6:学院編:女狐のプレゼンテーション。
なんか書けちゃったから……
先にも述べた通り、マーセルヌ王国は失敗国家の様相を呈しているから、グリザネア半島の真珠などと讃えられていても、王都ルナルダンは闇や影が濃い。
19世紀のロンドンのイーストエンド並みに酷いスラムもある。そうした地域にはヤクザな組織も存在するし、街娼やスリやチンピラや半グレ野郎などはドブネズミ並みに多い。
アーシェに連れられてアイヴァンが入った店はそうしたスラム傍の安酒場だった。店内はスラム傍らしく小汚い。店内の造りも調度品も食器も使い込まれて傷だらけ。デッキブラシでどれだけこすっても落ちないだろう汚れが染みついている。
カウンター内の店主は堅気に見えない強面オヤジ。女給達はこの辺りの女達だろう。なんともスレた顔つきばかりだ。
スラムを根城にする底辺冒険者達の溜まり場らしい。客は客で冒険者然とした格好の連中が武器を佩いたまま安い酒と飯を口にしており、うぇーいと酔い痴れる奴らも居れば、御通夜みたいな面でうっそりと飲食を進める奴らも居る。なんとも悲喜こもごもな酒場である。
飲食だけなら大通りに真っ当な店が腐るほどあるし、安くて美味くて“安全な”店なら学院傍にある。スラムの際まで足を運ぶ必要などない。
というか、現代以前の“場末”はマジで危険なのだ。混ぜ物だらけの酒や賞味期限やらなんやら一切信用できない料理なんぞ口にしたくもない。
たとえば、19世紀ロンドンなど食品偽装はもはや無差別テロ同然。質素な料理が多かったのは調味料不足に加え、“不正”が分かり易かったからだ。『黒鉄と白薔薇のワーグネル』は三流和ゲーらしく時代考証なんぞ無意味な世界観だが、変なところで現実的なだけに油断できない。
話がそれた。
「わざわざこんな小汚ねェとこ連れてきたってことは、色っぽい話じゃなさそうだな。センパイ」
アイヴァンは小汚いテーブルの向かい側に座るアーシェ・クルバッハをじっと見据えた。
しゅっとした細面に切れ長の双眸。意志の力が窺える紺色の瞳。背中まで届く紺色の髪を三つ編みに結っている。ワンピース状の女性用冒険者服に胸甲を巻いた中肉中背の肢体は、装備越しでも鍛えられていることがよく分かる。まあ、胸や尻のサイズは並みだが。
一般常識的に言えば、アーシェは充分に美少女の部類に入るだろう。しかし、この『黒鉄と白薔薇のワーグネル』世界では“普通”に属する。普通とはいったい……
アイヴァンはアーシェの面差しと佇まいに、学生時代の一匹狼型アウトロー系女子を思い出す。高校を中退した彼女はどんな人生を送ったのだろうか。
アーシェが何も答えずにいると女給がやってきた。まだ20代半ばくらいだろうに、目尻の皴やほうれい線が目立ち、目つきもどこか疲労が濃い。残酷な日々に倦み疲れていた。
スレた女給は愛嬌も愛想も一切見せることなく卓に注文品を並べる。陶製コップ2つ、蝋封された500ミリペットボトルサイズの陶製瓶。女給は去る時に『ごゆっくり』の一言さえ残さなかった。
アーシェは腰のパウチから小型ナイフを取り出し、陶製瓶の封を切ってコルク栓を抜いた。透明な酒を2つのコップへ注ぎ、1つをアイヴァンの方へ押す。
なんか言えよ。
アイヴァンは舌打ちし、無言でコップを口へ運び、
「ぶふっ!?」
奇声と共に噴き出した。舌が熱い。喉が熱い。腹が熱い。なんだこりゃ、スピリタスかよっ!?
「やっぱりね」
アーシェは冷笑しつつ、ポケットから小さな魔石を取り出してナイフでコイン大の欠片を削ぎ落す。その魔石の欠片をコップに落とすと、ボワッと黄緑色の炎が噴き出し、透明だった酒が緑色に染まっていた。
「マテリアル・リキュールを飲んだことないとはね。見た目と違って育ちが良いのね」
「見た目は関係ねーだろうが」
アイヴァンは盛大な渋面を浮かべ、コップをアーシェの方へ押し出す。
「酒と言えば、ワインかビールだろう。こんな得体のしれないもん飲んだことねーよ」
「得体のしれない、ね。ここでは混ぜ物入りのワインか水で薄められたビールしかないわ」
アーシェは同じように削いだ魔石をアイヴァンのコップへ落とす。再び黄緑色の炎が踊り、酒が緑色に染まった。
「正しく場末だな」
アイヴァンは悪態を吐きつつ、アーシェから差し出されたコップを手にし、警戒心を隠すことなく舐めるように嗜む。
酒精は相変わらず強めだが、先ほどと打って変わったまろやかな味わいと鼻に抜ける青い風味が快い。が、懸念が残る。
「……本当に飲んでも大丈夫なんだろうな」
「ワーカー・アブサンで死んだ奴はいないわよ。アル中になった奴は腐るほど居るけど」
アーシェはすまし顔でコップを呷って空にした。10代の小娘にしては堂に入った飲みっぷりだった。
ち、と舌打ちしてアイヴァンもコップを呷って空にした。ツマミもチェイサーも無しでやるにはキツい。
「で、用向きはなんだ」
「金の話よ」
アーシェは瓶を手にし、2杯目をコップに注ぎながら言った。
「あいつらは所詮、小遣い稼ぎ。本気で稼ぐ気は無い。まぁ無理なく稼げる分にはちょうど良い連中だけれど、私はもっと本格的に稼ぎたい」
「まるで冒険者だな。あんただって貴族だろうに」
「貧乏世襲騎士家の次女よ。叙任されても軍に入れるかどうかも怪しい。卒業後はダンジョンに潜りながら無任所騎士をやるか、どこかの商家の愛人でもやるくらいしかない」
「適当なボンボンの嫁になれよ。ダンジョン潜りをやめて男漁りでもしてろ。化粧の仕方と媚の売り方を学べ」
アイヴァンが毒を吐くと、アーシェは無言で魔石無しのコップをアイヴァンに押し付ける。
「悪かったよ。人間が飲めるようにしてくれ」
アイヴァンはあっさり詫び、大きな背中を椅子の背もたれへ預けた。ぼろ椅子が軋む。
「あんたが稼ぎたいって話と俺への用向きがどう被る?」
「ロッフェロー。あんたはただ風俗代を稼ぐためだけにダンジョンへ潜ったわけじゃない。そうでしょう?」
「……そうでもないが」
アイヴァンにしてみれば、割と風俗代稼ぎも主目的だ。が、アーシェは戯言として相手にもしない。
「中層以下にまで潜れば、レア素材や装備が手に入るし、稼ぎも段違いになる」
「死傷率もな。俺はそこまで危ない橋を渡る気はねェし、穴っぽこの底でくたばりたかねェ」
アーシェは淡々と語るアイヴァンをじっと見つめ、コップに魔石の欠片を落とす。ぼわっと黄緑色の炎が踊り、酒が緑色に染まる。
「それは卒業後を見込んでいるから?」
アイヴァンは片眉を上げる。
「何のことだ」
「分かってるでしょう。あんたは領主貴族なんだから特に」
アーシェは吐き捨てるように告げた。
「もう“限界”だって」
――小娘が。
アイヴァンは緑色の酒を半分ほど開け、酒精臭い息を吐いた。
「続けろ」
アーシェの目つきが獲物を前にした狐のように細くなる。
「ウチは本当に貧乏でね。それこそ上の姉を商家に“売って”ようやく食いつないだのよ。その姉から聞いた話で分かった。あちこちで限界を迎えてる。いつ火が点いて爆発してもおかしくないくらいに」
「自分が何言ってっか分かってるか? 下手すっと首が落ちるぞ」
アイヴァンが冷たく言い放っても、アーシェは動じることなく続ける。
「よく分かってるわ。その時が近いことも、よく、ね」
ふん、とアイヴァンは鼻息をついて問う。
「その時とやらに備えて、あんたは金を稼いでおきたいと?」
「姉の嫁ぎ先はとある貴族の御用商人。民の血と汗で儲けてた手合いなの。この国がひっくり返ったら、無事じゃすまない。もちろん姉もね」
アーシェは紺色の瞳を闇深く昏く染め、憎しみと恨みを込めて言った。
「クルバッハ家がどうなると知ったことじゃない。くだらない見栄を張って騎士道をほざくクソ親父が叛徒に吊るされて家が途絶えようとかまわない。でも、姉さんを死なせたくないし、弟に家の汚泥に塗れさせたくない」
「泣ける話だな。そのためにお前が金を稼いで手を血に染めようってわけだ。感動するわ」
アイヴァンは薄く笑い、コップを空にして言った。静かに憤怒したアーシェをまっすぐ見据えて言った。
「身上と事情を吐露したお前へ特別に教えてやる」
そう告げ、アイヴァンは内に秘めた狂気の扉を開ける。
「たしかに俺はお前の見立て通りの事態が起きると見越している。そして、その時、俺は王国の御旗を担いで大暴れするつもりだ。クソ地獄を作り出すくらいな」
剥き出しにされた狂気を前にし、アーシェは唖然としながら正しく―――誤解した。
現段階で内戦勃発を予測している聡明なアーシェは、アイヴァンが自分と同様の結論に達していると判断した。そのうえで、アイヴァンがこの国の危機を利用して成り上がろうとしていると誤解した。
まあ、常識的に考えれば、失敗国家で率先して体制側につく奴は既得権益の受益者だけだ。でなければ、体制を打倒して勝ち組に回るパラダイムシフトを狙うだろう。
にもかかわらず、アイヴァンは体制側に与して成り上がりを目指すという。アーシェの常識からして誤解するのも無理なかった。
「……それは領主貴族だから? 領地を守るため?」
「俺はシナリオを台無しにし、この世界にどデカいクソをぶちまけてやりたいだけさ」
獰猛に犬歯を剥いて嗤うアイヴァンに、アーシェは困惑する。
? ? ? シナリオ? こいつ、何言ってんの?
「意味が分からないんだけれど」
「理解する必要はねえし、俺も理解は求めねェよ」
アイヴァンは狂猛に笑い、コップを傾けて酒臭い息を吐いた。
「言っておくが、俺に付き合うと最後にゃあ破滅するぜ。そういうシナリオだからよ」
「訳わからない。酔ってるの?」
困惑を強めるアーシェにアイヴァンは口端を酷く自虐的に歪めた。
「ああ。酔ってるよ。生まれる前からな」
“あの日”から憎悪と怨恨と憤怒と復讐心と報復願望と、絶望に泥酔したままだ。
アイヴァンはアーシェに言った。
「繰り返すが、俺に付き合えば、最後にゃ破滅が待ってる。だがまあ、破滅する寸前までは……それなりに稼げるかもなぁ」
アイヴァンは個人として若い女性の強姦や領民虐待などしてこなかったが、内戦を迎えた時あらゆる蛮行を行うことを決めていた。部隊を率いて村や町を焼き払い、虐殺や略奪、劫掠、集団強姦、焦土作戦……内戦を引っ掻き回し、この国の未来――主人公御一行が作る国に拭い難い憎悪と怨恨の傷跡を刻むことを企んでいた。
会津人が100年以上経っても戊辰戦争の仕打ちを忘れていないように。ロシアやバルカン半島の人間が有色人種に支配されていた歴史を屈辱として忘れていないように。
この国に決して忘れられないトラウマを刻んでやる。見てろよ、クソ神。見てろよ、主人公御一行様よ。お前らにハッピーエンドなんぞ与えねェ。
アイヴァン・ロッフェローは狂っている。紛れもなく狂っている。
ゆえに、常人たるアーシェはアイヴァンを読み違えた。
アイヴァンの狂気を上昇志向や野心と誤解した。破滅という言葉も何かのレトリックだと誤解した。
だから、アーシェは意味不明なことをのたまう巨躯の狂人に惹きつけられた。
貧困と問題ある家庭環境で荒んだ心が、狂人の熱に惹きつけられたのかもしれない。失敗国家の退廃と腐敗が進んだ社会で生まれ育った若者が潜在的に持つ破壊願望が、狂人の破滅願望に魅せられたのかもしれない。
心理学をこねくり回せば、如何様にも理由が見つかるだろう。
ともかく、アーシェ・クルバッハはアイヴァン・ロッフェローの狂気に心惹かれたことは、揺るぎようない事実である。
アーシェは言った。
「稼がせてくれるなら協力しても良い。破滅の際になったら手切れにさせてもらうけど」
「好きにしろ。俺には俺の、あんたにはあんたの事情ってモンがあるからな」
くくく、とアイヴァンは冷笑し、問う。
「それで? 俺とあんたの2人だけで中層以下に挑もうってのか?」
「いや。“計画”があるわ」
アーシェは切れ長の双眸を鋭く細めて言った。
「学院の貧乏学生と市井冒険者の合同クランを作る。組織として稼ぐのよ」
「話としちゃあ分かるが、そんなことできんの?」と訝るアイヴァン。
「そこであんたの看板が要るのよ、ロッフェロー。将来、男爵になるあんたのね」
緑色の酒を一息で干し、アーシェはお代わりを注ぎながら告げた。
「ロッフェロー男爵家の専属クランを立ち上げるのよ」
〇
効率的に組織だってダンジョンで稼ぐ。金も素材も装備も。
そのためにアーシェと似たような学院の苦学生――貧乏に喘ぐ底辺貴族の子女は決して少なくない。また、生まれ落ちた瞬間からドブネズミのように生きてきた孤児上がりの冒険者など掃いて捨てるほど居る。
寄る辺なき彼らは狂人の看板の許に集う。
貧困という耐え難き地獄から抜け出し、少しでも豊かな生活を掴むために。あるいは、この失敗国家の腐り果てた社会の中で少しでもマシな人生を歩めるようになるために。
彼らは狂人の放つ暴力的な炎熱に惹かれ、破滅へ驀進する列車に飛び乗っていく。
ロッフェロー・ダンジョンワーカー・クランはこうして立ち上げられ……後の内戦においてロッフェロー男爵領の志願兵と共に王国軍ロッフェロー戦隊の根幹要員となる。
彼らは精鋭どころかマーセルヌ王国の底辺で喘ぎ苦しむ弱者達だった。
そして、彼らはロッフェロー戦隊として略奪や劫掠を重ねて荒稼ぎしたがゆえに、戦犯としてにっちもさっちもいかなくなり、アイヴァンの凶行に最後まで付き合う羽目になった。
すなわち、アーシェ・クルバッハはアイヴァン・ロッフェローの最大の共犯者だった。
〇
「ところで」
アイヴァンは酒杯を空にし、アーシェをねっとりと見つめていった。
「ヤらせてくれ」
「嫌よ。あんた、ケモノっぽいし、しつこそうだし、壊されそう」
アーシェは最大限の侮蔑を込めて吐き捨てる。
「そのデカい手でマスでも掻いてろ」
「辛辣すぎるだろ」
アイヴァンはゲラゲラと笑う。
第二の生始まって以来の大笑いだった。