなくて、夜も碌に寝られなかっのにっ!」
イングリッドはぽかぽかとケルンの胸を叩く。しばらくされるがままになっていが、見計らってケルンは彼女の両手を掴んだ。
「揶揄って悪かったよ。確かに、君の方が疲れた顔をしているな」
じっとケルンはイングリッドの顔を見る。目の下には隈が出来ていた。
「……心配してたんだから」
イングリッドは俯きながらぽつりと呟く。
「済まなかった」
「本当よ。 もう、こんな危険なこと二度としないで」
「……分かった」
彼の言葉にイングリッドは小さく頷いて、彼の胸に顔を埋める。
「お帰りなさい、ケルン」
「ただいま、イングリッド」
ケルンも彼女の腕を離してその背に再び手を回し、ぎゅっと抱きしめる。
「これで君も安心して寝られるな。なんなら、今から添い寝してやろうか?」
「要らないわよ! 子供じゃあるまいし」
イングリッドはまた怒り出して、ケルンの腕の中から抜け出そうともがくが、彼は離さない。
「それは残念」
彼はそう言って楽しそうに笑った。