第10話 夫婦の心得?
イングリッドがミーナの家で刺繍をしている頃、ケルンはというと本日は猟師達と狩りに出ていた。上流貴族達が遊興に行う狩りではなく、食料調達の為の狩りだ。リーフェンシュタールでは、領主も普通の猟師と共に狩りをする。それは、初代からの伝統であった。その休憩がてら、ハーヴェイがケルンに話しかけてきた。
「ところで、ケルン」
「何だ?」
他の猟師が作ってくれたキノコ汁を、ケルンが旨そうに食べている。
「イングリッドと別れるつもりって本当ですか?」
「……はぁ?」
ケルンは食べる手を止めて、片眉を上げハーヴェイを睨む。
「どっからそんな話が出て来たんだ?」
「いえ、イングリッドよりももっと条件の良いお嬢さんが居たら乗り換えるつもりがあるのかどうか、と」
「……そんな女がどこに居るんだ?」
不機嫌そうにケルンが答える。
「さぁ。それは私に聞かれても。でも、イングリッドはどこかに居ると思ってるみたいですよ」
「イングリッドが?」
「えぇ。ケルンはあくまでも人助けで結婚しただけだから、自分よりも相応しい、もっとお金持ってる令嬢とか高位貴族の令嬢が居るなら身を引くって、ミーナに話したみたいで」
「……」
「どうせまた、変に格好つけたこと言ったんでしょう?」
ハーヴェイの咎めるような視線にケルンは顔を背ける。
「別に、ただイングリッドが望むなら離縁しても良いって言ったんだ。俺は評判の悪い男だからな。それに家族のことで、変に恩に着る必要もないし」
ぶっきらぼうな彼の言い草に、ハーヴェイはため息を吐いた。
「それ、たぶん全然伝わってませんよ。貴方を小さい頃から知っているリーフェンシュタールの人々や寝食を共にした騎士団の面々とは違うんですからね。ちゃんと彼女に言わないと駄目ですよ」
ハーヴェイに小言を言われ、ケルンは不貞腐れたように視線を逸らしたまま呟く。
「とにかく、俺から離縁を申し出ることはない。彼女を嫁にすると決めたのは俺だからな。だが、イングリッドがそれを望むなら……去る者を追ったりしない」
「何、妙に意地張ってるんですか。貴方の気持ちが見えないから、彼女は不安なんだと思うんですよ。夫婦っていうのはお互い歩み寄ることが大事なんですから」
ケルンはハーヴェイを横目に見る。
「お前は元々ミーナが好きだっただろ。ミーナの親が結婚相手探してるって知ったら、ミーナに内緒で自分から親に直談判しに行ったくせに。お前は歩み寄るというより、全部ミーナの言う通りにしてるだけだろうが。惚れた弱みで」
「そ、それは今関係ないでしょうっ」
動揺を隠すように、ハーヴェイは咳払いした。
「とりあえず、貴方の気持ちをイングリッドに示すことが大事ですよ。贈り物の一つでもしてみたらどうです?」
「贈り物って言ったって、ここでそんな洒落たものは手に入らないぞ」
王都と違って宝飾品を売る店も無いし、市が立つのも数ヶ月に一度だけ。
「そんな仰々しい物じゃなくて良いんですよ。日常のちょっとした物で。花とか果物とかどうです?」
「花ねぇ……」
面倒そうにケルンは頭を掻いた。
「まぁ、考えておくさ。それより、そろそろ例の計画を実行に移そうと思う」
ケルンのその言葉に、ハーヴェイは心配そうな顔になった。
「本当にやるんですか? 私は反対ですよ。シュフィアート岳の山頂に登ろうなんて。危険過ぎます」
「お前は連れて行かないから安心しろ。ミーナに恨まれるからな。それにリーフェンシュタール家の当主に生まれたからには、やらねばならんだろう?」
「……そんなことしなくても、貴方はここの立派な当主ですよ」
ケルンには無茶をすることを望んでいるような節がある、とハーヴェイは思う。騎士団に居たときは、自ら志願して南の国境線で守備の任務に就いていたと聞く。普通上流貴族の子息は王都で危険の少ない近衛騎士を務めるのが普通なのに、である。
ケルンは自分の命を軽んじている気がする。そこが心配だ。それは父や母に愛されなかった彼の生い立ちが関係しているのだろうか。
伴侶を持ったからには、自分自身のことも大切に欲しいとハーヴェイは切に願う。
「初代は、槍岳に登っていたんだ。それなら、俺は剣岳に登る」
ケルンは上を見上げて言った。木々が生い茂る森の中では山の姿は見えないが、剣岳は、リーフェンシュタールの山脈の中で、もっとも険しい山頂を持つとされる山で、その様子は剣の刃が何枚も突き立っているように見えた。そこから剣の名が付いたのだ。
公式な記録上は、まだ誰も山頂までは登ったことがないとされている。
「貴方は領主なんですから、無茶なことはしないで下さい。生きて帰ってこれなくなったら、どうするんです?」
その言葉にケルンは皮肉気に笑った。
「そしたら、お前に跡を継いでもらうさ。はとこだから問題ないだろ」
「そんなもの私は要りませんよ。ミーナと生まれてくる子と心穏やかに生活したいんで」
ハーヴェイは心底迷惑だ、という顔をした。
「ま、準備は万端整えて行くさ」
諦めるつもりのない、ケルンの言葉にハーヴェイは再びため息を吐いた。




